謎のおみくじ屋と天上の妃2
「えっと、私ですか?」
「そうそう。そちらの御前様。オレのおみくじはどうだい?」
「いえ、私は結構です。それでは」
私はあっさり答えると立ち去ることにします。
人々にとっておみくじや占術が身近なのは知っていますが私は特に興味がありません。
「もったいなーい」
「せっかく花緑青様のおみくじなのに」
「よく当たるって評判なんだから」
「そうそう。こんなに見目も良くて、おみくじも当たるなんて。さすが花緑青様、ステキだわあ」
集まっている女性たちが口々に言いました。
どうやらおみくじ屋の男は花緑青という名のようです。
しかも野性味のある整った容貌は女性に人気のようですね。おみくじ以外の目的でここにきている女性もいるようです。
でも見目が良いのとおみくじが当たるかどうかは別問題。やはり興味は持てません。
「私は結構です。それでは帰って夕餉の支度をしたいので」
「そんなつれないこと言うなよ。これでも当たるって評判なんだ。――――っと、ああごめんごめん、勝手におみくじ引いちゃった」
「ちょっと、なにを勝手なことを」
私は花緑青をキッと睨みました。
不快です。勝手におみくじを引かれるなんてとっても不快です。こんなの嫌がらせじゃないですか。
しかも花緑青は楽しそうに続けます。
「どれどれ。おや、凶だ。しかも大凶だ」
「だ、大凶!?」
よりにもよって大凶……!
なんだか腹が立ってきましたよ。勝手なことをされて大凶とはどういうことです。
「それはあなたが勝手に引いたおみくじでしょう! そんなのは無効です!」
「残念だがオレのおみくじは当たるんだ。どれどれ、恋愛は『誠意報われず。裏切りに警戒せよ』だと。あらら、可哀想に」
「っ、黙りなさい、失礼ですよ! そもそもあなたが引いたおみくじなんですから、そんなのは無効です!」
「心外だなあ。占いってのは力のある占い師がすることに意味があるんだ。本物の占い師が双六を振るから意味のある面が出て、本物の易師が筮竹を引くから未来を読み取ることができる。陰陽師だってそうだろう。力のある陰陽師の星読みや占術によって国の吉凶が占われている。占術は多岐とあるが、どの占いがより当たるかは問題じゃない。誰がするかが問題なんだ」
「あなたがおみくじを引いたことに意味があると?」
「理解が早くて助かるぜ」
花緑青が口角をあげてニコリと笑いました。
人好きのする笑顔ですが私にはただただ胡散臭いだけに見えます。
この男は自分を力のある占い師と言いたいようですが私は信じません。
「馬鹿らしいですね。あなたが何者だろうと私には関係ありません。そもそも私は頼んでもいないんですから信じません」
「ハハハッ、それも自由。好きにするといい。悪い結果がでると信じないと言い出す客はどこにでもいるんだ。しかしオレも占い師、悪い結果を少しでも軌道修正させる責任がある。――――待ち人来たる、だ」
花緑青はおみくじを読み上げて私を見ました。
私を見つめたまま楽しそうに続けます。
「あんたは夫に裏切られるが心配しなくていい。ちゃんと待ち人は来るようだ。もしかしたら、もう出会ったかもしれない」
「裏切られるなんて、まだ決まったわけではありません。出会いというのも結構です」
「つれない御前様だ。やんごとない身分の男なら正妻以外にも女がいるもんだ。分かってるだろ、それくらい」
「っ……」
突きつけられたのは一般的な事実でした。
花緑青の言う通りなのです。殿方は一人の女性と婚姻を結んだとしても、他にも多くの女性を娶ることは珍しくありません。いいえ、むしろそれが当たり前ですらあるのです。
頭では分かっていても、それでも心の奥底で望んでしまう。それでも私だけを愛してほしいと。
「それでも……っ」
「それでも?」
「っ、…………。……これ以上無駄話はしたくありません。失礼します」
私は足早に歩きだしました。
まるで逃げるようになってしまったけれど、これ以上は耐えられませんでした。
だって、『それでも』の先は禁句。決して望んではいけない願いなのです。
背後から花緑青が「おーい」と声をかけてきますが無視して歩きます。決して立ち止まったりしません。
早く帰って紫紺と青藍の顔が見たいです。
日が暮れる頃に帰ってきた黒緋を出迎えて、みんなで夕餉を囲みましょう。
今夜は紫紺の好きな料理を作るので、きっと紫紺はたくさん喜んでくれますね。紫紺の喜ぶ姿に黒緋は目を細めて、青藍もはしゃぎだして、きっと楽しい時間になるでしょう。
私はおみくじの結果など振り払うように楽しいことだけを考えました。
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花緑青は「あらら、逃げられちゃった」と鶯を見送った。
花緑青はクスクス喉奥で笑いだす。
まるで逃げるように立ち去った姿に笑いがこみあげてきた。
そんな花緑青に女が声をかけてくる。上等な衣装を着た美しい女だ。市女笠の布ごしにもその美貌が分かる。
「花緑青様、今夜はどこで休まれますか? もし決まっていないなら、ぜひに」
女は下級貴族の女だが、上級貴族の二番目の妻だった。もう少し高い身分に生まれていれば正妻の座についただろうが、悲しいかなそれは夢物語。
この二番目の妻はずっと夫の通いを待っているが、夫は気まぐれに通うばかり。そればかりか夫が最近新しい妻を娶ったことでさらに足が遠のいたのだという。
花緑青は女を優しい眼差しで見つめた。か弱い花を愛でるような瞳で。
「いいね、魅力的な誘いだ。美しいものを愛でながら飲めばどんな酒も美酒になる」
「まあ、花緑青様ったら」
女が頬を赤らめた。
この女のおみくじは『凶』。
三番目の妻は若く可愛らしい女で、上級貴族の夫は夢中になっている。もうこの妻のもとには通わなくなるだろう。一年以内に離縁されるのだ。
哀れな女だ。
夫に着飾らされた上等な衣装をまとい、別の男に夜を慰めてもらおうとする。挙げ句その慰めが不貞とされ、離縁理由になるのだから可哀想で仕方がない。あまりに哀れで愛おしいとすら思うくらいに。
この都にはそんな女が数えきれないほどいて、花緑青は愉快で仕方ない。
「だが、悪いな。今夜はもう決まっててね」
「あら残念。誰のところへ行くのかしら。あなたまで」
「怒るなよ。この世で最も尊い御方がオレを待ってるんだ」
花緑青はそこで言葉を切ると、鶯が立ち去った方を見てニヤリと笑う。そして。
「なあ天妃様。いいや――――義姉さん」
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