第23話
く……くそったれめ……!!
心臓もけっこうバクバク言ってるし、さっきから汗が止まらないし、まさに身体が悲鳴を――というか絶叫を上げている状態だ。これは事故の後遺症とかじゃなくてただの運動不足が原因だとは思うのだけれど、それにしてもキツい。
でも、戦況は圧倒的に僕が有利だ。
ここで一点取れれば僕の勝利にリーチがかかる。
僕の身体、もってくれよ!
「落田、ボール」
そう言って、乙名が僕にボールを投げ渡す。
受け取ったそれを定位置にセットしながら、僕は額を伝う汗を拭った。
呼吸を整えながら、石崎がゴール前に立ったのを見た。
さっき点を取ったときみたいに駆け引きをやる体力は、もう僕には残されていない。
ドリブルで仕掛けるのではなく、うまく相手の隙をついてシュートを決める以外に方法はなさそうだ。
さっき滑り込んでボールを止めたせいで、高校のジャージの膝の辺りが破れてしまった。
これで負けたら洒落にならない。
僕はボールを蹴りだした。
一方の石崎は、一定の距離を保ったまま近づいてこない。
こいつ、時間を長引かせるつもりだ。
長期戦になれば、当たり前のことだけど、体力のない僕が圧倒的に不利だ。
仕掛けるしかない。
たとえ僕の全身が爆発四散したとしても、仕掛けなければ勝てない。
なんでこんな厄介なことになってしまったんだろう。
僕は、守原さんに『勝って』と言われて多少調子に乗ってしまった僕自身を殴り殺したくなった。
が、仮に僕が僕を殴り殺すことが可能だったとしても、今はまだそうすべきじゃない。
膝に穴が開いたジャージのためにも、石崎からゴールを奪って勝たなければ。
もう一度呼吸を整え、僕はゴールに向かってドリブルした。
石崎が僕の進路を塞ぐように身体を寄せてくる。
その瞬間、僕は片足でボールを引き、石崎に背を向けるように身体を反転させながらボールをタッチしている足を入れ替え、そちらの足でボールを前へ蹴りだして石崎を抜き去った。
俗に言うマルセイユ・ルーレットである。
ゴールまでのコースは完全に開いていた。
あとはボールを蹴るだけ。
蹴るだけ――――。
「!?」
背後から衝撃を受けた。
僕の身体は跳ね飛ばされ、地面を転がった。
石崎のタックルだ。
顔を上げたとき、既にボールは石崎によってクリアされていた。
「……悪いな、落田」
「ちょっと審判、今のは悪質なファールじゃない?」
僕は両手を広げて乙名に抗議したが、乙名は黙って首を振った。
全く、審判まで相手側なのか。
買収されてるんじゃないのか?
こんな何もかも不利な状況で僕に勝ち目なんてないだろう。
だから――少し汚い手を使うことにした。
僕は立ち上がるとき、わざと右足を庇うような素振りを見せた。
同時に、乙名と石崎の間に僅かな緊張が走ったのを感じた。
僕の右足。それは、僕が事故で怪我をした部位だった。
もちろん痛みなんて残っていないから、こんなのはただの演技だ。シミュレーションとか呼ばれるやつだ。
これで仕込みは終わった。
石崎がボールを所定の位置に戻す。
そして僕は再び守備側に立った。
「……お前の怪我が治ったばかりだからって、手加減はしないぜ?」
「似たようなセリフをさっき聞いたばかりだよ」
石崎の右足が、ボールを小さく蹴りだした。
僕は石崎がやったように、シュートとドリブルどちらもやり辛い位置をキープし、石崎の出方を伺った。
石崎が右へ動けば僕も右へ、左へ動けば僕も左へ。
「持久戦のつもりか?」
「……さあね」
石崎の言葉に、僕は素っ気なく返事をした。というか、『さあね』という三文字を声に出すので精一杯なほど、僕の息は上がっていた。
そんな僕の疲労感が相手に伝わってしまったのか、石崎は一瞬でボールを大きく蹴りだすとシュートの姿勢に入った。
こいつ、僕の隙を狙っていたのか。
だけど―――それこそがこっちの計画通りだ。
僕はボールめがけて足を伸ばした。
以前怪我をしていた右足を。
石崎が一瞬だけ、動揺したような顔をした。
中学時代にキャプテンを務めていたときから、石崎はチームメイトの怪我やコンディション不良には敏感だった。
そんな彼が、完治したばかりの僕の右足に対して、遠慮なくシュートを打てるはずがない。
口では手加減しないと言っていても、身体に染みついた癖というのはなかなか抜けないものだ。
案の定、石崎のシュートのタイミングは一瞬だけ遅れ、先に僕がボールに触れる結果となった。
僕の足先に弾かれたボールは、そのままコートの外に出て行った。
「落田……!」
石崎が僕を見る。
彼が僕に何を言おうとしたのかは分からなかったが、石崎はその言葉の続きを口にすることは無かっ
た。
一方の僕も何も言うべき言葉は無かった。
というか、この炎天下でハードな運動をしているせいで、言葉を超えにして発する余裕なんてもうなくなっていた。
頭の中では意味のない文字の羅列が蠢いている。
集中しろ、僕。
次の1セットを取れれば、僕の勝ちだ。
さっき必死で伸ばしてボールをクリアした右足が、攣りそうになっている。
全身の皮膚から汗が流れているのを感じる。
ふと僕は、中学時代最後の試合を思い出していた。
地区ブロック大会の決勝。
勝てば全国大会に出場できるという一戦だった。
いつもなら簡単に通るはずの石崎からのラストパスが、その試合では全く通らなかった。
敵チームから警戒されていたこともあるけれど、何より僕に対する相手のマークが強力で、なかなかパスを受けられる位置に動けなかったというのも理由の一つだった。
結果として僕たちのチームは一点も取れず、終始守備に回り、後半に2点を取られて負けた。
そうだ。あの時だった。
石崎と、高校でまた一緒にサッカーをして、今度こそ全国へ行こうと約束したのは。
こんなことをどうして忘れていたんだろう。
僕はボールを置いた。
身体はまだ動いている。
多分、サッカーをするのはこれで最後だろう。
そんな予感がした。




