夏休みを前に
前線学校の生徒は危険区域では身分証明書の代わりとして、制服または学校指定の野戦服の着用が推奨されている。学校によっては、制服の裏地に名前や血液型などの情報を記す部分が付けられている。
「不甲斐ないわ」
明里は唸るように言った。
「それと、さっきはごめん。あんなこと言って……。言い訳に聞こえるもだけど、意地悪で言った訳じゃないの。ただ、割りに合わないって言いたかったの」
彼女はそう言うと目を伏せた。
「割りに合わない?」
「そう。遊撃隊はあなたが思う以上に危険なの。深い理由とか拘りがないと、割りに合わないのよ」
「……まあ、そうだよな」
彼女の言う通りだ。遊撃隊に移ってから、これまで戦ったことのないHLとの戦闘が何度もあった。それも、ごく限られた武器と人数で。多数、そして機銃や迫撃砲などの重火器で迎え撃つ警備隊とは大違いだ。直斗は今日になって自身の立場を実感した。前線学校の生徒として、守るべき人々がいることを。
「……そうだ、明里はこんなところで何してたんだ?」
直斗は重い空気を変えようとした。しかし、彼女は俯いたままだった。
「実地訓練のつもりだったのよ。結果は見ての通りだけど」
彼女は吐き捨てるように言った。
「弱いくせに無茶するなんて、私ってバカよね」
「そんなことないと思う」
自嘲して言った彼女を、直斗は否定した。
「明里は俺なんかより全然強いよ。経験もあるしさ。それに、あの光景を見たら無茶もしたくなるよ。強くなりたいって」
その言葉に、明里は顔を上げた。
「……ありがとう。」
「明里の向上心があるところ、俺も見習いたい」
「……向上心なんかじゃないわ。辛いことから逃げようとしてるだけよ。実は……」
その時、土手の上の道から車のエンジン音が聞こえた。橋の警備隊が到着したのだ。
「……ごめん。後で話すわ」
明里はそう言うと、M16をスリングで背負った。直斗も後に続き、2人で土手を登った。
それから数日後、定期試験を乗り越えた宮堀の生徒達は、夏休み目前ということもあって浮き足立っていた。暑さと休みの直前ということもあり、仕事をしない遊撃科の生徒も多い。直斗達も、その日は整備という名目で仕事へは出かけなかった。作業机で、銃の簡単な手入れをしていた。日を跨ぐと、明里と直斗の関係も元に戻ったように見えた。
それぞれの銃を簡易的な分解、フィールドストリップして機関部の汚れを拭き取り、動作を良くするために適量のグリスを塗る。銃身も火薬による汚れを専用の道具で拭い去る。命を預ける武器は、常に最良の状態に保つのが理想だ。最低でも、安全に弾が撃てるようにはしておきたい。軍隊の兵士のように目を瞑ったまま分解組み立てする、とまではいかないが、前線学校でも一通り銃の手入れは教わる。
直斗は一度だけやったことのある、完全分解を思い出していた。大抵の銃器は、簡単な分解でバレルとボルトの手入れが出来る構造になっている。だが、授業の中で銃を完全に分解、つまりはトリガー周辺のピン1本に至るまでを分解したことがあった。自由参加の授業であったため、受けたのを後悔した。分解から組み上げまでは相当な労力であった。
「終わった」
真っ先に組み上げたのは雪だった。彼女は組み上がったPPShを大事そうに抱えた。
「随分と早いな」
直斗は、ようやくFALの組み立てに入った所だった。
「ロシア製、特に古いのは仕組みが簡単だから」
「その辺は羨ましいわよね。私もAKにすればよかったかも」
そう言いつつも、明里が丁度M16を組み上げた。M16系統はAK系統に比べると、やや分解の手間が多い。どちらの系統でもないが、AKと同じロシア製のPPSh41は、かなり簡単な構造だ。
「これに参加しようと思うんだけど、どう思う?」
銃の手入れが一通り終わり、銃を片付けた明里は鞄から1枚のプリントを出した。
「ああ、温泉旅館のやつか」
そのプリントは帰りのホームルームで配布されたものだ。夏休み中の特別な仕事について書いてある。
内容は、最近HLが目撃された温泉街一帯に集団で向かい2泊3日で調査、及び掃討戦を行うこと。老舗旅館にほぼ貸し切り、それも安価で泊まれる特典付きだ。
「私は行くよ!雪も行くよね?」
「うん」
柑奈と雪は即答だった。
「俺も。結構報酬も良いし、役に立てるなら」
「それじゃあ決まりね。ただ……もう1人は欲しいところね」
現地での振り分けがどうなるかは未定だが、概ね分隊ごとに宿に泊まる予定だ。4人だと少し少ない気もする。
「それなら俺に当てがある。雪は知ってる人だよ」
「井上……和也だっけ?」
「そう。あいつ、ちょうどその時期休みらしいし」
直斗は彼に声をかけるべく、体育館へ向かった。体育館では特殊科の生徒達が格闘訓練に勤しんでいた。彼らは逞しい体格の者が多かった。遊撃科や警備科の生徒と違い、特殊科は常に仕事がある訳ではない。そのため放課後は、ほぼ毎日が訓練漬けだ。基礎体力作りから射撃、各種格闘、乗り物の運転、手榴弾の投擲だけで数時間使うこともある。今はタイミングよく休憩だったらしく、和也は入り口の階段に座って、仲間と話しながら汗を拭っていた。直斗は彼を見つけると、早速その話を振った。
「格安で旅館に泊まれるんだろ?俺も行こうと思ってたぜ」
「それはよかった。じゃあ、俺たちと同じ旅館になるだろうけど大丈夫だよな」
「もちろんだ。だって、そっちには華があるしな」
「華……明里たちのことか?」
「そういうことだよ」
和也はニヤニヤと笑った。
「変なことしないよな?」
「まさか。俺はこう見えても真面目だぜ?」
「知ってる。でも一応だ」
和也が無闇に手を出すような人間でないことは知っていた。彼を誘った理由の一つでもある。
「それじゃ、当日はよろしくな」
「おう。地獄の合宿前の息抜きにはなりそうだ」
直斗は思ったよりも早く、彼を仲間に入れることが出来た。
和也を仲間に引きれた彼は、やや急いで整備庫へと戻った。
「顔合わせはしなくていいの?」
「あいつも何かと忙しいしな……。俺が間に立つから、現地で初対面になりそうだ」
明里の問いに答えると参加の旨をプリントに書き、いつも通り窓口に提出する。すると、5人の行き先となる宿の情報が書かれた書類が渡される。
「朝日館ね……」
「今ネットで調べたら結構評価よかったよ!」
柑奈がスマホの画面を見せる。星の数は5つ中4.7であった。
「風呂も結構広そうだな」
渡されたパンフレットを直斗は眺めた。横から雪が覗き込む。
「混浴だって」
雪が顔を上げて言った。現在は休業日であり、少人数のために男女ともに湯を張るのは資金的に厳しいそうだ。
「変なこと考えてないでしょうね?入る時間は別にするわよ」
明里が腕組みをして、睨むような目をしていた。
「そんな気はないよ。それに、水着着用って書いてあるしさ」
「それでも変なことしたら許さないわよ。それと、和也ってのは信用できるんでしょうね?」
彼女は相変わらず厳しい視線のままだ。
「それなら心配ないよ。普通にいい奴だからさ」
あんなことを言っていた和也ではあるが、覗きやらをするような人間でない。
「そういえばこの温泉街ってさ、HL出て休業までしてるんでしょ?お店の人達は避難してないの?」
柑奈の疑問はもっともだった。だが、
「先生が言ってたわよ。目撃されたHLの数も少ないし、歴史ある建物も多いから避難に踏み切れないって」
「あと、避難先の確保もまだとか言ってたよな」
直斗と明里はその理由を知っていた。
「どうせ、浮かれて聞いてなかったんじゃないの?」
「あ、バレた?それよりさ、みんなは水着どうする?」
柑奈は咄嗟に話題を変え、「せっかくだから新しいの買おうかな」と言った。
「そうねぇ……買う必要があるわね」
「雪はどうする?一緒に選びに行こうよ!」
「……とりあえずは家探してみる。もし買うなら防弾のケブラー製がいい」
「防弾の水着ってなんだよ」
談笑しながら、直斗は去年友達と海に行った時のことを思い出した。クローゼットの奥にその時の海パンが仕舞ってあったはずだ。
水着の話から、自然と当日の持ち物の話になった。日焼け止めやら帽子などは推奨として書類に書いてあった。
「銃とかはどうする?」
「私はいつものM16とベレッタよ」
柑奈の質問に明里が答える。
「弾は多めに持って行った方がいいんじゃないか?」
宿には2泊3日で滞在する。遭遇するHLも分からない以上、ありったけの弾薬を持って行きたかった。
「それもそうね。ついでに信号銃も拝借しましょう」
「使う機会あるか?」
「念のためよ。救難とか報告のために。無線機は持ち出せないし、携帯が繋がらなくなるかも」
「それもそうだな。後で手続きしておこう」
「じゃあ梱包爆弾も用意する?」
雪が提案した。それは、障害物破壊用の大型の爆弾のことだった。重いが、かなりの威力がある。
「何を吹っ飛ばす気だよ……てか、それは温泉街にも被害出るからそれはダメだろ」
「残念」
直斗は彼女の案を却下する。冗談なのか本気なのか、曖昧だった。
「冗談言ってないで、ちゃんと必要な物確認しときなさい」
「なんか明里って、時々先生みたいだよね」
「あなた達がしっかりしないからでしょ?」
柑奈に反論する明里も、どこか本気ではなさそうだった。仕事の延長、とは言え皆が遠足気分で浮かれていた。その日を楽しみに準備しながら、直斗達は夏休みを迎えるのであった。