第5話
「ねえ、落田くん。明日は予定あるかしら?」
明日は土曜。一般的には休日だ。
「いや、特に無いけど」
サラダのキュウリをフォークで捉えるのに苦労しながら、僕は答えた。
「遊園地とか、行かない?」
「え」
フォークにキュウリが刺さった。
僕は守原さんを見た。
「私と二人で、行かない? 遊園地。それとも事故の後遺症で遊園地は行っちゃダメってことになっているの?」
「いやそんなことはないけど、話の脈絡が……。なんで遊園地?」
「落田くん、高校生になってから休みの日って、外に出かけたりしていないんじゃないかと思って」
名推理というか、まさしくその通りだけど。
「それで、遊園地?」
「一人でいると、きっと嫌なことばかり思い出して自己嫌悪してしまうと思うのよ」
「何を根拠に」
「私の経験」
守原さんは間髪入れずに言った。
意外と自己肯定感低いのかもしれない、この人。
「しかし大丈夫かな。学校以外で外に出ない僕が、そんなに人の多いところに行ってしまって」
「じゃあ遊園地はまた今度にして、最初は公園とかにしておくのはどうかしら?」
「公園か」
「ベンチに座ってのんびりするの。素敵だと思わない?」
休日を公園のベンチで過ごすことに諸手を挙げて賛成するわけじゃなかったが、遊園地の人混みの中へ向かうよりは気楽そうだと思った。
「うん、わかった。どこの公園?」
「駅の裏手に広い公園があるじゃない?」
守原さんが言っているのはサッカーグラウンドに併設された公園のことだ。
サッカー部時代、何度も行ったことがある。
「でも、君はわざわざベンチでのんびりするために電車に乗ってこないといけなくなる。面倒じゃない?」
「そうでもないわ。私は電車に乗っておくだけで、運転するわけじゃないもの」
それもそうか、と僕らは明日、駅の裏手の公園に集まることになった。
奇妙なこともあるものだ、と僕はグラスにはいったままの水を啜った。氷はもうずいぶん解けていて、そのせいか普通よりも冷えているような気がした。
しばらくの間他愛もない、数学の試験が理不尽に難しかったとか、英単語が覚えられないとかそんな話をしていると食事も終わり、守原さんが乗る次の電車がそろそろ駅にやってくるということで、僕らは解散することにした。
僕が席を立つと、守原さんが遠慮がちに言った。
「あの、落田くん」
「何?」
「食べ物、半分残ってるわよ」
お皿を見下ろすと、ハンバーグ・ステーキの左半分が残っていた。
気づかなかった。
残すのも勿体ないから、食べた。
※※※
よく晴れた翌日の午後。
僕らは約束通り公園に集合した。
守原さんは約束時間の15分前にやってきた。
「こんにちは、落田くん。ごめんなさい、待たせてしまったようね」
「いや、今来たところだよ」
どこかで読んだ本に、何分待とうが今来たところと答えろと書いてあったのを思い出しながら、僕は答えた。
守原さんは白い半袖のブラウスに黒のレーススカートを着ていた。
シンプルな服装が彼女のスタイルの良さを際立たせているように感じた。
「隣、良いかしら」
「ああ、うん」
ベンチに座っていた僕の隣に、守原さんが腰を下ろす。
木陰にあるベンチだから直射日光が当たることはなく、それなりに涼しくはあったが、何せ季節は夏である。そこら中でセミは鳴いているし、日差しで熱された地面からは陽炎がのぼっていた。
休日中はいつも冷房の効いた部屋でネトゲに勤しんでいる僕にとっては、大変過酷な環境だった。
というか、昨日守原さんと話した時点で気づくべきだった。
こんな真夏の灼熱地獄の中で、公園のベンチでのんびりできるはずがないということに。
「それにしてもいい天気ね、まるで私たちを祝福しているようだわ。そうは思わないかしら、落田くん?」
輝かしい笑顔を浮かべながら、守原さんが言った。
「……いい天気なのは否定しないけど、もう少し涼しい時期ならなお良かったかもね」
「やっぱりそうよね。私も電車を降りたあたりから嫌な予感がしていたのだけれど」
守原さんが項垂れる。
「いや、元はと言えば僕が遊園地に行きたくないと言ったのが事の発端だから。守原さんが気にすることはないよ」
「ありがとう落田くん。あなたは本当に気が遣える人ね」
「ああ、それは誉め言葉として受け取っておくよ。で、僕から提案があるんだけど、近くにショッピングモールがあるだろ? そこまで歩いて行って、冷房の効いた店内を歩き回ってみるのはどうだろうか」
「この炎天下で暑さに耐えながら地獄のお喋りをするよりはよほど良さそうね。さすが落田くん、完璧なプランニングだわ。ぜひそうしましょう」
守原さんが立ち上がった瞬間、セミが僕らの頭上を飛んで行った。
直後、僕の足元に何かが転がって来た。
サッカーボールだ。
右足で蹴り上げ、両手でキャッチする。
「……上手だわ」
守原さんが小さく拍手してくれた。
「どうも」
つい癖で。
何か月もボールに触れていないが、身体は感覚を覚えているものなんだな。
「あー、すみません! つい勢いついちゃって!」
そう言ってこちらに走って来たのは、長身でいかにもスポーツマンといった体格の、スポーツウェアを着た高校生くらいの男子だった。
彼は僕を見ると、さっきまでの余所行きの表情をやめて眉を顰めた。
「お前――落田じゃん。誰かと思ったわ」
「ああ、石崎……」
彼の名は石崎。
中学時代は同じサッカー部に所属していて、彼はキャプテンを務めていた。
そして今も同じクラスで、昨日、カラオケでの打ち上げを提案していたのも彼だ。
「何やってんだよこんなところで。お前ケガは……って、うおおお! 守原さんですか!?」
守原さんを見て驚いたように後ずさる石崎。
「初めまして。守原です」
小さく会釈する守原さんに、石崎は大げさに頭を下げる。
「ど、どうも。石崎です。サッカー部の一年です。なんだよ落田、どういうことなんだよ。なんでお前が守原さんと一緒にいるんだよ!?」
「いや、まあ、成り行きで」
「成り行き!? どうやったらそういう成り行きに!?」
「連絡先も交換した」
「連絡先を交換ッッ!? ま、待て待て待て、サッカー辞めてからお前の身に何があったんだ!? あと俺とも連絡先交換してください守原さん!」
「良いですよ、石崎さんですね?」
「そ、そうっす! 俺めっちゃファンです! 守原さんの英語スピーチを録音したやつ、毎晩寝る前に聞いてます!」
いやそれはファンとしての熱心さより気持ち悪さの方が上回ると思うぞ。
というか、守原さんのスピーチって録音されていたのか。どうにかして入手できないものだろうか。
「コーチ、早く戻って来てください!」
公園の向こう側で小学生らしい男の子たちがこちらに呼びかけている。
「呼んでるみたいだけど」
僕は石崎にボールを手渡した。
「ああ、部活が休みの時に相手してやってんだよ。……落田、ケガも治ったんだろ? なんでサッカー部に入らないんだ」
そういえば昨日、石崎に怪我が治ったとメッセージを送ったのを思い出した。
「……医者からサッカーは続けられないって言われてるから」
僕が答えると、石崎は渋い顔をした。
「事故ってからお前、変わったよな。昨日のカラオケ、盛り上がったんだぜ。来ればよかったのに」
「歌は苦手だからね」
「……俺はまだ諦めてねえからな、お前がサッカー部に戻ってくるのを。――それより守原さん、これ、俺の連絡先です! 登録しておいてくださいッ!」
「は……はい。ありがとう、石崎さん」
石崎からメモを受け取った守原さんは、数千万ルクスの笑顔を浮かべた。
「うおおおお目があああああ! くそおおお落田てめえ、事情は今度詳しく聞かせてもらうからなああ!」
そう叫びながら、石崎はボールを片手に小学生たちのところへ帰っていった。