トラインと酒場と喧嘩
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トライン。
ドラグレスト王国領内にある町の中で、王都を除いて最も大きい町。
周囲に危険度の低い魔窟が数か所点在しており、そこらの探索を望む新人冒険者が多く拠点としている。
そんな冒険者需要を狙った店も多く、魔窟より卸された素材や食料などで更に町が賑わう、と正に冒険者の冒険者による冒険者の為の繁華街となっている。
流れ星がよく見られる事でも有名で、星のトラインの名でも知られる。
――ある日、トラインの片隅にある小さな宿。"流れ星の止まり木亭"の店主ロッジは、今朝方手にした新聞を見て、僅かながら驚いた顔をする。
「おや、これは――間違いない。蒼穹の銀翼じゃないか。懐かしいね」
新聞に記載されていたのは、トラインを中心に発生していた神隠し事件の解決を蒼穹の銀翼の面々が解決した、との記事だった。ロッジはかつて、新人だった頃の彼らがこの宿を拠点として活動していた過去を思い出す。
この流れ星の止まり木亭は目立つ場所になく規模も比較的小さいが、兎に角宿代が安い為新人冒険者が多く利用する宿なのだ。もっとも、最近はめっきり新しい客も来なくなってしまったが。
「彼らがこの宿を離れたのは何年前の事だったか。僕もすっかり爺になってしまったな」
と、ロッジは白髪の目立ち始めた頭を摩り――ふと、気付く。
「おや? ふむ……やはり三人だ。僕が覚えている限り、彼らは四人組だった筈……」
と、ここで宿の扉を開くと同時に、連接された鈴の音がなった。
「やぁいらっしゃ――おや君は、久しぶりだねぇ」
「えぇ、お久しぶりです。ロッジさん」
扉の外から現れたのは、ロッジの記憶にある例の旅団の一員であり、何故か新聞に載っていなかった少女。リイム・ゼラだった。
◆ ・ ◆ ・ ◆
「と、言う訳で、私は今ソレル達の下を離れ、彼と共にこれからの活動を行っていこうと思ってるんです」
「アッシュと言います」
「それで僕の宿を暫くの拠点としよう、と。個人的にはお客が増える事は良い事だが――ふむ」
ロッジは眼鏡のズレを指で直しながら、アッシュの事をじっくりと観察する。
「まさかと思ったが、君"何でも屋"じゃないか。噂は聞くよ? 臆病者のエセ冒険者、とね」
「はは、まぁ臆病なのは間違っちゃいませんがね」
ロッジの容赦無い言葉にアッシュは笑って流す、その顔を見て一瞬驚くと、ロッジはリイムとアッシュの顔を見比べ――口角を上げた。
「……悪くない目だ、噂も当てにならないな。僕は此処"流れ星の止まり木亭"の店主ロッジ。暫くの間でも、よろしく頼むよ」
「――はい! よろしくお願いします」
笑顔で差し出されたロッジの手を、アッシュは強く握り返す。リイムはそんな様子を見て微笑んでいた。
「二人分3000ジェル、確かに。じゃあこれ、君達の部屋の鍵ね」
一月分の宿泊代を払い、ロッジから部屋の鍵を受け取る。これで、アッシュ達はトラインにおいての拠点を得た事となる。
「ありがとうロッジさん。さて、と。そろそろ昼だし何処か食べに行くかな」
「あぁ、ならこの店を出て真っすぐ。突き当りを右に酒場がある。勿論依頼の手配もしているよ」
と、ロッジが勧めるので、丁度良いなとアッシュが呟く。古今東西、酒場は依頼の紹介場を兼ねている為、良い依頼を探しに来た彼らにとって渡りに船と言った状況だ。
「昔、居た頃には無かった酒場ですね……では、私達もそこで依頼を探します?」
「荷物を置いたらそうしようか。周りの魔窟に行ける様な依頼が有れば良いけどな」
二人はそれぞれの部屋へと向かう。因みに最初は一緒の部屋に、とリイムから申し出たがアッシュが断固拒否した。
「じゃあ、ロッジさん。また来るよ」
「うぅ……残念です」
「あいよ、よい冒険を」
そうして殆どの荷物を置いて、二人は酒場へと向かった。
――そうして、暫く後の事。
「ん? そういえば、あの新聞でリイムが一人になったと思われているかもな。彼女人の目を集めやすいから、何かひと悶着あるやも……ま、彼らも冒険者だ。何とかなるだろう」
と、ロッジは一人、不穏な事を呟くのだった。
◆ ・ ◆ ・ ◆
ロッジに紹介された酒場に到着したアッシュ一行。
昼間と言う事もあり繁盛していたが、何とか空いてる席に座って注文した物を食べている所だった。
「……旨い!」
「えぇ、トラインの食べ物はどれも質が良いので」
トラインは魔窟と近い事もあり、食物を含め、資材には事欠かない。
例えば洞窟系の魔窟からは岩塩や湧き水。森林系の魔窟からは穀物や野菜、香辛料が良く見つかる。
それらを冒険者がトラインに卸し、様々な店へと流れる。
結果として、今アッシュ達が食べている様な料理一つでも、その質が他の町より一歩抜きん出ているのだ。
「カブリオレさんとこの料理も凄く美味しかったし。トラインが王都と並ぶ程に栄えている理由も分かる」
「魔窟がこの世界に、如何に影響を与えているか、という事ですね」
と、二人が歓談を楽しんでいるその時、アッシュの背後から複数の足音。それはリイムの隣まで来た所で止まる。
「おお、いたいた。本当に一人じゃねぇか。リイム・ゼラ」
「……? 私に御用でしょうか」
名前を呼ばれたリイムが反応する。最も顔見知りという訳では無い様だ。
「俺達はこのトラインでも特に構成員の多い冒険者師団。血塗れの大斧って者だ」
(血塗れの大斧? 聞いた事がある。二人の冒険者を頭とするそれなりの規模の師団だったか。けど、良い噂は余り聞いた事がないな)
と、アッシュは自分の知るトラインの冒険者師団からその名を思い出していた。
「リイムさんよ。あんたが元の旅団を離れて一人だって噂を聞いて、頭が探していてな。ちょっと付き合って貰うぜ?」
「へへ、悪いようにはしねぇさ」
「可愛がってやるぜぇ?」
つまり、血塗れの大斧の三人はリイムの勧誘に来たらしい。彼らが来た時から妙に空気がザワついており、それだけでも評判の良くない連中だと分かる。
とは言え、荒くれ者の多い冒険者には良くある話だ、と。アッシュは食事を続けていた。
「折角のお誘いですが、私には既に新しい仲間がいますので、辞退させて頂きます」
「あぁ? 仲間だと……まさか、こいつか!?」
返事を聞いた血塗れの大斧の構成員の一人が、今初めて気付いたかの様にアッシュの事を指さす。
「しかも……ハハ! お前、何でも屋じゃねぇか! 今だ魔窟に潜らない臆病者! こいつが仲間だと!?」
酒場の中の喧騒が戸惑い混じりの物に変わって行く。何でも屋? あのリイムが――。などと言う騒めきと共に、複数の視線がアッシュ達に集まって行く。
「おい、エセ冒険者! どんな手を使ったかは知らねぇが、テメェ如きが使っていい女じゃねぇんだよ!」
最初にリイムに声を掛けた男は、今だ食事を続けるアッシュを怒鳴り付け、残る二人も笑いながら周りを囲んで行く。
「なぁおい。一言、リイムと手を切ると言やぁ手荒な真似はしねぇ。とっとと――」
「悪いけど」
アッシュは口の物を飲み込んで、男の言葉を遮る。
「食事中なんだ。話は後にしてくれないか?」
「……そうだな」
男はそう言うと、食事を続けようとしたアッシュを料理ごと蹴り飛ばした。
アッシュは他所の客の悲鳴と共に食べ物を吹き飛ばしながら隣の机に突っ込んで行く。
「これで食事は終わりだ。リイムさんよ、裏で話を――」
「あーあー」
と、食べ物と机だった物の中から、アッシュが服の汚れを払いながら立ち上がる。そして自分が注文した――あと一口といった所の麺料理が床に落ちているのを見付けると、それを手で掬って口の中に放り込んだ。
「なっ!?」
「うえっ!! 汚え!」
血塗れの大斧の構成員達がアッシュの行動に怯むのも構わず、口に入れた物を飲み込むアッシュ。――そして。
「……ハァ、折角の旨い物粗末にするなよ下っ端」
「下っ……! 殺す!」
アッシュの侮辱の言葉に激高し、男達がナイフを取り出す。そこで周りの客の動きが巻き込まれまいと逃げ出す者と、面白そうだと見物に回る者とで大体二通りに分かれた。
「エセ冒険者がデカい口聞いてんじゃ――ぐぁっ!!」
「っ!? おいどうし……矢!?」
アッシュに一番近かった男が急に悲鳴を上げる。後ろにいた男が何事かと見てみると――悲鳴を上げた男の腕に短めの矢が刺さっていた。
「何だこりゃ……うっ!?」
そしてその一瞬、目を離した内に距離を詰めていたアッシュに、矢が装填済みの機械弓を突き付けられた。
「て、テメェ……汚ぇぞ」
「殴られた程度ならまだしも、そんな凶器まで出されちゃあ、本気で対応せざるを得ないってな。悪いが俺は、相手の台詞が終わるまで待ってられる程、実力に余裕がある訳じゃ無いんだ」
「……ぐっ!!」
「それと、人の仲間に気安く手を出すな。と、そっちの頭に伝えて貰えるか?」
(……こ、こいつ。頭が怖くねぇのか? これがあのエセ冒険者の何でも屋だと!?)
男が先程まで舐め腐っていた男は、噂通りの臆病者ではなかった。その目に本物の殺意が乗っている事に気付き、背筋が凍る。
「ざっけんな! 何でも屋のガキがぁ!」
と、此処でいつの間にかアッシュの背後に回っていた構成員の一人が、木製の椅子を持ち上げていた。そしてそのまま叩きつけようとして――。
「任せた」
「ご随意に」
その姿勢のまま、更に背後に居たリイムに首を軽く打たれ、意識を失い崩れ落ちた。
「ふぅ、悪いな店主さん。騒がせた」
「この位、日常茶飯事さ。やるじゃねぇかアンタ」
アッシュは壁際の机から顔を出し、カウンターに居た店主に詫びを入れる。店主も店主で笑って済ます辺り、流石は冒険者の町の人間と言った所だ。
「ここの弁償はそこの馬鹿共に払わせるよ。舌の肥えたお客は――大事にしないとな?」
「そうか? なら、片付けぐらいは手伝わせてくれ。リイム、君は先に外へ」
「箒と塵取り。用意しましたよ」
「……助かる」
そうして酒場の中を片付けるアッシュと店員達。血塗れの大斧の下っ端達は縄に縛られて端に放られていた。
そして、それを傍目に見ていた他の冒険者達が、先の光景を見て会話している。
「いや、見たかよ。臆病な何でも屋が、マジか」
「しかもあのリイムが――あの態度はまるで……」
と、リイムとアッシュの繋がりに関して冒険者達の間で疑念が広まる。
後に蒼穹の銀翼の一員だったリイムが、新たにヤベー奴と組んで、酒場で大暴れしたとの噂が広まり、ちょっとした話題になるのだが――それは後の話である。
◆ ・ ◆ ・ ◆
「あー……怖かった。全く、酷い目にあったな」
今は夜中。色々と片付け終えたアッシュ達は、流れ星の止まり木亭に帰ってきていた。
酒場で見つけた依頼を幾つかメモし、明日リイムと相談しようと、今は荷物を整理している所だ。
「けど、実際料理は本当に旨かったな。ほとぼりが冷めたらまた行っても……あん?」
手に触れたのは硬質な何か。鞄からそれを取り出してみると、出てきたのは金縁の赤い宝箱の様な小箱だ。
アッシュは全く身に覚えが無かった為、直ぐリイムに相談すべきか? と立ち上がりかけたその時。
ガタガタガタ! と箱が動いた。
「うわぁっ!!」
アッシュは思わず、箱を落としてしまう。床に落ちた後も箱は震え続け、そして――蓋が開いた。
「プハーッ! やっと出られたッス!」
箱は開くと同時に煙と消え、喋る小さな苗木と、それを入れた鉢が現れた。
「な、何だお前は!」
「オレッキッスか? よくぞ聞いてくれたッス!」
喋る小さな木は、一拍置いて言葉を続けた。
「オレッキは住居精樹! アンタの魔窟主の財宝ッス!」
-tips2-
流れ星の止まり木亭。
一泊60ジェル 一月分で1500ジェル
店主ロッジが個人で経営している宿で、その価格の安さから新人冒険者が良く利用している。
その為かロッジの冒険者を見る目は肥えており、彼が実力を見出した冒険者は大体が大成している。
トライン出身の日緋色金級冒険者も、この宿を利用していた過去がある。