昔から真似ばかりしてくる幼馴染の令嬢に「あなたと同じ人を好きになってしまった」と言われ、婚約者を奪われました。でも、私を裏切って結婚して以来二人はすこぶる体調が悪いようです。
私──ジェシカ・クラインには同い年の幼馴染がいる。
その幼馴染の名はマグダレーナ。名門侯爵家の令嬢だ。
彼女とは家族ぐるみの付き合いだから、物心がついた頃には既に友人同士だった。
けれども……正直、私は彼女のことをよく思っていなかった。というのも、事あるごとに私の真似をしてくるからだ。
髪型や服装や持ち物はもちろんのこと、趣味や趣向まで何でも私の真似をするのだ。
例えば──私が芝居を見てある舞台俳優のファンになったと言えば翌日にはもうその俳優に関するグッズを大量に買い集めているし、お気に入りのケーキ屋があるという話をすればいつの間にか彼女もその店の常連になっている。
他にもマグダレーナに関するとんでもエピソードはまだまだあるのだが、挙げればきりがないので一先ず割愛しておく。
一応弁明しておくが、私は最初からマグダレーナのことを嫌悪していたわけではない。
私だって、小さい頃は一番の友達であるマグダレーナとお揃いの髪型にしたり服を着たりしているとなんだか嬉しかったし、楽しかった。
大人たちから「お揃いで可愛いね。まるで、双子の姉妹みたいだね」なんて言われると、彼女と二人で「ねえ、聞いた? 私たち、姉妹みたいだって!」と言いながらキャッキャとはしゃいだりもした。
だから、「なんでもかんでも友達とお揃いにしたい」という気持ちが全くわからないわけでもないのだ。
とはいえ、大抵そういう気持ちは成長するにつれて自然と消えていくものだ。現に私自身がそうだったし、一般的にもそうだと思っている。
でも、マグダレーナは違う。一向に私の真似をやめようとしなかったし、寧ろ年齢が上がれば上がるほど輪をかけてそれが酷くなった。
なぜなら、彼女は私が好きになる相手まで真似をするようになったからだ。
もう、あそこまでいくと何かの病気なんじゃないかとすら思う。成り代わり願望の類なのかもしれないけれど、それにしたって常軌を逸している。
そして、中等部に上がってからは──好意を抱く相手を真似するだけでは飽き足らなかったのか、やがて彼女はその相手を自分のものにするようになった。
つまり、私を出し抜いてその人と恋仲になったのだ。もしかしたら、私より優位に立ちたいという気持ちもあったのかもしれない。
一方で、彼女には狡猾さも目立つようになった。
以前と同じように、私の髪型や服装や持ち物などを真似するという点は変わらないのだが……流石に周りの目を気にし始めたのか、一見真似なのか真似じゃないのか分かりにくい微妙なラインを攻めてくるようになったのである。
お陰で、私が別の友人に「マグダレーナはいつも私の真似ばかりする」と愚痴っても、「え、そう? 確かにちょっと髪型とか服装が似ているけど、偶然だろうし気にしすぎじゃない?」と逆にこちら側が被害妄想の強い狂人扱いをされる始末だった。
……とまあ、こんな感じでマグダレーナに対する不満ならいくらでも挙げられる。
何度でも声を大にして言うけれど、はっきり言って私は彼女のことが大嫌いだ。今すぐ絶交したいし、金輪際関わらないでほしい。
なのに、なぜ未だに縁を切らないのかというと──前述の通り、家族ぐるみの付き合いがあるからだ。
私の父は名目上はマグダレーナの父親の友人ということになっているが、その実、兄貴分と舎弟のような関係なのだ。
その上、うちは伯爵家で相手は名門侯爵家。向こうのほうが爵位が高いこともあって、当然ながら逆らえない。
そんなわけで……必然的に、娘である私もマグダレーナの言いなりにならざるを得ないのだ。
気づけば、なんだかんだとマグダレーナに対する不平不満を垂れ流してしまったけれど……今、私は婚約者であるエルネストと順調に交際している。
マグダレーナにも親が決めた婚約者がいるし、流石に私の婚約者を寝取ったりはしないはず。
そう自分に言い聞かせながら、ここ最近は平穏な日々を送っていた。
そんなある日。突然、エルネストから学園の裏庭に呼び出された。
こんな人気のない場所に呼び出すなんて、一体どうしたんだろう。
なんとなく不穏な予感がしたけれど、とりあえず私は指定された場所へと赴く。
「エルネストったら……こんなところに呼び出して、一体どういうつもりかしら」
呟いた途端、背後から足音が聞こえてきた。
どうやら、一人ではないようだ。二人の人間の足音が近づいてくる。嫌な予感がしつつも、私は意を決して振り返った。
「エルネスト……? それに、マグダレーナも……」
案の定、そこにいたのはエルネストと──彼にぴったり寄り添うように立っているマグダレーナだった。
ああ、そうか……またか。またなのか。一瞬で二人の関係を悟った私は、なぜか冷静にその事実を受け止めていた。
(またマグダレーナに『好きな人』を真似されたのね、私)
でも、不思議と悲しいとか悔しいとか、そういう感情は湧いてこなかった。
強いて言うなら、虚無。エルネストはすっかりマグダレーナの虜になっているみたいだし、恐らくこの婚約は破談だろう。
ともすれば、私は今後もマグダレーナによって人生を滅茶苦茶にされかねない。けれど、なんだかもうどうでもよかった。
本来ならば、信頼していた婚約者に──エルネストに裏切られたことにもっとショックを受けるべきなのかもしれないけれど。
それよりも、気になるのはマグダレーナの真意。一体、彼女は何が目的なのか。
もしかしたら……実は昔から私のことを憎んでいて、じわじわと時間をかけて追い込んで苦しめたかったとか?
考えば考えるほどわからないし、謎だった。
「遅くなってごめん、ジェシカ」
バツが悪いのか、エルネストは目をそらしながらそう言った。
「……どういうことなのか説明してもらえるかしら? エルネスト」
大体事情は察せたけれど、一応聞いてみる。
すると、エルネストはマグダレーナのほうをちらりと見ながら答えた。
「僕は、彼女を──マグダレーナを愛してしまったんだ。ああ、わかっているさ。僕には君という婚約者がいる。だから、心移りなんかしてはいけないのに……彼女のことを知れば知るほど、惹かれてしまって。もう、自分ではこの気持ちを抑えることはできなかったんだよ」
恍惚とした表情でそう語るエルネストは、まるで魔法か何かにかけられているようだった。
「ごめんなさい、ジェシカ。私……あなたと同じ人を好きになってしまったの」
マグダレーナはわざとらしく目を伏せると、しおらしい態度でそう言った。
この台詞を聞くのも、もう何度目かわからない。それくらい、私は彼女に好きになった人を奪われてきた。
「……というわけで、ジェシカ。申し訳ないが、君との婚約を破棄させてもらう。僕は、マグダレーナと新しく婚約を結び直したいんだ」
「えーと……ちょっと待って。マグダレーナ、あなた自分の婚約者とはどうするつもりなの?」
「それについては、心配はいらないわ。相手はちゃんと理解した上でお別れしてくれたし。それに、お父様も『お前がそこまで彼を愛しているのなら仕方がない』と言って納得してくれたわ。だから、あとはジェシカ次第なの。……私たちのこと、許してくれないかしら?」
私は唖然とした。前々からマグダレーナの父親は親馬鹿だとは思っていたが、まさかここまでとは。
それに、マグダレーナの元婚約者もなんだか変だ。一方的に婚約を解消されたのにもかかわらず、文句一つ言わないなんて。実は、裏で弱みでも握られて脅されていたりするのかしら?
色々と腑に落ちない点は多いけれど……今、この場で私がしなければいけないことはただ一つ。
それは──いつものようにマグダレーナの横暴な振る舞いを許し、首を縦に振ること。
そうしないと、彼女の父親が権力を行使して最悪クライン家を没落まで追い込むだろうし、家族全員が露頭に迷いかねない。
だから、私はこう返事をしたのだ。
「わかったわ。二人が惹かれ合ってしまったのなら、それはもう仕方がないことだものね。私は、大人しく身を引きます」
そして、最後に「幸せになってね。応援しているわ」と心にもない言葉を付け加えた。
きっと、びっくりするくらい抑揚のない声でそう言っていたと思う。何しろ、虚無感しかなかったから。
(でも、今回の件で確信した。──マグダレーナは、きっと私が苦労して積み上げてきたものを奪って手柄を横取りしたいんだ)
昔は、ただ単に私の真似をしているだけだった。
でも……中等部に上がってからは、どんどんその傾向が強くなってきた気がする。
(そういえば……)
ふと、半年前のある出来事を思い出す。
当時、私はレポートのことで中等部の頃に担任だった男性教師によく相談をしにいっていた。
その先生は日頃から勉強のことで悩んでいると親身になって相談に乗ってくれていたから、強い信頼を寄せていたのだ。
先生のお陰で、レポートの進捗状況は順調だった。そして、完成まであと一息というところまで進んだ頃。
マグダレーナから、突然「レポートが書き上がったから見てほしい」とアドバイスを求められたのだ。
彼女が書いたテーマは、「精霊と魔法の関係について」。それを見た瞬間、嫌な予感がした。
何故なら、私が書いているテーマと全く同じだったから。内容に目を通した瞬間、その予感は的中する。
──テーマだけではなく、内容まで私が書いていることとほぼ同じだった。
もちろん、文章はまるっきり同じというわけではなかったのだけれど。でも、ここまで似ていると後出しした私が彼女のレポートを盗作したようにしか見えない。
だから、私は泣く泣くそのレポートを破棄し、提出することを諦めたのだ。
当然ながら、提出期限には間に合わず……一人だけレポートを提出できず恥をかくわ、教師からは叱られるわで散々な目に遭った。
マグダレーナは、提出したレポートが評価され教師から絶賛されていた。
本来なら私が受けるはずだった称賛を、彼女はさも自分の手柄かのように「そんな……大げさですわ、先生」と謙虚に振る舞いつつも受けていた。
私は腑に落ちなかった。マグダレーナには、自分が書いているレポートを見せたことは一度もない。
それなのに、なぜ彼女は私が書いているレポートのテーマや内容を知っていたのか。
そこまで考えて、ふと頭にある考えがよぎった。
(もしかして、あの先生がマグダレーナに……?)
よく考えてみれば、マグダレーナに私が書いているレポートの内容を教えられるのは彼しかいない。
でも、どうして? 中等部にいた頃から、すごく親身になって相談に乗ってくれていた良い先生だったのに。
にわかには信じ難かった。けれど、その疑惑は数ヶ月後に確信へと変わった。
その先生は横領が発覚し、懲戒免職処分となったのである。もしやと思った私は、思い切って先生に詰め寄ってみた。
すると、彼は逃げられないと思ったのか白状した。「君のレポートのテーマや内容を教える代わりに、報酬としてマグダレーナからまとまった金を受け取った。ギャンブルで借金を抱えてしまい、金に困っていた」と。
そんなことを思い出しながら、私は帰路についた。
婚約者から裏切られた挙句、婚約破棄を切り出されたばかりだというのに──やっぱり、全然涙は出なかった。
***
半年後。
学園を卒業すると同時に、マグダレーナとエルネストは結婚した。
その後すぐに、二人はどういうわけか私を訪ねてきた。
もしかしたら、幸せアピールでもしたかったのかもしれない。厚顔無恥とはまさにこのことだろう。
図々しく邸に上がり込んできた二人は、部屋の壁紙に興味を示していた。
というのも、クライン邸の壁紙は全部屋を鮮やかな緑色で統一してるのだ。
緑色の壁紙は今、王都で大流行している。二人は郊外に住んでいるから、きっと初耳だったのだろう。
「すごく綺麗な壁紙だね。どこで買ったんだい?」
エルネストが興味津々な様子で尋ねてきた。
「ああ、これは──」
そこまで言いかけて、私ははたと止まる。
(そういえば、この壁紙……健康被害があるんじゃないかって、一部では噂になっているのよね)
というのも、この鮮やかな緑色の壁紙にはヒ素が使用されているのだ。
企業側は口に入らない限り安全だと謳っているが、現にヒ素を使用した緑色の壁紙が流行りだしてから王都では原因不明の体調不良に苦しむ人や謎の死を遂げる人が急増している。
そんな怖い噂があるのに、なぜクライン邸では全部屋をこの壁紙で統一しているのかというと。
クライン家の人間は、生まれながらにして毒に対する耐性を持っているからだ。
父が言うには、何代か前の当主が瀕死になっている精霊を助けたことがあるらしく、それ以来この家の人間は精霊の加護を受けているのだとか。
とはいえ、使用人はもちろん耐性を持っていないから、独自ルートで入手した解毒効果もある特別な薬を予防的に飲ませている。
(怖い噂もあるし……毒に耐性があるクライン家の人間ならともかく、全く耐性を持っていない人にこの壁紙を勧めるのは気が引けるわね)
そう思っていると。物珍しげに壁紙に見入っていたマグダレーナが、爛々と目を輝かせながら会話に割って入ってきた。
「この緑色の壁紙、とても素敵だわ! ねえ、ジェシカ! これはどこのお店で買ったの!? ぜひ、教えてちょうだい!」
ああ、そうだ。そういえば、マグダレーナはこういう人だったわね。
すぐ私に感化されるから、きっと自分が住んでいる邸も全部屋この鮮やかな緑色の壁紙に貼り替えたいとでも考えているのだろう。
貴族学園を卒業して以来、私は忙しい日々を送っていた。
父が持ってきた新しい縁談に対応しないといけなかったし、その中の何人かと顔合わせをしたりしていたから。
だから、マグダレーナや元婚約者であるエルネストのことを考える余裕などなかったのだ。
なぜかわからないけれど、また自分の真似をしようとしているマグダレーナを見たら不意に怒りや憎悪が湧いてきた。
エルネストを奪われた当初は虚無感しかなかったけれど、もしかしたら時間が経ったお陰でちゃんとした感情を取り戻せたのかもしれない。
だから、私はこの危険な壁紙の詳細を彼女に教えることにしたのだ。
「素敵な壁紙でしょ? この壁紙を買ったお店はね──」
***
数ヶ月後。
私は運良く見合いで良縁に恵まれ、年上の名家の子息と結婚した。
理解のある夫だから、マグダレーナやエルネストに関する愚痴も親身になって聞いてくれている。
「──そんなわけで、あなたと結婚するまでに色々あったの」
「そうか……それは大変だったね」
夫は神妙な顔でそう返した。
彼は常識人だ。やっぱり、普通の人からしたらマグダレーナやその家族、そしてエルネストはかなり異常らしい。
「でも……今は、その二人も病床に伏しているんだろ? 一体、何が原因なんだろうな」
彼は不思議そうに首を傾げる。
けれど、私は知っている。二人が体調不良で苦しんでいる原因を。
──恐らく、私が教えたあの壁紙だ。あの後、案の定マグダレーナは私に感化されたようですぐに自分たち夫婦の寝室の壁紙をヒ素を使用した緑色の壁紙に変えたらしい。
本当は全部屋を緑色の壁紙に貼り替えたかったらしいのだが、生憎人気がありすぎて品薄になっており手に入らなかったのだとか。
壁紙を新調した当初は「王都で話題の、流行の最先端の壁紙なのよ」などと知り合いの御婦人方を邸に招いて自慢していたそうだが、暫くして夫婦揃って体調不良に見舞われたらしい。
彼らの体調はなかなか回復せず、今もなお寝込んでいる状態だと聞いている。
「さあ……? もしかしたら、天罰が下ったのかもしれないわね」
私は微苦笑しつつも、夫にそう返した。
半年後。
私の元に、マグダレーナの訃報が届いた。
その知らせを受けてからは通夜や葬儀に参加したりと何かと忙しかったが、漸く暇ができたので私は改めて彼女が眠っている墓地に一人で赴いた。
「改めて見ると、なんだか寂れた墓地ね」
墓地に到着すると、私は独り言ちながらも辺りを見渡した。
マグダレーナの墓碑を見つけると、私はおもむろに側まで歩いていく。そして、彼女の墓碑の前に買ってきたばかりの花を添えた。
「ねえ、マグダレーナ。今朝、聞いたのだけれど……あなたの夫──エルネストの容態が悪化したそうよ。だから、彼ももうすぐあなたの元に行くんじゃないかしら? よかったわね、これで愛する夫と再会できるわよ」
死屍に鞭打つように、私は墓碑に向かって冷酷な言葉を言い放つ。
「それにしても、本当に残念だわ。私の真似さえしなければ、あなたは死なずに済んだのにね」
更に皮肉を込めてそう付け加えた。
マグダレーナが聞いたら顔を真っ赤にして憤慨しそうだが、当の本人はもうこの世にいないので抗議をすることもできない。心底、いい気味だった。
「さよなら、マグダレーナ。ああ、それから……私、もう二度とここには来ないと思うわ。今日わざわざ来たのは、あなたの夫の容態が悪いことを伝えるためよ。──正直、自分でも悪趣味だなとは思うけれど。でも、あなたが今まで私にしてきた仕打ちに比べたら、これくらい可愛いものよね?」
吐き捨てるようにそう言うと、私は足早に墓地を後にした。
数年後。ある科学者がヒ素を使用した壁紙の危険性について論じたのを皮切りに、新聞や雑誌などで大々的にそのことが報道されるようになった。
マグダレーナとエルネストの死因も、ヒ素を使用した壁紙が原因なのではないかと社交界では噂になっていたが──本人たちはもうこの世にいないため、結局のところ真相は闇の中である。