エンカウント
-tips-
冒険者。
役所に届け出て冒険者課で登録する事が出来れば、基本的に誰でもなれる職業。
他者から依頼を受けて危険な行為を肩代わりするのが主な仕事。自ら素材やお宝狙いで魔窟に潜る者も居る。
そんな職業柄からか、臆病な者を嫌悪する傾向が強く、登録していながら魔窟に挑戦しない者は、エセ呼ばわりされる事が多い。
「ふーむ、どうしたものかな」
アッシュは、目の前に並んだゴブリンの遺体三つを前に、困った様に唸っていた。
理由は簡単。この遺体をどうするかを悩んでいたのだ。
「肉は食用に向かないが、肝が薬に流用出来る、のは分かってるんだが……」
遺体を傷付け過ぎた為、既に素材としての利用価値は薄い。とは言え捨て置くのも何か違う、と考えていた。それはそもそも、アッシュが生きる糧を得る為、例えば狩り以外の殺生をした事が無かった事に由来する。
アッシュが行った殺生は己の命を活かす為のものでは有るが、それでも殺しは殺し。
その亡骸を放って置くのも何か違う、と思って居たのだ。
「とは言え流石にこの儘って訳にもな……ッ! 何だ!?」
背後からのガサリとした音に反応し、武器を構える。
繁みからのそりと現れたのは、膝下程の大きさの粘液でテカテカした、妙な言い方をすれば子供の落書きの様な姿のカタツムリ。
それは実の所、列記とした異種の一体であるのだが、アッシュはその姿を見た途端軽く脱力する。
「何だ、"スネイル"か。あー……だったら任せてしまおうかな」
アッシュはゴブリンの遺体とスネイルとの間の道を開け、横に反れる。
大蝸牛。通称スネイルはアッシュには見向きもせず、ゴブリンの遺体へと辿りつくと、口を開いて遺体を食べ始めた。このスネイルの異名は掃除屋。動く者は襲わず、地上に生える果実や、種類関係なく生物の遺体を食べる。故に他の冒険者からは、素材を切り取った後の残りを片付けてくれる便利な隣人として利用されているのだ。
「仕事熱心で助かる。じゃあ、な」
アッシュは遺体を任せて森の奥へと進む。
此れもまた、自然の摂理。魔窟と言う異界の中での日常風景――なのかも知れない。
◆ ・ ◆ ・ ◆
「ふーむ、取り合えず当ても無く歩いてみたが……似た様な景色しか見えないな」
アッシュは魔窟の森の中を、周囲に気を向けながら進む。
その足取りは緩やかだが、初めて魔窟の中に入った者にしては歩みに迷いが無い。
「感知に反応は無いし――そろそろ当たりを付けて動くべきか」
彼が言った感知と言う言葉。
それは、彼が冒険者となったと時に手にした力。
"纏職"と"練術"に由来する物である。
冒険者とは、危険を冒す者。その名の如く、彼らの行動には少なからず危険が伴う。ならば自衛手段を持つのは当然であり、それは硬い防具や武器は当然の事、現代の冒険者が必ず習得しているのが、纏職と練術である。
纏職は、このイディアリスを創造した神――その配下たる六柱の大精霊が、危険な異種から身を守る術として人々に授けたとされるもの。
通常の職業とは別に、それは人の魂に接続される因子であり、世界各国に配備された精霊堂へ布施を捧げる事で取得する事ができる。
例えば近接戦闘を得意とする【戦士】。前衛にて味方を守護する【騎士】。神秘の力を行使する【魔術士】など、世界各国の土地柄によってしか取得出来ないものや、ある纏職を極めなければ取得できない上位の職も含めれば、その数は計り知れない。
そして練術は、イディアリスに存在する神秘の力たる「魔力」を人々が利用し、研究、研鑽の末に生み出した術である。
もとより口訣を用いて神秘的現象を操る技術はあったが、それとは別。異種が用いる特殊な魔力の生体操作からなる特異な技を、人の技として利用できるのではないかと、ある賢者が研究を始めたのが始まりである。
魔力は意思に呼応する。剣に宿せば切れ味を増し、目に宿せば視力を高じさせる。更に複雑な式を組み、魔力を通す事で更に強力な力を行使する。
纏職と練術。
このイディアリスに生きる人はこの二つの要素を組み合わせる事で、超常の力を行使できるのだ。
そして、新人の冒険者でも取得が可能で、偵察、情報収集、生存に特化した能力を持つ纏職が【斥候】。
アッシュは訳あって、冒険の仲間を募るのが難しい。その為もしもの時を考え、自分が冒険者として生きる様になるならば、先ずは【斥候】を取得すると幼い頃から決めていた。
アッシュはゴブリンとの一戦を乗り換えた後、周囲の警戒の為に【斥候】の錬術の一つ、《敵意感知》を起動させていた。
これは簡単に言うと、自身に敵意を向けている存在の位置を、ある程度感知出来るという物である。
無駄な戦闘をさける為の錬術であり、異種との戦闘で修練を積んだり、素材を狙う冒険者からは不人気。
飽くまで敵意に反応する為、例えば餌狙いの食欲で行動する存在の感知ができない(スネイルの接近に気付けなかったのもその為)など穴はあるが、力の弱い冒険者必須の技だ。
「さて、斥候錬術。《風の通り道》発動……っと」
続いてアッシュは、次の練術を行使する。《風の通り道》は今、この場所にある入り口と出口の位置を把握する錬術。洞窟の中で僅かな空気の流れを感じ取り、外に繋がる道を探す行為に由来するものである。
この魔窟は森の形こそしてはいるが、その木々の配置には法則性がある。更にアッシュのスカーフが靡いている様に実際に風も吹いていた。
だからこそこの魔窟においても効果を発揮すると――そうアッシュは考えていた、が。
「どういうことだ?」
《風の通り道》を発動させたアッシュだったが、彼の感覚の届く範囲に入口も出口も見つからない。
最も、入口は分からないでもない。アッシュはこの魔窟に転移させられた――それこそが入口に当たると言うのなら、それがもう無いのも仕方がないと考える事は出来る。
(だが、出口まで分からないのはどういう? この錬術は例えば……地下や上階の様な別の階層へ続く道にも反応する。それすら無い、という事は?)
アッシュは失念していた。初めての魔窟体験であるという事もあるが、先程の言った通り錬術にも穴はある。
それは先へ続く道を探る《風の通り道》もそうであり――《敵意探知》を含めた、感知系の錬術もまた同じく。
「ん? ……ガッ!!?――ァ!!!?」
突然の衝撃。そしてすぐまた。
一度目は何者かに吹き飛ばされた事によるもの。そして二度目は地面に叩きつけられたもの。ギリギリ転がって頭へのダメージは防いだが、右腕に凄まじい痛みが生じていた。
「何……が、ゴホッ、此奴は……っ!!」
転がったまま距離を取り、アッシュは信じられないといった表情でそれへと視線を向ける。その先に居たのは、熊を思わせる異種。
それが異種だと断定できた理由は、顔が熊のそれではなく鳥類の一種である梟であり――それもまた、既に情報としては知って居たからである。
「ホろルrururu……」
(大梟熊! しくじった!!)
大梟熊はその名の通り、顔が梟で熊の体、そして梟の羽毛を纏う大型異種の一体。
――別名、新人殺し。
熊の体躯と腕力は当然の事、手の爪は猛禽類系の鋭い鈎爪。夜目の効く大きな瞳は、明かりの無い場所でも獲物を決して逃がさない。
何より恐ろしいのは、羽毛が自ら発生させる音を吸収する事による無音移動能力であり――生まれつき仕様出来る隠蔽系錬術の一つ、《気配隠蔽》である。
(《気配隠蔽》は誰にも視認されない状態でのみ発動可能。完全に姿を見えなくし、更に感知系錬術に引っ掛からなくなる!)
アッシュは己の迂闊を呪いつつ、何とか手放さなかった機械弓を大梟熊に放つ――しかし。
「hoow!!」
(くっ!! 軽く弾かれるか!)
無常にも矢は刺さることなく腕であっさり払われる。その理由は、奴の肉体を覆う羽毛だ。
それは梟のそれと同様にモフモフとしており、しかし通常の梟とは違う部分がある。それは羽毛の厚さと丈夫さだ。
そもそも鳥類の羽毛は、その殆どが体温保持と肉体の保護。そして飛行の為の物だ。その為に羽毛一本一本は非常に軽いのが定石。しかし大梟熊は違う。奴は――飛ばない。
熊の肉体を持つあの異種は、飛ばずに地を駆ける。
羽毛に空を飛ぶ為の軽量化は必要無く必然、それは丈夫で厚くなった。
故に大梟熊は、梟の顔をしたただの熊と言うだけではない。障害物の多い森の中でも無音で移動し、常に鱗状軽鎧を着けているのとほぼ同義の防御力を有した、生粋のパワーファイターなのである。
「ボ緒ォっ!!」
「チィ!!」
大梟熊の、鈎爪がアッシュを襲う。
アッシュは機械弓の銃床部分で何とか防ぐが、銃床は砕け、衝撃で更に吹き飛ばされた。
「うぁあっ!! ……か、は」
アッシュが地に倒れる。まさに満身創痍。罠に掛かった獲物。まな板の上の魚といった状況。
「クル瑠るrururu…」
のしのしと歩く大梟熊は、今度こそこの貧弱な獲物の肉を啄んでやろうと瞳を細めて笑う。
確かに満身創痍だった。武器は砕け、体は血塗れ。大梟熊が今まで喰らってきた獲物と同様、最早まともに動く事も儘ならない状態。だからもう終わりだと。やっと喰えると思ったのだ。
――その死に体の獲物の目が、まだ死んでいない事にも気付かぬまま。
-tips2-
大蝸牛。
大人の膝下程の大きさのカタツムリ。動く者は襲わないので基本的に無害。
狩っても使い道の無い油袋を落とすだけで、肉も臭くて半日以上洗いでもしなければとても食べられない。解体した異種の遺体や生ゴミなどを片付けてくれるので、基本的に見付けても放って置かれる。




