あわれなるもの、都の鬼5
「結界か。俺たちに仕掛けるとは、どうやら相手は知性も理性もないらしい」
ここには天帝もいるってのにと離寛が呆れた口調で言った。
天帝とは人間、鬼、妖怪、神属、あやかし、幻獣、神獣、すべての生命の頂点に立つ存在である。本来なら鬼の襲撃はあり得ない。
だが今、禍々《まがまが》しい邪気が周囲に立ち込めていく。
……ゴゴゴゴゴゴゴッ! 地面の下から低い地鳴りがする。
地鳴りは徐々に大きくなって地面が震動した次の瞬間。
ボコッ! ボゴボゴボゴボゴ!!!!
地中から勢いよく木々の根が突きあがった。
鋭い木の根は二人を串刺しにする勢いで次々に突きあがるが、寸前で二人はひらりと避ける。
離寛はひらりひらりと身軽に避けながら指を立てて短い祝詞を唱えた。
「隠れてないで出てこいよ」
「オオオオオオオオオッ!!」
地面の下から巨大な鬼が引きずりだされた。
その姿かたちは醜悪で、まるで巨大なイナゴのようだ。
「なんだこの気味が悪いのは。見たことないな。知ってるか?」
離寛が顔をしかめて黒緋を見た。
黒緋は「これは……」と険しい顔で考え込む。
そうしている間にも鬼は離寛に襲いかかった。
離寛は懐の刀を抜くと、攻撃を避けたと同時に鬼の首を一閃する。
ゴトンッ。落ちた鬼の首がごろりっと転がった。
鬼の討伐完了である。
天上の武将である離寛にとって鬼などたいした敵ではないのだ。
そう、二人にとって鬼討伐など問題ではない。問題は……。
二人はその場から動かず鬼の死体を見ていると、ふと死体の胴体と鬼の首が変化しはじめた。
死体はみるみるうちに崩れだし、そこにあったのは万を超えるほどのイナゴの死骸。
そう、鬼はイナゴの死骸の集合体だったのだ。
「イナゴの死骸……。まさか……禁術か?」
離寛が驚愕した。
禁術という言葉に黒緋が重く頷く。
「恐らくな。離寛、天上に戻れ。調べてほしいことがある」
「分かった。黒緋はどうするつもりだ」
「決まってるだろ。俺は妻と息子らを連れて畿内巡りだ」
「は?」
離寛は呆気にとられた。
畿内巡り。しかも妻と子らを連れて。それすなわちただの家族旅行だった。
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「ええっ、畿内巡りですか?」
私は驚いて目を丸めました。
思わず声を上げた私に近くにいた紫紺と青藍もびっくり顔になります。
そんな私と子どもたちの反応に黒緋は満足そうに頷きました。
夕餉が終わった後、私と黒緋は晩酌をしながら月見を楽しんでいました。側では紫紺と青藍も食後のゆったりした時間を過ごしています。「せいらん、こちょこちょ~」「きゃああっ、あいあ~!」とおおはしゃぎ。仰向けでころころいている青藍を紫紺がこちょこちょして構っていたのです。
「きない? きないめぐりってなんだ!」
「あうあ〜、ばぶぶっ」
紫紺が側に駆け寄ってきます。青藍も上手にハイハイです。
紫紺は黒緋と私の真ん中にちょこんと座り、青藍は正座している私の膝に登りました。
「畿内とは京の都の周辺にある国々のことですよ。大和、山城、摂津、和泉、河内です」
「んん?」
紫紺が首を傾げてしまう。
そうですよね、ちょっと難しいですよね。
「都の外ということです。この都の外にもたくさん都のような場所があって、そこにもたくさんの人が暮らしているのですよ。畿内巡りとは、そこを旅するということです」
「うーん、たび……。にっき? てならいでよんだ」
「ふふふ、それは旅の日記ですね。しっかり手習いしているのですね、えらいですよ」
いい子いい子と頭をなでなでしてあげます。
どうやら紫紺は手習いで土佐日記を読んでいたようですね。土佐日記とは貴族の旅の日記なのです。
まだ三歳の紫紺ですが、さすが次代の天帝です。神格の力を宿した子どもでした。
そして意味が分かれば瞳がキラキラ輝きだします。
「ちちうえ、みんなできないめぐりするのか!?」
「そうだ。俺と鶯と紫紺と青藍で畿内巡りだ。明日出発するぞ」
「やったー! みんなでたびだ! せいらん、たびだぞ! みんなでおでかけだ!」
「あう?」
青藍がきょとんとして首を傾げます。
そうですよね、青藍にはちょっと難しいですよね。
でも紫紺は一生懸命教えようとしてくれます。