第13話
「人の少ない時間帯で良かったわね」
「まあね」
「では早速いただこうかしら」
「どうぞ。と言っても、僕の奢りというわけでも僕が作ったわけでもないんだけど」
「そう返されるとは思わなかったわ。ジョークが冴えわたっているわね、落田くん」
「……いや、つまらないならつまらないって正直に言ってほしいな」
ふふ、と笑って、守原さんはストローに口をつけた。
それから、少し驚いたような顔をして、言った。
「……かなり甘いのね、これ」
「ああ、そうなんだ。僕はそういうの飲んだことないから……」
「糖分が多いものは取らないようにしていた、とか?」
「単純に甘すぎるのが苦手なんだよ。なんか、胃がもたれる気がするんだ」
「おじいちゃんみたいなことを言うのね」
守原さんは愉快そうに笑みを浮かべた。
僕はちょっとだけ恥ずかしくなった。
おじいちゃんみたいと言われたのもそうだけれど、飲みなれないカフェラテなんかを頼む自分も、守原さんの前で格好つけてるみたいで嫌だった。
こんなことなら煎茶とかを頼んでおけばよかった。
「ごめん、気を悪くさせてしまったかしら」
ふと見れば、守原さんが上目遣いで僕の表情を伺っていた。
「そんなことないよ。ちょっと考え事をしていただけだから」
「考え事って?」
「カフェラテじゃなくて煎茶を頼めば良かったかなって……」
「それじゃ本当におじいちゃんみたいじゃない」
「確かに、サッカー辞めてからちょっと老けた気もしているんだよ。日に当たる時間が少なくなったからかな?」
「どうかしら。日光に当たることで皮膚の老化が進むと聞いたことがあるわ。どちらかと言えば、日に当たらない方が若さを保てるようにも思えるのだけれど」
説得力のある意見だ。
「つまり、引きこもってゲーム漬けという一見不健康に感じる行為は、実は肌にとって良い効果を及ぼしているということか」
「一概にそうとは言えないわね。肌って、きちんと手入れしないとすぐに荒れちゃうし」
僕はカフェラテを啜った。
思いのほか苦かった。
まあ、甘すぎるよりは良いか。
「それにしても意外だったな。守原さんがこういうお店、苦手だったなんて」
「いじわるな言い方ね。落田くんも得意ってわけじゃないんでしょ?」
うっ。
それはそう。
「なんでわかったの?」
「さっきからずっと視線が泳いでいたもの」
「……ご明察」
神美少女は観察眼も伊達じゃないってことか。
落ち着きある好青年を装っていたつもりだったんだけど。
「でも、ありがとう。落田くんが一緒に来てくれなければ、私、一生カフェに行けないままだったわ」
それは言い過ぎだろうと思ったが、ストローを咥えながら微笑む守原さんの顔を見ると、そんなのはどうでもいいように感じた。
僕らはしばらく期末テストのこととか授業のこととかを話した。
そうしているうちに上映時間が近づいてきたので、飲み終えた容器を捨て、映画館に向かった。
「飲み物とか……買う?」
売店を眺めながら、僕は一応尋ねた。
「さっき飲んだばかりだから、要らないわ」
案の定、守原さんはそう答えた。
「えーと、ポップコーンとかは?」
「私は上映中に食べ物を口にしない派閥の人間だけれど、落田くんは?」
「僕もどちらかと言えばその派閥の人間かな」
「気が合うわね」
「どうも」
というわけで僕らは食べ物や飲み物は何も持ち込まず、チケットだけを購入してシアターの中へ足を踏み入れた。
僕と守原さんは後方の端側の席に座った。
思いのほか観客が多く、僕は守原さんと顔を見合わせた。
「本当に人気がある映画のようね。映画サイトの口コミもまるっきり信用できないというわけじゃないのね」
「レビューとかは信じないタイプ?」
「だって、インターネット上の感想なんてどこの誰が書いたものなのか分からない感想でしょう? もしかすると映画のスタッフが、自分たちが撮った映画の評価を高めようと好印象なレビューを書いているのかもしれないじゃない」
確かに。
僕も通販で、やたら高評価なレビューばかりがついた商品は避けるタイプだ。
怪しいし。
なんて話をしている間にも、次々に観客が入ってくる。
『トリガミ家の一族』なんてCMとかでも見たことないタイトルだったから、正直どんな映画なのか観てみるまで分からないなと思っていたけれど、ひょっとすると一部ではカルト的な人気を博している
のかもしれない。
しばらくして、客席の証明が暗くなった。
新作映画の宣伝が流れっぱなしだったスクリーンに、上映中の注意事項が映し出される。
「始まるみたいだね」
「……ええ、そうみたいね」
緊張したような声が返って来たので隣を見ると、守原さんは強張った表情でスクリーンを見つめていた。
「まさか守原さんってホラー映画とか――」
僕が言いかけたとき、いきなりスクリーンに血しぶきが現れた。
きゃっ、と小さな叫び声をあげる守原さん。
チェーンソーを持った殺人鬼から主人公らしき男とその友人が逃げ回るシーンらしい。
派手な逃亡劇が繰り広げられた後、二人は人気のない洋館へたどり着く。
どうやらチェーンソー男からは逃げ切ったようだ。
冒頭からヘビーだなあと思っていると、突然画面が切り替わり、大音量とともにチェーンソーを構えた殺人鬼が――――!
「きゃああああっっ、無理無理無理無理っっっ!」
守原さんが小声で叫びながら僕の腕を掴む。
それだけでも十分僕を驚かせたが、守原さんは正気を失っているのか、僕に思い切り顔を寄せてきた。
「――――っっ!?」
なんかめっちゃいい匂いするんですけど。
香水? シャンプー? それとも元々こんな匂いなのか!?
守原さんの身体が小刻みに震えている。
彼女の頬が僕の方の辺りに密着している。
再び映画の中で血しぶきが上がっていたが、守原さんのことが気になりすぎてそれどころではなかった。
「む、無理無理! 絶対無理!」
「お……落ち着いて、守原さん」
僕は守原さんに囁いた。
しかし守原さんは両手で目を覆ったまま、無理無理と呟くだけだった。
仕方ない。
映画はまだ始まったばかりだけど……。
「とりあえず出る? これ以上は見られないでしょ?」
そう言うと、守原さんが首を縦に振ったので、僕は仕方なく守原さんの手を引いて劇場を出た。
映画館のロビーまでやってくると、ようやく守原さんは両目を覆っていた手を除けた。
瞳は涙で真っ赤になっていて、目元のアイラインがぼやけて黒ずみのようになってしまっている。
っていうか、泣くほど怖かったのか……。