パパたちのお仕事と幼女の決意
パパとママの特撮ドラマの仕事仲間は、武士、水樹、光輝という名の人間の男たちだ。苗字は、全員『最東』。
最東武士がママと同じ二十二歳、水樹がパパと同じ二十三歳、光輝がパパより一つ年上の二十四歳。
三人共、それぞれになかなかの美丈夫だ。
この世界では、こういう見世物が流行っているのだそうだ。若い美形が徒党を組んで、悪に立ち向かうドラマ。
いずれテレビで放映されることになるだろうと、嘘か真かわからないことを、ママが言っていた。
「俺は、単純熱血担当の武士だ。やっと会わせてもらえたな。三無主義の秀人を親馬鹿にしたナデシコ姫」
と言った男は、五人の中では小柄で、髪の毛もいちばん短い。
親しみやすいのは結構だが、あんまりお行儀はよくなさそう。いや、確実によくない。慣れているのか諦めているのか、パパもママも、ナデシコにするみたいに注意しなかった。ずるい。
「むしろ、優理をママにしたナデシコ嬢だろう。俺は知性派担当の水樹だ。一応知性派ということになっているが、頭の回転が速いわけでも、知識が豊富なわけでもない。ただのバランサー、調整役だよ」
と言った男は総髪。五人の中で唯一、髪の毛がストレート。
この男だけ、ネクタイというのをしている。ママも時々するやつだ。ママと親和性が高いのかもしれない。
「秀人と優理を夫婦にしてのけたナデシコ師匠。俺は……ワイルド担当かな。光輝だ」
と言った男は、髪の毛はぐちゃぐちゃ。五人の中で、いちばん眉が太い。
ネクタイをする人種の対極にいる男だということは、何となく感じ取れるが、身なりを気にしていないわけではないらしく、ネクタイ族とは別の方向にこだわりがありそうな格好をしている。
いちばん見た目を気にしていないのは、おそらく武士だな。
ちなみに、『担当』っていうのは、特撮ドラマを作る際に割り振られる個性――のことらしい。
パパはクール担当。ママはポリコレ対応担当なんだって。ポリコレっていうのは、男だけの戦闘集団だと駄目ってこと。そういう集団には、必ず一人以上、美少女がいなきゃならないんだって。
「そんな担当になった覚えはありません」
武士に『ポリコレ担当』と言われて、ママは怒って頬を膨らませていた。
美少女担当なだけあって、どんな顔をしても可愛い。
これがパパの好みのタイプなのなら、ナデシコは見習わなければならない。
俺は――ナデシコはパパに嫌われたくない。もう二度と、父親に捨てられたくないから。
武士、水樹、光輝の三人は、パパとママに関する情報をナデシコにたくさん提供してくれた。
パパの不愛想は、子供の頃、親にご飯を食べさせてもえなかった時期に、生き延びるために極端な省エネモードでいた時の名残り。
ママの人当たりのよさや事前の勉強癖は、気分で暴力を振るう大人と暮らした時期に身につけた、生き延びる術。
武士、水樹、光輝の三人も、幼い頃に親をなくして、親の顔も知らないというのは、パパママと同じ。
武士は、ママとは逆に、大人の顔色を気にしない子供だったらしいけど。
パパたちは、同じ施設で出会って、親や大人に頼れない分、仲間を信じて、これまで生きてきた。
「親がいなくても、信じられる仲間が四人もいたら、それなりに前向きに生きることもできるものだ。俺たちは、派手に道を誤ることもなく、それなりの大人になることができた」
「結構、幸せだしさ」
「だから、ナデシコも幸せになれるだろう」
三人は、ナデシコにそう言ってくれた。
「秀人も優理も親の愛情ってものは知らないから、ドジを踏むことがあるかもしれないが、それはすべて、ナデシコの幸せを願ってのことだ」
「だから、遠慮せず、不満や文句はちゃんと言うんだぞ。我慢を知らないのはよくないが、我慢のしすぎもよくない」
「そうそ。ナデシコのパパとママは人類最強のパパとママだけど、怖がることはないぜ。優理たちは、強いからこそ、その力を使わないように常に自制してるからな」
「武士。四歳の子供相手にそんなことを言っても、理解は難しいだろう」
ナデシコが目を丸くして、ぽかんとしているのを見て、水樹が武士たちの早口を制止してくれた。ナデシコの理解が追いつけていないと思ったんだろう。
俺は、情報のインプットに忙しくて、アウトプットに手が回らずにいただけ。理解できていないわけではなかったんだが。
「じゃあ、どう言やいいんだよ!」
武士が、子供みたいに口をとがらせる。
武士たち三人――もとい、パパたち五人の中では、単純熱血担当の武士が、いちばん子供っぽい――ナデシコに精神年齢が近そうだ。
嫌いじゃないよ。そういうの。
直感最優先の武士より理性派らしい水樹が、暫時考え込む様子を見せる。
水樹は、みんなが言いたいことを、
「俺たちは全員、十五階にいる。秀人の――ナデシコのパパの右隣りが俺の部屋だ。そのまた右隣が光輝の部屋。ナデシコのママの左隣りが武士の部屋。困ったことが起きたら、好きな部屋においで」
と総括した。
「なるほど」
光輝が、武士の隣りで、唇の端を歪ませて笑いながら、ゆっくり深く首肯する。
「秀人と優理が喧嘩したら、俺たちの部屋に家出してくればいい」
「せめて、避難と言ってやれよ」
この世界のこともパパたち五人の関係性もまだ完全に把握しきれていない俺には、『家出』と『避難』の違いがわからない。どう違うんだろう。
「秀人と優理の間に喧嘩が成り立つならな」
茶化すように言ったのは、光輝だった。
それを聞いて、熱血担当の武士と知性派担当の水樹が、一度盛大に吹き出してから、必死に笑いを嚙み殺そうとする。
その行為にどんな意味があるのか、俺には全くわからない。自分たちだけで楽しみやがって、本当に不親切な大人たちだ。
それは、喧嘩が成り立たないほど、パパとママは仲がいい――ということだろうか。
仲のいい両親なんて、俺には縁のないものだったから、そんなものを毎日観察し、接することもできるんだと思うだけで、俺は少し緊張し、そして、わくわくした。
実は、光輝にそう言われるまで、俺は、ナデシコのパパとママが特別に仲のいい二人だとは思っていなかったんだ。
ここ数日、ナデシコのパパとママは、日中は外で買い物バトル、家にいる時はずっと初体験の幼女の世話でばたばた騒いでいるだけだったから。
ナデシコの世話に慣れてきたら、喧嘩も成り立たないほど仲のいい両親というのを見れるようになるんだ。そう期待していたのに。
俺は待てど暮らせど、『喧嘩も成り立たないほど仲のいい両親』の姿を見ることはできなかった。
それを見る前に、『秀人と優理の間に喧嘩が成り立つならな(秀人と優理の間には喧嘩が成り立たない)』という光輝の言葉の意味を理解することになった。
ナデシコのパパは省エネ人間だ。絶対にそうする必要があると判断したこと以外の行為にエネルギーを使うことはない。
たとえば、街を破壊しようとする亜神を消滅させる時や、愛する一人娘がリボンのついたオレンジ色のスカートを欲しがっている時。そういう時、ナデシコのパパは自身の持つエネルギーを惜しむことなく投入し、戦いに専心するが、それ以外の時は、何というか――まるで石像のようだ。
手足を動かすこともせず、喜怒哀楽を顔や言葉に表すこともほとんどない。
それは、誰に対しても――行きずりとわかっている他人に対しても、スタジオビルで頻繁に会う人たちに対しても、ママや武士たちに対しても変わらない。
ママたちは、同じ養護施設で出会い、二十年近く一緒にいたから、パパの気持ちは直感でわかるらしいけど。
でも、パパはわざと石像でいるわけじゃない。自分以外の人を軽んじてるわけじゃないし、嫌いなわけでもない。
パパはただ、ものすごく人付き合いが下手なんだ。
パパは、嘘をつけないせいで、子供の頃から人と対立することが多かった。そして、大人にひどい目に合わされる経験を繰り返してきた。その当然の帰結として、人付き合いが苦手になった。他人との軋轢を避けるため、自分の気持ちを極力表に出さないようになって、人との接触を避けて、ますます人付き合いが下手になった。
パパのそういうところをわかってる仲間たちとは、わりと普通に(でも、少しだけ)口をきくけど、それ以外の人たちには、パパは寡黙キャラを通してる。
武士お兄ちゃん、水樹お兄ちゃん、光輝お兄ちゃんたちは、そんなパパの面倒を見切れないって、ほどよく突き放し気味。三人は、そんなパパでも何の不都合もないしね。
ママだけが、パパと外部との橋渡しをしているというか、通訳、交渉役を務めているというか。
パパは、ママがいないと一社会人として、まともに機能しない男だから、ママには頭が上がらない。
ママの方が勉強家で物知りでもあるから、口喧嘩でも勝てるわけがない。
だから、パパとママの間には喧嘩が成り立たない。そういうことみたいだ。
戦闘力でも、パパとママは五分五分だろうって、武士お兄ちゃんは言ってた。
水樹お兄ちゃんと光輝お兄ちゃんも異議を唱えなかったから、それは事実なんだろう。
だが――。
二人が直接対決することはまずないだろうが、戦闘力が五分五分で、日常生活でママに頼りきりってことは、パパにはママに勝るところがないってことか?
俺のパパ――ナデシコのパパ。初めて俺を抱きしめてくれた優しいパパ。
そのパパが、いいところのない残念なパパだってことに、俺はがっかりしたんだ。
ナデシコは、パパがイケメンでカッコいいってことだけで大満足のようだったが。
俺も正直、それはそれで大いなる美点だとは思っていたが。
ナデシコの身体の中で、俺とナデシコの意思と価値観と感覚は混沌としていた。まさにカオス。
完全に一つに統合されているわけではないが、別の二つに綺麗に別れて存在しているわけでもない。
そのせいで、いろいろ問題が起こる。
たとえば。
この世界に来て、俺はスイーツという衝撃的なものに出会い、愛好するようになった。中でも、チョコレートという菓子が気に入りだ。
だから、パパたちとカフェに入った時、チョコレートのケーキを食べてみたくて仕様がない。
なのに、いつもナデシコが勝手に、
「イチゴのケーキ!」
と、声にしてしまうから、『ナデシコはイチゴのショートケーキが大好物』ということになってしまった。
違うんだ。俺は、その隣りにある黒いやつが食いたいんだ。
しかし、ケーキを選ぶ時、俺はナデシコの主張に勝てたためしがない。
この身体はナデシコのものだから、体内に取り入れるものはナデシコの嗜好が優先するのかもしれない。
ママに、『ケーキは週に一個まで。甘いジュースは一日に一杯だけ』と言われてさえいなければ、ケーキを二つ食すこともできるだろうが、白い花のように優しい印象のママの生活指導は、パンガイア世界の武を司る神が振るう剣先より鋭く厳しい。
「甘いものを食べすぎたり飲みすぎたりすると、砂糖中毒っていう病気になるの。甘いお砂糖なしにはいられなくなる病気だよ。甘いものばかり食べていると、身体がどんどん膨らんで、この間買ったピンクのワンピースも着られなくなる。そしたら、秀人はがっかりするだろうな。秀人は、あのワンピースを着た可愛いナデシコちゃんが大好きだからね」
そんなふうに言われたら、俺は引き下がるしかないじゃないか。そして、砂糖もカフェインも入っていないという麦茶を飲むしかない。
パパがママに勝てなくても、パパが弱いのだとは、俺は思わない。俺自身が、パパに勝てなかったんだから。
ママに勝てる奴は化け物だ。
ママの強さを思い知った頃、俺は、武士お兄ちゃんたちに確かめてみた。
「ママはパパより強くて、パパより物知りですごい。パパはママの言うこと、何でもきく。パパには、ママよりすごいとこはないの?」
パパはママより強くない。ママほど物知りでもない。ママの方が優しい。ママはいつもにこにこしてて、スタジオビルの人たちもママのことが大好きみたい。
パパには、武士お兄ちゃんたち以外に友だちもいない。人望も人徳もないのかもしれない。
でも、ナデシコはそんなパパが大好きだ。ママより好きかもしれない。
ママよりいいところのないパパを、どうしてナデシコはこんなに好きなんだろうと、俺はそれが不思議でならなかったんだ。
武士お兄ちゃんたちは、パパがママよりすごいとこを、笑いながら俺に教えてくれた。
「秀人が優理よりすごいとこかー。身長は、秀人の方が十二、三センチ高いだろ。バトルが仕事だと、体格が優れているのは、結構高ポイントだよな」
と武士お兄ちゃん。
「顔だろう顔。顔だけ男といっていいほど、秀人は顔の造作が整っている。定規を使って作ったようなシンメトリー度だ。優理は、整っているというより、もっとこう、やわらかい印象が強い」
と光輝お兄ちゃん。
武士お兄ちゃんと光輝お兄ちゃんは、パパのすごいとこを、ほんとにすごいって思っていないようだった。
俺もちょっと同感。
俺は知性派の水樹お兄ちゃんに期待することになったんだけど、水樹お兄ちゃんは俺の知りたいことを俺に教えてくれなかった。逆に、
「ナデシコはどうして、そんなことを俺たちに訊くんだ? ナデシコは、秀人にすごいところが一つもないと思うのか?」
と、ナデシコに訊いてきた。
「ナデシコ、わかんない。パパがママより弱いのはわかる。でも、ナデシコはパパが大好きなの。大々々好き。水樹お兄ちゃんたちは、パパとずっと仲良しだったんでしょ。水樹お兄ちゃんたちは、パパのすごいとこもわかるでしょ」
ナデシコがそう答えると、水樹お兄ちゃんたちは三人揃って破顔した。
なんか――ナデシコの言ったことが嬉しくてたまらないって言うみたいに。
「秀人は不愛想で不器用。顔だけ男なんだが、愛することと信じることの天才なんだ。一度信じると決めた相手は、愚直にどこまでも信じ抜く」
武士お兄ちゃんの言葉に、
「人を疑うのを面倒がっているだけだという説もあるぞ」
光輝お兄ちゃんが茶々を入れて、水樹お兄ちゃんが頷いた。
「そういう説もあるかな。秀人は、優理、武士、光輝、そして俺を信じている。自分の仲間たちは何があっても自分を裏切ることはないと思っているだろう。その信頼が強すぎて、俺たちも奴を裏切ることはできないほどだ。その分、他の人間に全く関心を抱かない。常識的な優しささえ示さない。秀人の人間関係の輪は、ずっと俺たち五人で閉じていた。そこに、十数年振りに、新しい人間が入ってきた。新しい仲間が加わった。それがナデシコだ」
俺がパパの新しい仲間?
「秀人は、ナデシコを愛し信じると決めた。その決定は、秀人が生きている限り有効だ。一度こうと決めたことを覆すなんて面倒なことを、秀人は絶対にしないから」
「ナデシコは、秀人のその決定を感じ取っているんじゃないかな。秀人に愛されていることがわかるから、自分も愛さずにいられない」
俺 (ナデシコ)はぽかんとしていたに違いない。
血の繋がった親でさえ、俺を愛してはくれなかったのに。
愛すると決めたから、死ぬまで愛し続ける? それは何だ? 馬鹿か?
俺とナデシコのパパは馬鹿なのか?
「あー。ナデシコには難しすぎたか。つまり、秀人はナデシコが大好きなんだよ。だから、ナデシコも秀人が大好き。全然難しいことじゃない」
『大好きだから大好き』? 難しいよ。難しいだろ。これほど難しいことはない。
俺の父親は、俺を大好きにならなかった。
ナデシコの父親も、ナデシコを大好きではなかった。
『大好き』。それはひどく難しいことだ。
その難しいことを、やすやすとしてのけるパパ。
血は繋がっていないのに、俺はパパに似てきたのかもしれない。すごく難しいことが、こんなに簡単にできてしまう。
俺はパパが大好きだ。
「ぜんぜん難しいことじゃないよ! ナデシコは、パパが大好きだよ!」
俺は、水樹お兄ちゃんに言われた言葉を復唱した。
「おお、ナデシコは賢い」
水樹お兄ちゃんは、ナデシコを満面の笑みで褒めてくれた。
なんだろ。武士お兄ちゃんも水樹お兄ちゃんも光輝お兄ちゃんも、ナデシコのことが大好きみたい。きっと、パパがナデシコを大好きだから。ナデシコが、『パパが大好きなナデシコ』だから。
ナデシコは、『パパが大好きなナデシコ』でいるためになら、チョコレートケーキを食べられないことも、甘くない麦茶を飲むことも我慢できる。
ナデシコは、パパのために、世界一可愛いいい子になる。
パパが大好きなナデシコが、不細工で馬鹿の悪い子だったら、パパの名誉に傷がつくもの。
ナデシコは、世界一可愛くて、お利口ないい子になる。
あと一歩というところでパンガイア世界の覇者になり損ねた俺の、第二の人生の目標がそれだ。
そのうち、わかってきた。
ナデシコのパパとママたちは、特撮ドラマの出演者じゃなく、パパたちのおうちのあるスタジオビルはドラマ撮影のための施設ではないことが。
パパたちは、ドラマ撮影の合間に亜神を退治しているのではなく、特撮ドラマの方が、亜神退治の事実を外部に知らせないための煙幕、隠れ蓑なのだということが。
ナデシコのパパたちは、異世界からやってくる(送られてくる)亜神たちを倒している。それがパパたちの真の本業だ。
俳優の振りをしているのは、一般人に見られた時、特殊効果撮影だとごまかすため。
スタジオビル内で撮影スタッフとして忙しそうに働いている者たちは、亜神退治のための事前準備と、亜神たちを退治したあとの始末をするためにいる。
スタッフたちが、亜神の現れた場所をキャッチ、その戦闘能力を予測。戦闘員であるナデシコのパパたちをその場に送り、パパたちが亜神と戦い、倒す。
亜神は、俺がこの世界にやってくる以前にも、幾体か送られてきていたらしい。
なんでも、今から数千年前。
天に浮かぶ山から、一柱の神が秋津島――地上に下りてきた。
その神の使命は、地上に現れる人ならざる物を倒し、地上世界の安寧を守ること。
その神は、人智を超えた力を持ち、人ならざる物が地上に現われるたび、その化け物を倒してきた――秘密裏に処理してきた。
現在の亜神掃討組織を指揮統率しているのは、その神の子孫で、総帥と呼ばれている。
彼(彼女?)は予見の力を有しており、いつ、どんな化け物がこの世界にやってくるのかが、ぼんやりとわかるらしい。
次は、腕が蛇のような怪物が来る。その四ヶ月後に、頭に見える偽頭を持った怪物が来るといった調子で。
総帥がこのスタジオビルを建てたのは二十年ほど前。
総帥は、いずれ最強最悪最凶の化け物がこの世界にやってくると予見していたらしい。
知恵を持つ人間タイプの亜神。
俺のことだろうな、おそらく。
そして、最強最悪最凶の亜神出現のタイミングに合わせて、特殊な訓練を受けた掃討隊を編成した。
それがパパたちだ。
俺がこの世界にやってくる時に最高の身体能力と戦闘能力を発揮できるよう、十数年前に、係累のない孤児の中から選抜された十数人。彼等には、遺伝子編集という、危険な肉体改変処理が施され、その上で厳しい肉体鍛錬が課された。その厳しい鍛錬に脱落しなかった五人。
最強最悪最凶の亜神(俺)を倒せば、その後に現れる亜神たちは、俺より弱いから、どうとでも対処できるだろう。しかし、出現頻度は格段に増える。それまでと比べ物にならないほど増加する。そういう状況が千年ほど続く。
――という予言が、総帥によって為れているんだそうだ。
スタジオビルは地上世界防衛のための秘密基地で、パパたち五人は、振りではなく本当に、化け物と戦う正義の味方。
普段の仕事は、肉体の鍛錬。武器の使い方や戦闘パターンの習得。
俺は、大人たちの会話を盗み聞いて手に入れた情報を、パズルのピースを嵌め込むようにして、少しずつ組み立てていった。
すべては俺の推論にすぎない。
パパたちは、ナデシコに本当のことを教えてくれなかったから。
パパたちは、それを子供が知るべきではないことと判断し、情報をシャットアウトしたんだろう。幼く小さなナデシコには、他にもっと学ばなければならないことがあると考えて。
実際、俺 (ナデシコ)は、毎日現れる新たな謎や不思議の解明、心配事の解決に大忙しだった。
ある日――ママに『マッチ売りの少女』の絵本を読んでもらった時、俺は、それまで考えたこともなかったことが心配になって、
「ナデシコが一週間に一個しかケーキ食べれないのは、ほんとはナデシコのおうちがビンボーだから?」
と、ママに訊いたんだ。
ケーキだけじゃない。ナデシコは、ママの厳しいチェックをクリアしないと、好きな洋服も買ってもらえない。靴も帽子もバッグもそうだ。
絵本ですら、『それはナデシコちゃんには少し早いかな』と言われて、買ってもらえないことがある。
それはもしかしたら本当は――と、俺は心配になったんだ。
ママは笑って、首を横に振った。
そして、その時、俺は、パパとママの本当のお仕事と秘密基地のことを教えてもらったんだ。
「パパとママの表向きの仕事は売れない俳優だけど、本当は本物の正義の味方なんだ。ちょっと危ないお仕事だから、その分、お給料はたくさんもらってる。ナデシコちゃんは、そういうことは心配しなくていいんだよ」
でも、ケーキは一週間に一個。それは貧乏だからじゃなく、ナデシコの健康の問題。
このスタジオビルはママのものでもパパのものでもないけど、ただで住める。スタジオビルのレストランやカフェでお金を払う必要はない。
ママは、お金の使い道がなくて困ってたから、ナデシコのお洋服や玩具を買えるのは、逆に助かるんだって。
パパも、これまでは自分のお洋服以外、買うものがなかった。
だから、ナデシコが欲しいお洋服は全部買ってあげたいけど、ママのチェックが厳しすぎてそれができないのが悔しいって、ぼやいてるんだって。
ママの厳しいお洋服チェックは、ナデシコも悔しいけど、仕方がないって、今は思ってるよ。
一度、ママに内緒で、お花とフリルでいっぱいの白いドレスと靴をパパに買ってもらったの。
お花がついてぴかぴかの靴は踵が痛くて、百メートル歩いただけで流血の大惨事。飾りのお花は、自分で踏んじゃって、右のも左のもぺしゃんこになった。
ドレスの襟のフリルは、ちくちくして気持ち悪いし、長いスカートのフリルは車のドアや歩道脇の植木に引っ掛かってばっかりだし、胸の花飾りは零したジュースやケチャップでまだらに汚れるしで、すぐに着なくなった。
ママのすることに間違いはない。
パパとナデシコは、ママの言うことをきかなかったことを深く反省したんだよ。
それ以来、俺もママには一目置いている。ママに逆らうのは得策じゃない。