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幼女の覇道 ~愛される技術  作者: えいみK
五章 愛される日々。理想郷。
6/8

愛して、愛される

 そんなふうに、いろいろ失敗もあったし、すべてが順調、順風満帆というわけではなかったが、ナデシコとパパとママの暮らしは破綻することなく続いた。

 その暮らしは、パンガイア世界でのそれと、あまりに違い過ぎて、時々うんざりすることもあったがな。

 最大の違いは一人になれないこと。

 パンガイア世界では、俺はいつも一人だった。

 亜神は、神にも人間にも嫌われていた。大きさが違っていたせいもあるだろう。

 亜神の背丈(全長)は、大抵、人間の三、四倍。俺のように五倍近い巨躯を持つ者もいる。

 大きさ以外の外見が神や人間にそっくりな俺は、亜神たちにも嫌われていた。

 神や人間のように学習能力を持ち、本能より理性の方が勝っている俺を、感情と力で生きている亜神たちは異物と見なしたんだ。

 俺は、大きさが違うせいで、神に嫌われ、人間に恐れられ、中身が違うせいで、亜神たちからは疎まれていた。

 つまり、好むと好まざるとにかかわらず、パンガイア世界では、俺はいつも一人だった。

 しかし、こっちの世界では真逆。

 こっちの世界では、俺は一人になることができない。


 俺は勝手にどこかに行ったり、不注意に危険物に近付いたりはしない。

 しかし、この世界ではナデシコくらいの歳の子供はそういうことをするものだと思われているらしく、大人は幼い子供から一分たりとも目を離してはならないことになっているんだ。

 いつ亜神退治のために出動しなければならなくなるかわからない戦闘員が、幼児を育てることは難しい。

 日中、亜神が現れると、パパとママのどちらかと武士お兄ちゃんたちが亜神の元に飛ぶ。つまり、パパとママのどちらかは、ナデシコの側に残る。

 これがどういうことかというと、ナデシコがやってくるまでは、五人で戦うことが多かったのに、ナデシコがやってきてからは四人での戦いがデフォルトになってしまったということだ。


 ナデシコのパパたち五人には、戦いにおける得意分野がある。

 パパは超低温系武器の扱い。ママは気体の操作。武士お兄ちゃんは超高速。水樹お兄ちゃんは液状のものの操作。光輝お兄ちゃんは超高温武器の扱い。

 五人で敵に対峙し、敵の弱点を探り、敵を倒すのに最適な二人が攻撃の中心になり、残りの三人がバックアップにつく。

 それが、パパたちの戦闘の標準的フォーメーション。

 俺の時は、パパとママが組んで、ママが気流を操作して俺の動きを封じ、パパが超低温の武器で俺を瞬時にフリーズドライ。それをバックアップの三人が気化ガスで気化したらしい。

 この世界に来た時、俺は我が身に何が起きたのか、咄嗟に理解できず、半分パニックになって、周囲の木や柱を薙ぎ倒し、車を蹴飛ばし、ビルに蹴りを入れたりして、大暴れしたからな。『動けなくして、被害を最小限に食いとめる』が最優先課題だったんだろう。

 とにかく、そんな感じで、パパたちの亜神退治は、常に五人一チームの団体競技。そういう戦い方を練習してきたし、慣れてもいた。

 ところが、だ。

 そこに、一時も目を離すことのできない幼女登場。

 パパがナデシコの側に残ると、低温系の攻撃が弱くなり、ママがナデシコの側に残ると、気体を使った攻撃ができなくなる。

 ナデシコのせいで、パパたちは苦戦するんだ。

 亜神たちは、どういうわけか東京都内――というより、スタジオビルの周辺――に出現することが多い。

 いや、亜神が出現する場所だから、スタジオビルはここに建てられたんだ。おそらく。

 だから、パパたちが出現場所に向かうまでもないこともある。

 そんな時、パパたちは、ナデシコを庇いながら戦うことになり、またもや苦戦だ。

 ナデシコは、パパたちにとって、とんだお荷物なんだ。

 亜神たちの八割は、人間の三、四倍の大きさの体躯を持つ。

 そして、亜神たちの九割は、人間レベルの知性も理性も持たない。

 しかも、この世界に出現する時点で既に手負いであることが多く、凶暴性を帯びていて、むやみに暴れまわる。

 たとえ言葉が通じたとしても、聞く耳を持っていない状態だ。

 奴等が俺同様、パンガイア世界から最高神によって転送されてきたのだとすれば、へたに知性がある方が混乱も大きいだろう。さほど大きくなく、非力で、知性のある亜神がこの世界にやってきてくれれば、なぜこんなことになったのか、その経緯を確かめることもできるんだが――。

 いや、無理か。

 俺はナデシコの中に取り込まれたから、この世界の言葉が理解できているが、ナデシコ(今の俺)はパンガイア世界の言葉を話せない。へたをすると、理解することもできないかもしれない。

 結局、今の俺にできることは、おそらくパンガイア世界から最高神によって送られてくる手負いで凶暴な亜神たちを排除するために戦うパパたちの足手まといになることだけだ。

 亜神だった時の力があれば、俺だって、パパたちの力になれるのに――!


「優理、ナデシコを頼む!」

「了解。ナデシコちゃん、こっちに来て」

 亜神を倒すことより、ナデシコを守ることを優先するから、パパとママは、時にしなくていい怪我をすることもある。

 血も繋がっていないのに――パパたちは、ナデシコを守るために命をかけるんだ。

 パンガイア世界で、俺の父は俺を殺そうとしたのに。

「ナデシコ、無事か!?」

「ナデシコちゃん。今の怪物は、ドラマ撮影のための作り物だから、怖がらなくていいからね」

「本物でも無問題だ。なにしろ、俺たちは強いからな」

「きっちり片付けたことだし、ナデシコは忘れた方がいい」

「そうだな。夢に見たりしたら大変だ」

 凶暴な亜神を倒したパパたちが、結構な怪我を負っていても、最初に口にするのはいつもナデシコを気遣う言葉だ。

「ナデシコ、ぜんぜん大丈夫だよ!」

 ナデシコが頷くと、パパたちは揃って嬉しそうに笑う。

 俺は男だ。ママはともかく、男共の笑顔なんて、どれだけ並べられても、有難くも何ともない。

 有難くも何ともないはずなんだが、その中にママが混じっているせいか、五人の笑顔を見る目がナデシコのものだからなのか、そんな時、俺は、変に胸が高鳴り、誇らしく嬉しい気持ちになる。

「ナデシコ、ぜんぜん大丈夫!」

 俺が何度も『大丈夫』を繰り返すのは、もちろん、実際に自分が大丈夫だからだが、それ以上に、パパたちの笑顔を守るためだった。

 俺 (ナデシコ)がパパたちに守られ愛されていることを実感するためだった。


 この世界の人間は情が深い。

 パンガイア世界の人間たちもそうだったんだろうか。俺は、気位の高い神々に蔑まれ疎んじられ、俺の巨躯を怖れる人間たちとも交わることができず、いつも一人で――人間がどういうものなのか知る機会を持てなかった。

 神たちを害獣、人間たちを害虫だと思い、俺自身も奴等を蔑み、避けた。

 あれは、奴等に好意を抱かれない俺という存在を守るためのことだったのだと、今ならわかる。俺を愛してくれる大勢の人間に囲まれている今なら。

 ナデシコのパパとママは、ナデシコの身の安全を守ることが最優先。自分の身の保全より、我欲を満たすことより、ナデシコを守ることに重きを置いている。亜神との戦いの場では言うに及ばず、自分たちが疲れている時、傷付いている時、眠い時、空腹を覚えている時にさえ、ナデシコの他愛のない我儘の方を優先する。

 ママはナデシコの我儘を叶えてくれないことも多いが、ナデシコの訴えを聞きもせずに拒絶することはない。少なくとも、話は聞いてくれる。駄目な時は、駄目な理由を説明してくれる。

 案外、ナデシコの望みを何でも叶えてくれるパパより、いちいち駄目な理由を俺に説明し納得させようとするママの方が、ナデシコに手間をかけてくれているのかもしれない。

 ナデシコはもちろん、どんな望みでも叶えてくれるパパの方が好きだが、そのパパがママに勝てないからな。

 非力な少女は、非力なことと可愛らしさが武器。パパを味方につけて、ママと戦う。

 こんな戦い方しかできないなんて、心底から情けないと思うが、力を失った今の俺にできることは他にない。俺は、今の自分にできることを、精一杯するだけだ。



 ナデシコは、パパとママと一緒に公園に行くのが好きだ。

 パパたちと暮らすようになって最初の一ヶ月ほどは、スタジオビルのエントランスガーデンや中庭やジムで遊んでいたが、『ナデシコちゃんには、同年代のお友だちとの接し方を覚えることも必要だよ』というママの意見を容れて、ナデシコは公園デビューというのをすることになり、実際にした。

 ナデシコの公園デビューは大成功だった。そう、パパは言った。

 パパがナデシコの公園デビューを『大成功』と評する根拠は、『公園に来ていた子供たちの中で、ナデシコがいちばん可愛かったから』。

 パパの言うことは正しい。事実だと思う。

 ナデシコは可愛い。スタジオビルにいる大人たちは皆そう言うし、公園に来ていたよそのママたちも、口を揃えてそう言っていた。

 『いちばん可愛いから大成功』なら、実際に公園デビューなんかしなくても、大成功するのはわかりきっていたこと。

 それなら、わざわざ公園デビューなんかしなくてもよかったんじゃないか。と、正直、俺は思った。

 まあ、公園で、他の子供たちに混じって、ジャングルジムに登ったり、ネットクライミングに挑戦するのは楽しかったし、ブランコやすべり台、ターザンロープで遊ぶためには順番待ちをしなければならないというルールは、実際に公園に行かなければ学べないことだったと思う。

 それは有益で有意義な学習と経験だったとは思うが、ナデシコが公園デビューでいちばん楽しかったのは、パパがやってくれる飛行機ブーンごっこや、肩車ジャンプ。公園まで出掛けていかなくてもできる遊戯だったんだ。

 俺が『ナデシコの公園デビュー大成功』の本当の意味を理解したのは、公園デビューの数日後、武士お兄ちゃん、水樹お兄ちゃん、光輝お兄ちゃんが、パパのおうちに集まった時だった。


「まあ、ナデシコは、顔立ちも可愛いし、優理の躾が行き届いてて、行儀もいいからな」

「着ている服も清潔で、見るからに上モノだし」

「ガキの頃の俺たちが公園で差別を受けたのは、一目で着古した古着とわかるようなボロ服を着てたせいだったろうな」

「俺たち、ガキの頃から、やたらと雰囲気もぎすぎすしていた」

「三、四歳で、一人称が『俺』だったのもまずかったと思うぞ」

「引率の保護者が五十代のおっさん一人って時点で、駄目だったんだよ。若いママじゃなかったから」

「秀人と優理なら、出来過ぎ美男美女のパパとママだもんな。そこにナデシコが加われば、人も羨む理想の家族ってわけだ」

 水樹お兄ちゃんが持ってきてくれたケーキに夢中な振りをしながら、俺は武士お兄ちゃんたちの会話をしっかり盗み聞いていた。

 パパたちの公園デビューの顛末と、結局公園に行かなくなった過去。

 ナデシコに付与される『可愛い』という評価は、顔立ちだけのことじゃなく、着衣、所作、言葉遣い、同道者のレベル等々、すべてをひっくるめた総合評価だったんだ。

「まあ、俺たちは俺たちで、一人じゃなかったから、誰にどんな目で見られても平気だったが、ナデシコには仲間と呼べるようなものはいないからな。ナデシコのデビューがうまくいったのは本当によかった」

 水樹お兄ちゃんが、ナデシコを見詰めて優しく笑う。

 パパとママも静かに笑ってる。

 もしかすると、パパとママは、ナデシコの公園デビューを怖がっていたのかもしれない。それは、子供の頃のパパたちは『大成功』できなかったことだから。

 新しくて綺麗なお洋服と、美男美女のパパとママがいなかったから成功しなかった、パパたちの公園デビュー。

 綺麗なお洋服を着せてもらって、美男美女のパパとママが一緒だったから、ナデシコの公園デビューは大成功だった。

 パパたちは今、どんな気持ちでいるんだろう。

「パパ、ママ! ナデシコ、ケーキ、全部きれいに食べれた!」

 非力なナデシコにできることは、パパたちに褒めてもらえるいい子になることだけで――。

「ああ。実に綺麗だ。菓子屑も零れていないし、手も汚れていない」

「ほんとだ。ナデシコちゃん、フォークの使い方が上手になったね」

 パパとママが、ナデシコのケーキの食べ方を褒めてくれる。

 俺がこの世界に来て初めてケーキを食べた時は、ひどいものだった。俺はナデシコの口の小ささを正確に把握できておらず、口に入りきらない大きさのケーキのかたまりを無理にナデシコの口中に押し込もうとして、テーブル中に菓子屑を飛び散らした。

 俺がケーキやご飯を上手に食べられるようになったのは、ママが根気よくフォークやスプーンの使い方を教えてくれたからだ。そして、俺がナデシコの身体の部位の大きさを正しく把握できるようになったから。何より、ゆっくり少しずつ食べていても、この世界では誰も俺の食い物を脇から掠め取らないということがわかってきたから。

 武士お兄ちゃんは、食べ物全般が好きで、ものすごい食いしん坊だ。時々、パパや光輝お兄ちゃんの分のおやつを盗み食いすることがある。でも、ナデシコからは絶対に取らない。

 おやつを取られたパパたちに、

「武士、おまえ、もう少し行儀よくできんのか!」

って叱られると、

「食いもんは、ちびっこい奴に優先して与えられるべきなんだよ。身長があと五センチ伸びたら、俺だって、自分の分だけで我慢するぜ」

と言い返す。

 パパたちは、パパと光輝お兄ちゃんがおんなじくらいの身長で、いちばん背が高い。次が水樹お兄ちゃん。武士お兄ちゃんは、ママとおんなじくらい。

 ナデシコは武士お兄ちゃんの四分の一くらいだから、武士お兄ちゃんはナデシコのおやつは取らない。でも、パパや光輝お兄ちゃんのおやつを食べる権利はあるんだって。

 この世界は、パンガイア世界と逆だ。

 パンガイア世界では、強くて大きい奴にこそ、ものを食う権利があった。

「パパ、ママ。パパとママとナデシコのおうちに、ナデシコより小さな子が来たら、ナデシコはその子にナデシコの分のおやつをあげなきゃならないの?」

 俺がパパたちにそう訊いたのは、自分より小さな子に食い物を分けてやらなきゃならない時に、それをしないで、パパたちに『ナデシコは悪い子』と思われることを避けるためだ。

 パパは武士お兄ちゃんを睨みつけた。

 ママはナデシコの髪を撫でて、

「ナデシコちゃんより小さな子には、武士が自分の分のおやつを分けてあげるから、ナデシコちゃんはナデシコちゃんの分を全部食べていいんだよ」

って。

 この世界に、小さな子供の側には必ず大人がいなきゃならないというルールがあるのは、そういう時のためでもあるのかもしれない。

 小さな子供が飢えて死なずに済むように。

 この世界は、限りある命の持ち主である人間しかいない世界だから、一つ一つの命を大切にするんだ。

 そんな世界でも、異世界から送られてくる異形のものは、問答無用で排除するのか……。

 俺がこの世界に送られてきた際に起きた騒動で人が何人も死んでいるんだから、亜神が問答無用で排除の対象に認定されるのは致し方のないことなのかもしれない。

 亜神の大きさは人間の三、四倍。大きいということは、それだけで、小さい者の胸中に恐怖心を生む。ナデシコだって、知らない大人を怖いと思うことはあるから――すべての生き物がすべての生き物に対して無条件に好意を抱ける世界というのは、どこにも存在しないのかもしれない。

 現に、ナデシコ(俺)自身がそうだった。

 ナデシコに危害を加えることはないとわかっていても、たとえば公園でナデシコと同じくらいの大きさの子供たちに、いちいち、

「ナデシコちゃん、お友だちになって」

と言われるのを、最初のうち、俺は鬱陶しくて面倒だと思っていた。

 ナデシコのことは、パパとママが守ってくれる。ナデシコ同様、何の力も持っていない小さな子供と“オトモダチ”になったところで、俺にどんな益があるんだと、俺は彼等の力を見くびっていたんだ。


 だが、益はあった。

 滅茶苦茶あった。

 ナデシコと“オトモダチ”になりたい者たちは皆、口を揃えてナデシコのパパとママを褒めてくれるんだ。

「ナデシコちゃんのパパ、超カッコいいよねー!」

「すごいイケメンで、外国の映画に出てる人みたい」

「背が高くて、スマートだし。うちのパパなんて、ナデシコちゃんのパパよりチビなのに、おなかはナデシコちゃんのパパの四倍くらいあるの。やになっちゃう!」

「私のパパは、ナデシコちゃんのパパみたいに、一緒に公園に来てくれないのに」

「ナデシコちゃんちのママも、超美人だよな」

「ママなのに、アイドルみたいに可愛い」

「ダンスもできそうだよな。僕んちのママ、動きが鈍いんだよ。いつも背中丸めて、スマホばっか見てて」

「ボクのママもだ。たまに顔あげて、なんか怒鳴るけど、すぐまたスマホ」

「ナデシコちゃんちのママは、いつもナデシコちゃんを見てて、怒鳴らなくて、にこにこしてて、優しそうでいいなー」

てな具合いだ。

 ナデシコのパパとママは、よそんちのパパやママに比べると、桁違いに上等らしい。

 パパとママを褒められると、ナデシコはすごくいい気持ちになる。『ナデシコちゃん、可愛い』とか『ナデシコちゃんのお洋服、カワイイ』とかの百倍も気持ちいい。

「ナデシコちゃん、僕のカノジョになってください!」

って言われて、

「ナデシコは、パパよりカッコよくて、ママより優しい人でないと、カノジョにはならないよ!」

と断る時の気持ちよさといったら!


 パンガイア世界で、俺の父親は至高の十二神の中の一柱だった。すべての人間が、最高神より恐れる死の神。まさに最強の神だった。だが、俺は、俺の父の強さや高貴を誇りに思ったことはない。

 パンガイア世界では、俺自身が、有力な神々を倒した強者だった。最高神がせこい手を使って、俺との直接対決を避けたりしなかったら、俺こそがパンガイア世界の覇者になっていたに違いない。

 あと一歩のところにまで登り詰めていた俺は、だが、そんな自分を誇らしいと感じたことはない。満足感や幸福感を抱いたこともない。

 そんな俺が、非力な人間の子供に、「ナデシコちゃんのパパ、超カッコいい」「ナデシコちゃんのママ、超美人」と言われただけで、心臓が破裂しそうになるほど嬉しいのは、どういうわけだろう。

 俺自身が褒められたわけでもないのに。

 褒められたパパとママは、神でも何でもないごく普通の人間で、『カッコいい』『美人』という要素は、パパとママの才能ではなく、努力して手に入れた長所というわけでもない。

 なのに、嬉しい。

 俺は嬉しくてたまらない。

 俺は、この世界に来て、非力な人間の子供になって、どうして、何が、なぜ、どんなふうに変わってしまったんだろう。

 ナデシコのパパとママは、ナデシコの誇りそのもの。ナデシコの生きる意味そのものだ。


 ナデシコがパパたちと暮らしているスタジオビルは、亜神の出現に備えた秘密基地だ。

 東京都の新都心と住宅地域の真ん中くらいにあって、建てられたのは今から二十年くらい前。

 建てたのは最上もがみひかるという、家としては飛鳥時代から千数百年以上続く旧家の現当主。最上家は、毎年の納税額が五億円前後の富豪なんだそうだ。何らかの事業で大儲けしているわけではなく、支払っている税金の九割は固定資産税――という種類の金持ちだ。

――というのは、パパたちの仲間内のお喋りや、スタジオビルで働いている大人たちの話を洩れ聞いて得た情報。

 ナデシコは子供で、難しい大人の言葉はわからないし、俺は異邦人で、この世界特有の言葉の意味がわからない。俺は『コテーシサンゼー』という言葉の意味がどうしてもわからなくて、でも、どうしても知りたくて、ビルのレストランで みんなでランチを食べてる時に、パパに聞いてみたんだ。

「パパ。コテーシサンゼーって、なにー?」

 パパは、一瞬、くしゃりと顔を歪めて、

「どこでそんな言葉を覚えてきたんだ」

って、逆にナデシコに訊いてきた。そんで、

「俺には縁のない言葉だ」

って。

 パパには縁のない言葉。ママにもそうなのかな。

「資料室の脇にある自動販売機に、いちご牛乳を買いに行ったら、紺色の服を着たおじさんたちが、コテーシサンゼーコテーシサンゼー言いながら、お部屋から出てきたんだよ。ボスが、今年のコテーシサンゼーを払うために、天然ダイヤを一掴み持ってきたんだって。ホーセキゴートーしたのか、ミツユしたのかもしれないって」

 その話を聞いた時、俺は、一掴みのダイヤを手に入れる方法を、『鉱物神に命じて持ってこさせる』くらいしか思いつかなかった。

 しかし、この世界に神はいない。

 “ボス”はどうやって、一掴みのダイヤを手に入れたのか。そんなことのできるボスとは何者なのか。俺は、そこのところを知りたかったんだ。

「ナデシコは、固定資産税の意味など知らなくてもいいと思うが」

と言ったのは、水樹お兄ちゃんだった。

「ナデシコが知りたいのは、俺たちのボスが強盗や密輸をする悪者なのかどうかってことじゃないのか?」

と武士お兄ちゃん。

「案外、ダイヤのネックレスが欲しいだけだったりして」

が、光輝お兄ちゃんの推理。

 正解にいちばん近いのは武士お兄ちゃん。だが、ナデシコは、ダイヤのネックレスという言葉に反応して、頬を上気させ始めた。おい、俺!

 そんなナデシコを見て、ママが困ったように首をかしげる。

「んーとね。固定資産税っていうのは、大きくて立派なおうちや広い土地を持っているお金持ちが、『おうちを持っていない人たちのために使ってください』って寄付するお金のことだよ。僕たちのボスは、このビルの他にもいろんなところにたくさんの建物や土地を持っているんだ。だから、たくさん寄付をしきゃならないんだよ。人と人は、そうやって助け合って生きてるんだ」

 それはなかなか便利なシステムだ。社会の不平等や不公平を、根本から解決することは難しいが、コテーシサンゼーのシステムは当座の対応策にはなる。

「宝石強盗や密輸っていうのは、しちゃいけないことだから、してないよ。悪いことをしてないってわかっている時、大人はわざとそんな冗談を言うことがあるんだ。ダイヤを一掴みっていうのは、細かいことを気にせず、固定資産税をどっさり納めたっていうこと。ダイヤのネックレスは、ナデシコちゃんがもっと大人のおしとやかな美人になってから、秀人に買ってもらおう。どこかに引っかけて、首に怪我をしたりしたら大変だから」

「むー……」

 ママの説明はわかりやすい。ナデシコはダイヤのネックレスを諦めるしかなかった。

「固定資産税って、そういうもんだったんだ。全然知らなかった。ナデシコが来てくれたおかげで、俺もどんどん利口になっていくぜ」

 武士お兄ちゃんが真面目な顔をして言う。

 大人の冗談じゃなく、武士お兄ちゃんは、本気でそう思ってるみたいだった。

 『ナデシコが武士お兄ちゃんを利口にしてあげられてるならよかった』と、ナデシコは思った。


 ともあれ、そんなふうにして、ナデシコは毎日少しずつ賢くなっていったんだ。

 食べ物、知識、危険を感じずにくつろげる家、不安のない睡眠、心身の保全、愛情。人間が欲するほとんどすべての欲が満たされているナデシコは、間違いなく、世界トップクラスに入る幸福な子供だったろう。


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