何でも屋とある日森の中
-tips-
浄火。
清浄なる力――光の精霊を信仰する事で取得出来る聖職系の纏職持ちが、祈りの力で生み出す事が出来る特殊な火。
異種は基本的にこの火には近寄らない為、人々が日々の生活を送る上で必要不可欠な代物。
最近、浄火の種火を補完しておける道具が開発され、持ち歩ける様になった。
そもそも――このアッシュという少年が何故危険な魔窟の森に迷い込む破目になったのか。話は今朝にまで遡る。
◆ ・ ◆ ・ ◆
「んー……」
此処はとある王国の辺境の更に辺境。多くの冒険者が活動拠点にするトラインに近い事だけが取り柄の言わんばかりの小さな村"ノドッカ"。
そんなノドッカのこじんまりとした広場に立てられた掲示板の前で、睨めっこしている人影が一つ。
「……今日も、大した依頼は無さそうだなー」
そうため息交じりに口にするのは、白いスカーフを巻いた少年――アッシュである。
彼が眺めていたのは、ノドッカを中心としたこの辺りに住む人々の悩みを村の纏め役が整理し、依頼として貼り出したものだ。
冒険者はその名の通り、冒険をする事そのものが仕事であり、外に出掛けて素材を採取したり、依頼を聞いて報酬を得たりして日々を過ごす。
ノドッカの様な田舎ではこんな小さな依頼も冒険者にとっての立派な仕事のネタとなる。
因みにその掲示板に貼られた依頼はと言うと――。
『スネイルの粘油袋、五個分。――30ジェル(イディアリス共通単位)』
『薬草採取。――大籠一つにつき20ジェル』
『ゴブリンの姿を西の畑に確認の為、調査依頼――報酬要相談』
『東の山の麓の森の調査――300ジェル』
『商品運搬馬車の護衛――2000ジェル』
と、軽く見ただけだとこんな感じである。
「今日は晩まで他の用事も無いし、これにするか」
と、アッシュは『東の山の麓の森の調査――300ジェル』』と書かれたチラシをピッと千切り取る。
調査とはここノドッカの近くの森に生息している動植物の生育や木の実の出来具合などのちょっとした事だが、これが案外馬鹿にならない。
このノドッカは生きる糧を自然採取や狩りで賄っている人間も多く、森の様子を調べての記録はそんな人達の助けになるのだ。
最も、その様なちょっとした依頼をこなす事が人々からの評価に繋がるかと言われると――実際微妙な所である。
「よぉーっ? そこに居るのは"何でも屋"じゃねぇか!」
む、と一瞬アッシュの顔が強張る。さっさと引き上げようと今の軽薄な声とは反対方向に向かおうとするが。
「よぅよぅ、無視すんなよ!」
そうなる前に声の主がアッシュを捕まえた。アッシュは観念して後ろに居る声の主に言葉を返す。
「してない、俺の事だと思わなかっただけだ」
「何でも屋ったらお前の他に居ねぇだろうが、魔窟嫌いのアッシュ君よ!」
アッシュを何でも屋と呼ぶのは、要所要所に金属製の保護具を付け、腰に剣を携えた青年。
「はぁ、まあ良い。なんか用か"マウル"」
「ハ、当然一人の冒険者として依頼を取りに来たのさ」
マウルと呼ばれた青年は掲示板を一通り眺めた後、『商品運搬馬車の護衛――2000ジェル』の依頼書を取った。
「俺は【戦士】だからな。こんな危険で美味しい依頼だって受けれるってことさ――雑魚で臆病なお前と違って、な?」
そんなマウルの小馬鹿にした様な言葉に軽くため息を付き、アッシュは少々低めの声色で忠告する。
「雑魚も臆病も否定はしないが――そういうお前は少し調子に乗ってるんじゃないか? 重い怪我でもしたら旨い依頼もクソも無いだろ」
「だーかーらー。お前に声掛けたんじゃねぇかよ、ホレ」
そう言って差し出したのは鉄の硬貨一枚(50ジェル)だった。
「あーはいはい……じゃ、治癒水薬一個ね」
アッシュが背負っていた鞄から取り出したのは小振りのガラス瓶に入った薄い赤色の水薬であり、彼自身が作った物。
実際の所、アッシュはこの世に生まれてから少なくとも今日まで、一度たりとも魔窟に入った事も異種とまともに戦った事もなかった。
それは本人が自覚している通り純粋に弱いから、という理由もあるが――まだ準備不足だ、とも考えていたからだ。
その為アッシュは自身の最大の強みである手先の器用さを生かし、生活費を得る為の依頼をこなす傍ら、様々な道具器具を作って小商いを行っていた。
そうやって小さな依頼達成を積み立てて行った末――アッシュは青級冒険者にまで至ったのだ。
だがそれは同時に、危険を避けるなど真っ当な冒険者の行いでは無いと、アッシュは同業者から、臆病者のエセ冒険者の烙印を押されていた。
マウルがアッシュの事を冒険者でなく「何でも屋」などと称したのもその為である。
「っへ、まぁこんな手作りの安物水薬なんかに頼る事なんか無ぇだろうけどな! あばよ!」
と、そんな捨て台詞を吐きながら、マウヨは依頼書を手に意気揚々と行ってしまった。
「……ちぇ、幼馴染割で安くしてやったってのに――まぁ、良いけどさ」
因みにアッシュとマウルは、同じ――孤児を保護する目的で建てられたとある救護院出身の冒険者だったりする。
◆ ・ ◆ ・ ◆
さて、森の中である。
アッシュは散策しながら目に映る植物や動物の様子を手帳に書き込んでいる。
「木の実は――うーん去年より出来が悪い。今年の冬期は熊が出て来るかもしれん」
熊は冬眠の為に餌を欲する。その為、実りが悪かった冬の山の熊は、餌を求めて麓まで降りてくる事があるのだ。
異種ではないとはいえ猛獣は猛獣。なるべく関わりたく無いのは当然の話であり、アッシュが心配をしているのもそれが理由だ。
「あとは……キズバン草。バン栗。森兎に枝鹿……うん、特におかしな変化は無い、な」
そうしてアッシュは森の中心にある池の前に着くと、手帳をパタリと閉じる。そして小休止とばかりに座れそうな石へと腰を下ろした。
「さーてと、腹ごしらえ腹ごしらえ」
そしてアッシュが鞄から取り出したのは、ノドッカの肉屋で売られている紙に包まれた軽食。
水で溶いた小麦粉を鉄板で焼いた物にこれまた焼いた肉と野菜を巻いた物 (20ジェル)である。
「あむ…んん、旨い。肉汁の染みた皮がまた……」
と、あっという間に軽食を腹に納めると、こんどはある物を探し始めた。今晩の献立は魚にしようと依頼をこなすついでに釣り具を持ってきていたのだ。
「久し振りの釣りだ。せめて二匹は釣りた……ん?」
ふと、アッシュの目に映ったのは、池の端にふわふわと漂う光だ。微かに強弱のある青白い光がアッシュの視線の先に浮かんでいた。
「まさかあれって……蛍か!? すげーっ初めて見た!!」
アッシュは釣りも忘れてハイテンションで蛍(?)へと駆け寄る。
普通に考えれば、昼でも光って見える蛍が居るなどあり得ない――と、いう考えに至りそうなものだが、アッシュは生の蛍を見るのが本当に初めてだったので、そうならなかったのだ。
そして、その知識不足と油断が――アッシュをあの場所へと誘う。
「へ? うわぁああっ!」
光はカッと一瞬で膨れ上がり、アッシュごとその場を飲み込んで行く。そして、突然の出来事に驚いた鳥達が飛び立った時には、静かな森の風景が残るのみとなっていた。
◆ ・ ◆ ・ ◆
「なるほど。そうやってここへ……光に飲まれて、という点は、私達の場合とほぼ同じの様ですね」
「参考になった様で幸いでございます」
アッシュはリイムに自身がこの魔窟に来るまでのあらましを話した。どうやら彼女もトライン近くの森の中で、仲間と共に謎の光に包まれ、それから一人で彷徨っていたらしい。
「さて、そうなると私も仲間と合流し、これからの事を考えなければ」
「おっしゃる通りだと思います」
「……もう、顔を上げて下さい。別に怒ってなどいませんよ?」
呆れ混じりにリイムが声を掛ける。それもその筈アッシュはずっとひれ伏したままであった。とはいえ無理もない、タメ口で話していた相手が二つも格上の冒険者だったのだ。
しかも【暗殺者】と云えば潜伏能力や殺傷能力を磨く事で習得できる上位職の一つ。どう考えてもアッシュよりリイムの方が強いのは明らかだ。
(っていうか、怪我した俺を運んだまま無傷で魔窟を動ける人間が只者な訳無いじゃねぇか俺の阿保!!)
とはいえこのままでは話もできない。アッシュは恐る恐る顔を上げる。
「とにかく此処までが俺の話せる事です。その、リイムさんは……」
「タメ口で結構です」
「いやでも――分かった。分かったから笑顔で圧掛けるの止めて欲しい」
リイムはよろしいと口にし、鍋の中の物をよそい始めた。
「そろそろ良いでしょう。貴方もどうか少しでも食べて下さいな」
「む……まぁ話している内に腹も減って来たしな……けど、良いのか?」
「そもそもこれは貴方が獲った獲物です。まぁ全ては無理だったので一部の肉だけ拝借させて頂きましたが」
「これ大梟熊の肉かよ!」
が、実際口に含んでみると――信じ難い程旨い。見た所最低限の仕込みはしてある程度だが、熊肉の強い旨味と鳥の優しい味が驚く程違和感なく混在している。一緒に煮込まれた根菜も美味だ。
「お野菜は私がこの魔窟に来てから見付けた物です。森林系統の魔窟には、珍しい薬草や野菜。香辛料に使える様なものもあるのですよ――あ、口元が汚れています」
「あ、ども。確かにこの鍋にもそんな感じの風味が……」
「えぇ、初めての食材も多かったので少し不安でしたが……あ、このお野菜良いですよ、どうぞ?」
「はぁ、有難う」
「いいえ、うふふ」
――…………。
「あ、お腹がいっぱいになったら仰って下さい。私がまた膝枕を――」
「いや待て、待っておかしい。なんか距離近くないか? 流石に少し怖いぞ」
余りに親身な態度に警戒するアッシュ。それを見てポカンとした表情のリイムは――一拍子置いて一言。
「心配なさらずともこの森で霊体系の異種は一度も見てませ「違うそうじゃない」――?」
――と、アッシュがこのリイムという少女に何か、えも言われぬ違和感を抱き始めた、その時だった。
「ぃぃぃ……」
「ッ!……アッシュさん」
「ああ、聞こえた」
その声が聞こえた先をじっと睨む――そして。
「助けてくれぇえええっ!!」
野太い男の悲鳴。それはその発生源がこちらに近付いて来ている事を確信できる程に、はっきりと聞こえた。
-tips2-
ノドッカ。
この辺りの土地を収めるドラグレスト王国の辺境に位置する小さな村。
土地の魔力が非常に安定しており、魔窟も異種も殆ど見られない。
その為か冒険者稼業の合間に、のんびり休暇を楽しむ人間も少なくなく、村の規模の割に人の出入りは悪く無い。




