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流転新生 

 明日、私は転生する。

 紫は頂に立ち、足元に広がるどこまで続くとも知れない霧を見下ろした。ココは俗にいうあの世という場所だ。その一番端っこ。出口とも言える場所に紫はいた。ここから現世にいくのは簡単だ。一歩踏み出せばいい。一歩踏み出せば、まっさかさまに落ちる。それだけだ。そうすれば現世へと落ちていき転生は完了する。ただ、それだけだ。

 

 でも…その先に待っているものを私は望んでいるだろうか?


 紫は白い霧に隠された世界を見つめた。だが、いくら見つめたって答えが浮かび上がることなどない。生れ落ちる直前の世界とはいえ肉体の無い世界でのこと。全てはどこか曖昧で薄ぼんやりとしている。考える頭さえまだ持たない身で自ら答えを出すのは難しい。それに生まれることは死ぬのとは違う。選択の余地は全く無い。明日転生すると決められたなら転生するしかないのだ。だけど…。

「やめとけよ。俺、年上は好みじゃないぜ」

 聞き覚えのあるふざけた声が紫の背後で響いた。

「こっちじゃ一日違いでも現世じゃ何年も違ったりするからな。気をつけろよ。明日も俺の後で飛べよ。年下で若い奥さん貰うのが俺の夢なんだから」

 紫は振り返った先に思ったとおりのにやけた顔を見てため息をついた。

「やめて百八ひゃくやつ。聞き飽きたわ、その冗談」

 紫の態度に百八は肩をすくめた。

「飽きたとは酷い。飽きるほど一緒に居られるのはまだまだ先の話だぜ」

「そうね。来世で結ばれるなんて、冗談というより呪いね」

「酷い……」

「酷いのはどっちよ」

 百八とは転生指導のクラスが同じだ。隣同士の席になったのをいいことに、百八は紫に来世で結ばれる運命だからと事あるごとに言ってくる。今にして思えば確かに呪いに近い。何度も言われれば、紫だって多少はその気になる。多少では、あるが。その気には、なる。

「男の純情を弄ぶなんて……紫ってば酷い。クスン」

「弄んでないっ」

 なのに、百八は勝手な事を言っては勝手に紫を責める。生まれる前から男なんて勝手だ。……もっとも、男に生まれると決まっているわけではないのだけれど。

「もういい加減にしてよ。導師様の授業聞いてなかったの?」

 導師様とは現世における教師のようなもので生れ落ちる前の魂を導く役目の方々だ。紫は素直にその教えを受け止めていた。

「転生するには真っ白な状態にならなきゃいけないのよ。転生は明日に迫っているのよ。変な刷り込みをしようとするのはやめてっ」

 素直に受け止め過ぎて苦しいくらいなのだ。なのにコイツときたら。

「なんだよ、導師様の言うことを間に受けてんの?」

 ケラケラと笑う百八に、真摯に受け止めた様子はない。紫はさらに声を尖らせた。

「真に受けちゃいけないとでも言うの?」

 真に受けてはいけないなら、その言葉を真に受けて思い悩んでいる自分は間抜けそのものではないか。百八の思惑とは別の部分で紫は勝手に怒っていたし、その自覚もあったが、それを百八にぶつけられない苛立ちが紫の怒りを助長していた。

「怒らない、怒らない。そうは言って無いさ」

 紫の怒りがオーラに表れたのが見えたのか、百八はなだめるように言った。だが、それは逆効果に終わった。紫は八つ当たりの相手を求めていたし、百八相手なら八つ当たりだけではない正統な理由もある。うってつけの生贄だ。

「じゃ、なによ」

「まぁまぁ。ね、ちょっと座って落ち着こうよ」

「もうっ」

 怒りつつも紫は、百八の隣に腰掛けた。

「紫は真面目過ぎるんだよ」

 クスクス笑って百八は言った。

「百八は不真面目過ぎるのっ」

 苛立ちを隠さない紫に、百八は言う。

「仕方ないだろう。まだ赤ん坊ですらないんだからさー」

「そりゃ確かにそうだけど……。でも前世があるんだから、もっと分別があってもいいと思うのよ」

「分別~? そんなのがあったら転生組に振り分けられないと思うけど~? 人間もう一度やるよりも高等な役目貰えるんじゃないの? 例えば導師様職とかさー」

「うっ」

 確かにそうなわけで、紫は言葉に詰まった。

「紫は転生する前から肩に力が入り過ぎなんだよ」

 百八は紫の肩をポンポンと叩いた。その手が離れるたび、紫は心の中にある引っかかりが埃のように散っていくような気がした。……ま、気のせいなんだろうけれど。

「生まれちゃえばなんとかなるって。生まれる前からウジウジしてたら身が持たないよ。もっとも、まだ肉体すら無い身だけどさー」

 ニッと百八が笑う。いけない。丸め込まれそうだ。

「もっと気楽に行こうぜ。気楽に。赤ん坊以前なんだからカリカリすんなって。ま、そこが紫の可愛いトコだけどさー」

「……」

 こんな言い方をする奴に丸め込まれるのはイヤだ。絶対にイヤ。紫の中に残るナニかが紫を正気に返した。

「確かに。百八なんかの言う事を聞いてる場合じゃないわね。ほら、行くわよ。まだ最後の授業が残っている」

「待てよ、紫」

「何よ」

 立ち上がって先に行こうとした紫が振り返ると、思いのほか真顔で百八が言う。

「お前、女ね。絶対、間違えんなよ」

「……はぁ?」

「女で生まれてくれなきゃ、俺が困る。俺は、絶対男に生まれるから」

「……」

 まったくもって男ってヤツはっ。……いや、だからまだ男と決まったわけじゃないって。紫は心の中で乗り突っ込みに似た思考を巡らせつつ、大きく深呼吸をした。こんなヤツに心乱されるのは、赤ん坊以前だとしても許せない。一矢報いてやらねば。

「……なんだ」

「なに?」

 紫の意味ありげな呟きに、今度は百八が聞き返した。

「なんだかんだ言っても根性ないな、百八。私と結ばれる運命なんだってしつこく言うくせに、同性に生まれたら、ゲイになるだけの度胸もないなんて」

「……は?」

「男同士の可能性もあれば、女同士の可能性だってあるよ。あーあ。それでもお前と一緒に居たい、って言うなら、少しは考えてあげても良かったのになー。残念だなぁ~」

「ちょ……ちょっと」

「残念、残念」

 焦って立ち上がる百八をその場において、紫はさっさと教室に向かった。ちょっとだけ気分が良かった。が、それが逆に、紫が百八を気に留めている証明になるのだという部分は、絶対認めたくない紫であった。




「明日は旅立ちの日です」

 導師は一同を見渡して晴れやかに言った。互いの姿は肉体を持たず、魂だけで曖昧だ。そうであるにも関わらず、導師はいかにも導師というオーラを放っていて格の違いを感じさせた。正面に立った導師は包み込むような柔らかなオーラを皆に等しく注いでいた。だから魂達は素直に導師を見返して、素直にその言葉に耳を傾けた。その状態は心地よくて、この場に留まりたい誘惑すら感じさせた。それ以上の喜びを現世に生れ落ちる事に感じるには、それなりの儀式がいる。それを一番承知しているのは導師自身だった。

「皆さんには色々なお話しをさせて頂きましたが、今一度聞いて下さい」

 色々なお話の内容は多岐に渡っていたが、それは最終的に授業と真逆の意味を持っている。

「全てを忘れ、無になってください。前世の記憶は忘れてしまうことです。ここでお話した事も覚えている必要などありません。まだ覚えている方がいたら、この場に置いて転生してください。転生に記憶など必要ないのです」

 導師は安心感を誘う、穏やかなオーラで一同を包んだ。

「……」

 駄目です、導師様。

 紫は心の中で呟いた。本来、導師の言葉通り、前世の記憶を持ったまま転生は出来ない。実際、この場にいる殆どの魂からは前世の記憶は消えているだろう。だが紫の魂の中には、前世の記憶が残っていた。今、紫達が持っている数少ないもの。魂の奥にある心。その感情の細かい迷路の中に、紫の過去はこびりついていた。

「記憶は因縁と繋がっています。新しい人生に前世の因縁など持っていってはいけません。皆さんは生れ落ちる事が出来る選ばれた魂なのです。それは前世をキチンと生きたご褒美でもあるのです」

「……」

 違います、導師様。紫は前世の自分がどんなであったかを知っていた。少なくともキチンと生きた人間ではなかったのを知っていた。

「前世になにがあったかを気にする必要などないのです。皆さんには前世を引きずることなく、新しい人生をキチンと生きて頂きたいのです」

「……」

 本当ですか? 導師様。私の記憶が確かなら、私にはその資格はありません。紫は迷路の中に置き去りにされた暗い影を見る。そこには、確かに書いてあるのだ。紫の前世の終わりは自殺であったと。酷く暗くて重たい思い出だ。それはカラカラに乾いてこびりついた血の色をしていた。古過ぎる思い出は詳細な情報を持たない。紫に分かるのは、自分が自殺した事と理由が男に裏切られたという事だけだ。

 明日なんてこなければいい、と、思った。

 明日なんて要らない、と、思った。

 カラカラに乾いた血の色は、今でも紫を苦しめるだけの力があった。

 そんな自分が明日、転生する魂の中に混ざっているなんて、神様の仕事もいい加減だ。

 自分の中を知りながら、黙っている紫もいい加減だ。

 明日転生する。

 決まっているから。抗えないから。

 それを理由にさっさと転生してしまおうとしている自分が、ここにいる。

「真っ白な心で転生して下さい。皆さんの幸多い人生を祈っております」

 穏やかな導師の声が響く。

 残っている暗い記憶を明日までに消すのはとても無理だ。

 紫は薄く笑った。


「紫~」

 教室を出た紫の後ろから、百八の陽気な声がついてきた。

「紫、無視すんなよ。明日の次に会えるのは何年後になるかワカンナイんだから」

「そうね。何年後になるかワカンナイわね」

「……紫? どうした? なんか変だよ」

「そう、変なの私。だから、明日の転生は見送って貰うつもり」

「見送るって……それってどういう……」

「どうするもこうするも、明日の転生は中止してもらうの。今から導師様にお願いしにいくのよ」

「中止って……おい、紫っ」

「はなしてよっ、百八」

「はなさないっ。どういうことか説明しろよ」

「アンタに説明する義務はないっ」

「いいからっ。落ち着けよ、紫っ」

「私は落ち着いてるっ」

「落ち着いてないっ。おかしいよ、紫」

「そう、オカシイのよ私っ。私には前世の記憶があるのっ。このまま転生なんて出来ないっ」

「……紫……」

 ようやく事態を飲み込んだ百八は、紫をどうにかなだめて座らせた。

「私……おかしいのよ……前世の記憶が消えない……」

 紫は百八に抱えていた不安をぶちまけた。百八は思いのほか神妙にその話を聞いていた。話し終えた紫は、百八の言葉を待った。紫の想像とは逆に沈黙が続いた。

「……何か言いたいんじゃないの?」

 沈黙に耐え切れず、紫は聞いた。

 落ち着きを取り戻した紫は、自分の話の陳腐さに恥かしくなってきた。

 男に裏切られて自殺なんて、なんともはや情けない。

 言葉にしてしまった途端、暗い血の色の思い出というよりは笑い話のような気がして紫はいてもたってもいられなくなった。

「ん……」

 百八は考え深げに言いよどんだ。それがまた、紫にはたまらない苦痛を与えた。

「言いたい事があるならはっきり言いなさいよっ」

 こんな言い草はないだろうと思いながらも紫は言った。百八は真面目な顔をして紫を見た。息を呑んだ紫に、百八は意外な事を口にした。

「紫は……紫は、煩悩を中途半端に受け入れるから駄目なんだよ」

「……は?」

 紫はポカンと百八を見た。

「紫は、導師様の言葉を真に受けているんだろうけど。真っ白になんて、なれるワケがないじゃないか。他のみんなだってそうだよ」

「……え?」

「俺だってさー、穢れなき真っ白な魂だとしたらさー、肉体を持つ前から紫を口説くわけないじゃん」

「……」

 そりゃそうだ。

 紫は気が付いて口をあんぐりと開けた。

 バカだ私。バカみたい。こんないい見本が目の前をチョロチョロしてるのに気付かないなんてっ。

「だからいつも言ってるじゃん。紫は導師様の言う事を真に受けすぎだって」

 呆然とする紫に百八は追い討ちをかけた。

「俺だってなれるもんなら穢れなき魂になりたいけどさー。そうそうなれるもんじゃないだろ? だったら、そんな自分をありのまま受け入れるしかないじゃん」

「……」

 そうか、そうだったのか。新たな発見だよ……。

「紫はさー、悪いほーに考え過ぎんだよ。煩悩だって悪いモンって決め付けてんだろ?」

「……違うの?」

「表もあれば裏もある。利があれば害もある。何にだって両面があるんだよ。煩悩だって、そうだよ」

「……そうなの?」

「そうだよ」

「よくワカラナイ……」

「ワカンナイかなぁ。煩悩を全部受け入れたら、悪い方になんて行きたくてもいけないんだけどなー」

「なんで?」

 百八は思いのほか真面目な顔をして紫の顔をじっと見た。紫も百八を見た。何を言おうとしているのか探りたくて。しばらくして、百八はいつものようにニッと笑って言った。

「教えてやらない」

「なによ、ケチ。卑怯者~」

「ハハッ。現世でゆっくりじっくり教えてやるよ」

 そのとき浮かべた百八の笑顔があまりに迷いなく晴れやかで、はからずも紫は頬を染めた。

 呪いが現実になるのは悔しいけれど。現世で自分がどうなるかなんて欠片も分からないし、分からなくてもいい。

 紫は素直にそう感じていた。


「今日は、旅立ちにふさわしい日ですね」

 導師は一同の前に立ち、慈悲深い笑みを浮かべた。

「さぁ皆さん。勇気を持って明日への一歩を踏み出してください。」

 導師の一言で、魂達は歓声を上げながらせきを切ったように頂から霧の向こうを目指して次から次へと飛び込んでいった。

 どうしよう?

 紫は呆然と落ちていく魂を見送っていた。困ったな、と、思う一方で紫は動けない自分をさらに止めようとしている自分を感じていた。

 怖いのだろうか。

 迷っているだけだろうか。

 戸惑っているのだろうか。

 自分の感じている感情を表現する言葉は浮かばない。ただ立ち止まっている事実だけが紫の傍らにあった。

 百八が紫の肩をポンと叩いた。

「じゃ、俺は先に行くから」

 百八は勢い良く頂から飛び降りた。

「浮気すんなよ、紫~」

 呑気な叫びを残して、百八は霧の向こうへと消えていった。

 紫と導師は顔を見合わせて苦笑した。

 次から次へと新たな魂が新たな世界へ下りていく。

 最後に紫が残った。

「さぁ、紫。おゆきなさい。何も恐れる事はありませんよ」

 導師はにっこりと笑って、霧の向こうへと誘った。

「……」

 私は、恐れているのだろうか?

 恐れているのだとしたら、何を?

 思考を巡らせるべき体がない今、その答えは分からない。今あるのは心だけ。感情だけ。じっと心の中を覗いてみる。迷路のように入り組む感情の影に、前世の記憶はまだ残っていた。これを持ったまま現世へ下りてかまわないのだろうか。

 紫は導師を見た。導師は笑っていた。迷いもなく、晴れやかに。

「おゆきなさい、紫」

 紫は導師の言葉に会心の笑みを見せた。そしてポンと地を蹴って霧の中へと飛び込んだ。

 女は度胸……なーんて、生まれてみなきゃ性別なんてワカンナイけど。

 紫は落ちていきながら、百八の影響を受けている自分を笑った。

 ドコに辿り着くか分からないことに不安を感じるか、ワクワクするかは人それぞれ。

 紫はどこかワクワクしている自分を感じて、くすぐったかった。

 これも百八の影響なのだろうか。

 不安はない。

 ふわり、と、何かが紫を受け止める。

 暖かなその場所に穏やかに受け止められ、紫は待った。

 生まれ出る明日を。

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