現実
HLは大群での奇襲を行うと習性がある。そのため予想外の場所を数で押し切られ、土地を奪われてしまったことが多い。
その日の仕事は、物資の運搬の仕事だった。直斗はいつものジープを川沿いに走らせる。この道は、前線学校の生徒が車を運転出来る限られた場所だ。明里が隣で地図を持っていた。本格的に暑くなる季節で、ジープで風を切ると気分が良かった。
「次の橋までは直進。そのあと右折よ」
後部座席には柑奈と雪が座っている。2人の足元には大量の段ボールがある。荷台にも、木箱や段ボールが山積みになっていた。機関銃は外されている。
「この箱チョコレートだって」
「一個貰えるかな?」
「ダメだと思うよ」
雪と柑奈の2人は箱を手に取ってその内容を見ていた。
「眺めるのはいいけど、傷付けないでよね。くすねようだなんて論外よ」
明里が厳しめに2人を注意した。
今向かっているのは、新たに構築された戦線だ。数日前にHLが橋を渡って奇襲し、街が奪われてしまった。今は直斗達の宮堀とは別の前線学校と、民間の軍事会社が防衛に当たっているという。なのでそこの前線に物資を届けに行くのが仕事だ。今日整備庫に着いたら、既に明里はこの仕事の準備をしていた。
「まさか街が落とされるなんてな……」
「空と橋から来て、数で潰されたらしいわ。奴らの常套手段ね」
明里の目付きが鋭くなっていることに直斗は気付いた。
「そこを右よ。速度を落として」
直斗はギアを下げた。すると、周りの様子が変わってくる。住宅街だが、人の気配がなかった。道には車が放置され、様々な物が散乱している。窓が割れた家も目立つ。彼はその中を20km程の速度で進む。
「ここが……」
「ええ。そろそろ前線に着くはずよ」
しばらく進むと、広い庭を持つ、和風家屋の前でポロシャツを着た男性が手を振っていた。彼は背中にM4小銃を背負っている。
「来てくれてありがとうございます」
「いえいえ。さ、荷下ろしするわよ」
車を停めると、男性が軽く頭を下げた。彼が合図をすると、その家の庭から6人の男が出てくる。彼らも皆、武装していた。明里は車から降りて、荷台の扉を開けた。
「これ重すぎるよ!私と雪じゃ無理」
柑奈は細長い箱を持とうとしたが、少し引きずっただけだった。
「2人は小物をお願い。直斗、私とこれ下すわよ」
「ああ。というかこれ本当に重いな……」
どうにか1つめを下ろすと、「確認してもいいですか?」と先程の男性が蓋を開けた。そこには、M16が数挺収まっていた。
「使用品だけど、問題は無いはずです」
明里は軽く説明をした。これは、学校で貸し出しや訓練用に使われた銃だった。使わなくなったものを、無償で届けたのだ。男達はそれぞれ下ろした箱を家の方へ持って行った。平家の、庭の広い家だ。庭にはいくつかのテントが見える。
「中古でも問題ありません。弾と食料もありますよね?」
「ええ。弾はその箱に、食料は段ボールに」
彼女が中身の説明をしたり、何かの用紙を渡して男性が記入したりしている間、直斗達は荷下ろしを続けていた。木箱は彼1人でも下ろすことが出来た。箱は夏の太陽で熱くなっていた。
「この箱は……AKですね」
「そいつは助かる。なにせ硬い奴には5.56だと厳しくてね」
彼が箱を開けると、坊主頭の男性が中にあった銃を1つ手に取った。なんの変哲もない、AK47だった。木製のハンドガードやストックには傷や汚れがあるが、使用には問題無さそうだ。
「あなた達は……民間軍事会社の人ですか?ここに応援に来たって言う」
「俺含めて何人かはそうだが……一般人も多い」
その言葉に直斗は驚いた。前線学校と民間の軍事会社が対応してるのは知っていたが、一般人までもが武装しているのは初耳だった。
「2箱同時に行こう。そっち持ってくれ」
直斗はその男性と一緒に箱を持ち上げた。約10艇のライフルは中々に重い。広い家のテントには、着の身着のままといった様子の人々が身を寄せている。家の中にも、人がいるようだ。そして、所々に武装した人が立っている。と言っても、ほとんどが私服に銃を持ったままだった。また、大きな鍋で炊き出しが行われているのも見えた。
「街が襲われたって聞いて、俺たちと近くの前線学校が駆け付けたんだが……人員の不足でね。学校の方は別の案件も抱えてるらしくて、一般人が武装するしかない始末さ」
「あのテントの人達は?」
「ここらの住民だよ。避難したはいいが、受け入れ先がなくてここに残ってる。遠方の親戚宅に逃げられたのもいるが、残りはここで野宿さ」
その現状に、直斗は言葉を失った。これまで、HLの被害を直接見た事は無かった。
「今だってHLどもはやって来る。その上、奴らは前線を横に伸ばしてるって話だ。国に色々要請したんだが、いつになる事やら」
2人は荷物を集積場のような場所に置いた。そこには他にも箱が置いてあった。貼られた紙から、色々な団体が物資を届けているようだ。
「ま、こうして物資が届くのが不幸中の幸いだ」
男性は大きく伸びをすると、ジープの方へと戻って行った。直斗も後に続く。周りにいる人達は、あまり綺麗な身なりをしていなかった。それもそうだ。こうして野宿同然の生活をしているのだから。彼は思わず目を伏せた。
「直斗助けて!」
その時、柑奈の声が聞こえた。見れば、彼女は子供達に取り囲まれていた。
「どうした?」
「お菓子の箱開けてたらこんな事に!どうしよう!?」
子供達がお菓子の箱に集まり、一生懸命に手を伸ばしていた。中には、なぜか柑奈をくすぐっている子供もいた。彼女には悪いが、子供がまだ元気なようで直斗は少しホッとした。少しすると、雪が追加のお菓子の箱を持って来たので、彼女はどうにか脱出出来たようだ。
「お疲れ。中の様子は?」
車に戻ると、明里が声をかけた。既に他の荷物は下ろされたようだった。
「……」
彼は何も言えなかった。
「そうね……。家を失って行く場所がない。支援もほとんどなくて、あり合わせの武器で武装。悲惨だけど、これが現実よ」
「こういう場所は他にも?」
「……ええ。それくらい知ってるでしょ」
彼女は車にもたれかかり、唸るように言った。
「少し当たりを探索しましょ。報告書を書かないと」
2人は先程の家の敷地内に戻って行った。庭を抜け、裏口に当たるとすぐに最前線に到達した。2階建てのアパートに機銃座が設営されている。直斗達が見えると、そこにいた見張りの人達が軽く頭を下げた。彼らも皆、あり合わせの武装だ。
「物資を届けてくれたんですって?暑い中ありがとうございます」
「これくらい当然です。……その、今の状況は?」
「見ての通りです。大規模な襲撃こそないにせよ、ちらほらとね」
アパートから数メートル先には、HLの死体が転がっていて、地面には空薬莢が所々に散乱している。
「この先も見に行くか?」
「やめとく。私達がHLに見つかれば、彼らの負担になるから」
前線の先、つまりは危険区域までは行かなかった。陽炎の見える道の先は、もうHLの住処になっている。それらは姿を見せず、蝉の鳴き声だけが聞こえる。
「明里ー!そろそろ戻ろう!」
背後から柑奈の声が聞こえた。隣には雪がいて、周りには8人ほどの子供がいる。2人はいつの間にか彼らに懐かれていたようだ。
「……そろそろ戻るわ。これから報告書の作成があるから」
そう言うと彼女は、近くにいた人に軽く挨拶をして、ジープの方へと戻って行った。直斗は少しの間、静まり返った廃墟の町を眺めていた。
帰りの車は明里が運転していた。
「私達はもっと強くなる必要があるわ」
彼女は低い声で言った。
「……そうだな」
「今日見たのは私たちの場所でも起こりうることよ。気を引き締めて」
明里の言い方には強い力があった。眼は、睨むように鋭かった。
「明里、その……何かあったのか?」
「あの光景を見たんだから、当然よ」
あの町で見た光景は、直斗に大きなショックを与えた。なぜなら、初めてHLの被害を実感したからだ。
これまで人伝の話では聞いていたが、実際に見るのとでは違った。家を追われ、危険な場所で暮らす人々を、初めて直接見て衝撃を受けた。直斗はまた、この時初めて自分の立場を思い出した。自分が、前線学校の生徒である事を。
前線学校は、学生でありながらHLとの最前線で戦う。多くの学生が使命感や責任感を持って入学し、生活している。しかし、彼は違った。入学した理由は、人員確保の必要性から生じる合格率の高さと、単純な通学のしやすさだった。少なからずHL掃討への意欲はあった。だが、それは後から付けたように薄かった。遊撃科に移ったのも、言うべきでないような軽い動機からだった。
彼はそんな自分を激しく恥じた。なんの理由も、責任も持たずに戦っていたこと。自分たちの後ろの、守るべきものを忘れていたことを。己の責務と自覚を忘れていたことを。これまでも多少は負い目を感じたことはある。しかし、今日の出来事は彼に大きな打撃を与えた。自分に嫌気がした。
「あなたは何か感じた?あれを見て」
不意に、明里が彼に話を振った。
「うん……なんて言うか、思い出したよ……。俺たちの責任とかをさ……」
道中、彼は迷ったが自信の事を明里達に話した。そうすることで、自分と向き合い、気持ちを新たにするつもりだったし、それを言わないで抱えている方が辛かった。明里は、黙ってそれを聞いていた。
「……そういう訳でさ、ようやく自分の立場が分かったよ。守るべきものがあるって」
睨むような眼付きではないが、彼女の表情から感情は読み取れなかった。
やがて、整備庫へと戻った。その間明里は何も言わなかった。直斗はまずいことを言ったのではないかと後悔していた。半端な理由でこの学校に入った自分を明里は許せないのだろうと。後片付けが済むと、明里が直斗にこう言った。
「あんた、遊撃隊向いてない」
それだけ伝えると、彼女は荷物を持って行ってしまった。直斗はその場に残って、彼女の背中を見ていることしか出来なかった。少しして、彼は我に帰った。
「……言わない方がよかったのか?」
「んー、そうかもね」
「明里だしね。でも直斗が悪い訳でもないよ」
柑奈と雪は慣れた様子だった。直斗は自分が失言をし、彼女の怒りを買ったのだと思っていた。遊撃隊の仕事に真剣に取り組む彼女のことを考えると、納得できることだった。
「俺、彼女に謝って来る」
「ストップ。今はやめた方がいいよ」
直斗は明里の行ったであろう方へ向かおうとしたが、柑奈に止められた。
「今行っても悪化するだけだと思うの。だからさ、少し待って……明日ぐらいがいいと思うよ」
柑奈の助言もあり、その日は帰宅することにした。帰りの支度をした直斗は川沿いを自転車で走っていた。「遊撃隊向いてない」。その言葉が何度も繰り返される。確かに言う通りかも知れない。覚悟も使命感もなく、自覚さえ忘れていた自分には、遊撃隊なんて向いていない。走りながら川の方に目をやる。それほど流れの強い川ではないが、HLを阻む天然のバリケードとして機能している。その川の先には、HLの巣食う区域が広がっている。
対岸、つまりは危険区域側に直斗は人の姿を認めた。遠目でよく見えないが、女性であることは分かった。1人だけで、銃を持っているようには見えない。あまりにも危険すぎる。彼は心配になってすぐに方向を変えた。その姿を確認しながら、橋の方へと急ぐ。
学校前の橋に着くと、番をしている生徒に止められた。
「お、直斗じゃん。知ってると思うけどそれじゃあこの先には行けないぜ?」
「通してくれ。川岸に女の人が1人いたんだ。武器ならバッグの中に拳銃が入ってる!」
「それはマズイな……分かった。俺たちも後から行く!」
直斗は急いで自転車を漕ぎ、その河原を目指した。途中までは道路を使い、彼女を見た場所の近くに着くと、自転車から降りた。河原の砂利の上は自転車より走った方がいい。彼が走り出すと、前の方から咆哮が聞こえた。見れば、その女性は獣型3体と人型2体に囲まれ、戦闘状態にあった。彼女はナイフを振るって前方の人型を斬りつける。左から接近した獣型に裏拳を叩きつけて牽制した。だが、そのせいで右から来たもう1体への対処が遅れた。咄嗟にナイフを突き出すも、突進の勢いそのままに押し倒されてしまった。彼女は身を捩って振り解こうとするが、完全に馬乗りの状態にされていた。
直斗はバッグを投げ出し、ブローニングハイパワーとコンバットナイフを構える。自分に1番近い獣型を3発で仕留める。走りながら、銃声に反応した人型に4発撃ち込む。
「こっちだ!!」
彼は叫ぶと、彼女を押し倒している人型に飛び付いた。流れ弾が当たる恐れがあったからだ。力づくで引き離したHLの胴体にナイフを突き立てる。刺したナイフを乱暴に動かし、確実にトドメを刺す。手が生暖かい体液で黒く染まる。
「っ、この!!」
振り向きながら、飛び掛かる獣型にハイパワーを乱射した。勢い余って鼻から地面に激突したHLを尻目に残りの1体、獣型を狙う。
その時、真横からライフルの銃声がフルオートで響いた。胴体に弾丸10発余りを受けたHLは、断末魔すら上げずに息絶えた。
そのライフルを撃ったのは先程襲われていた女性、明里だった。
「明里……その……大丈夫か?」
直斗はどう言葉をかければいいのか分からなかった。なぜ彼女がここにいるのか。そして、ライフルに弾が入っていたのに、どうして使わなかったのか。明里は、に安全装置を掛けて、唸るように言った。
「不甲斐ないわ」
ありがとうございました。
心情描写って難しいですね