第3話
「私、落田くんのこと少し分かってきたみたい」
「それはよかった。しかし、君のように優秀な人でもテスト前は勉強するんだね?」
「逆よ。勉強するから優秀に見えるだけ。私、分かるようになるまで人の倍は時間かかるもの」
「へえ、意外だ。守原さんは問題文を読めば答えが頭に浮かんでくるような天才タイプかと思ってたけど」
「そんなことないわ。とにかく、眠たいから今日は帰って早く寝ることにしているの。落田くんが自転車の鍵を見つけてくれなければ、あのまま駐輪場で眠ってしまっていたかもしれないわ」
「役に立てて嬉しいよ」
「……冗談よ? いくら眠くてもあんな熱いアスファルトの上じゃ眠れないわ」
「分かってるよ」
「でも、鍵を見つけてくれたことには本当に感謝してる。ありがとう、落田くん」
「たまたま目に入っただけだって」
「じゃあ、そういう運命だったということね。落田くんが私の鍵を見つけてくれて、渡してくれる運命」
「守原さんの日ごろの行いが良かっただけさ」
「そうかしら。……そうかもしれないわね。落田くんとこうしてお話できるなんて思っていなかったもの」
「僕と話すより、蟻の行列がどこまで続いているのか調べてみる方がよほど有意義だと思うけど」
「それはそれぞれの価値観によるわね。蟻の研究に生涯を捧げている人にとってはアメリカ大統領との会談より蟻の方が大事だろうし、私にとっては蟻よりも落田くんとお話するほうに意義があるように感じているわ」
「そう? 蟻に申し訳ないね」
僕らは横断歩道をいくつか渡った。
車やバイク、そして空を流れる雲に追い越された。
そうして駅の前まで来た頃、守原さんが足を止めた。
「私、電車に乗って帰るの。ここでお別れね」
「ああ、そうなんだ」
さようなら、と言おうとして、そういえば学校で誰かとこんなに長く会話をしたのはずいぶん久しぶりだったと気づき、言葉を続けた。
「ありがとう。久しぶりに誰かと話せて新鮮な気持ちになったよ」
素直に感謝の気持ちを伝えたつもりだったけれど、僕の予想とは反対に守原さんの表情は暗くなった。
「……中学生の頃からそうだったの?」
「『そう』って、どういうこと?」
「人と話さなくなったとか、自分のことをダメな人間だと思うようになったとか」
なるほど。
確かに、中学生の頃はもう少し人とコミュニケーションをとっていた気もする。
それは僕がサッカー部というコミュニティに所属していたからでもあるし、サッカー部の天才(笑)ストライカーとしてそれなりに活躍していたからでもある。
が、僕の根本はダメ人間なのだ。おそらくそれは、中学生の頃から既に。
「いや、元々がそうだったんだよ。ダメな部分が表出していなかっただけで」
「表出――それってやっぱり、事故がきっかけなの?」
どうして僕が事故に遭ったことを知ってるんだろう……いや、つい最近まで僕は松葉杖をついて校内をウロウロしていたんだから、まあ、知られていても不思議はないか。
「事故が原因と言われればそうかもね。サッカーを辞めてから、サッカーができるダメ人間からただのダメ人間になったって感じかな」
「そんなことないわ。落田くんはダメ人間なんかじゃない」
「ああ、嬉しいよ。守原さんに言ってもらえると尚更ね」
心の底から嬉しかったのでそう言ったのだけれど、守原さんの表情はますます暗くなるばかりだった。
うーん。
嫌味っぽく聞こえちゃったか?
僕と守原さんは駅のロータリーで立ち止ったまま、お互いに見つめ合っていた。
列車が構内に入ってくるというアナウンスが聞こえた。
「……落田くんはダメ人間じゃない」
繰り返すように、守原さんが言った。
「守原さんが僕にどんな印象を持ったとしても否定はしないけど――そんなことより、電車の時間は大丈夫なの?」
守原さんは腕時計を見た。
革製のバンドがついた、女の子らしいデザインの時計だ。
「大丈夫、さっきアナウンスがあったのは逆方面の電車だから」
「まさか運行ダイヤを把握してるのか?」
「私、けっこう寝坊するのよ。どの時間帯に起きても最短時間で学校に辿りつけるよう、バスや電車の時刻表はすべて暗記しているの」
すごい。さすが神美少女だ。
「そのスケジュール管理能力、ぜひ僕も見習いたいよ。それじゃ、この辺りで」
いい流れだったので僕はそのまま守原さんに背を向けた。
しかしまわりこまれてしまった!
「落田くんはダメ人間じゃない」
「何回言うねん……」
謎の関西弁が出た。
「私がそれを証明する」
「……え?」
「落田くんがダメな人じゃないってことを、私が証明してあげる」
「いや、さすがにそれは難易度高いんじゃ」
ポアンカレ予想とかリーマン予想を証明するよりは簡単だろうけど……というのは、僕の僕に対する自惚れかもしれない。
「私が君のことを肯定してあげるわ。そうすれば、君も自分がダメ人間なんて思わなくなるでしょう?」
夏の日差しに晒され、僕の頬を一筋の汗が伝っていった。
「肯定って……?」
「君の一挙手一投足を私がすべて肯定してあげるということよ。というかむしろ、させていただく?」
「僕が訊きたいのは、具体的に何をしてくれるのかってことだけど」
「疑問を疑問のままにしておかないその姿勢、素晴らしいわね」
「―――ああ、つまりそういうこと」
僕のやること成すこと全てを褒めてくれる――ということのようだ。




