笹原柑奈
その日は梅雨入りした頃で、空には暗雲が広がっている。今にも雨が降り出しそうな天気の中、1台のジープが街を走り抜ける。運転しているのは直斗だ。助手席には柑奈が座っている。明里と雪は乗っていなかった。雪は風邪を引いたらしく、大事を取って学校が終わるとすぐに帰った。明里の方は別の分隊の仕事に参加している。2人では仕事も受けられない。そんな中、柑奈が「行きたいところがある」と提案したのだ。
「あ、ここでいいよ。ストップ」
柑奈が車を止めるように言った。直斗はエンジンブレーキで減速した後、停車した。エンジンを切って、FALを持って降りる。
「ここは……学校か?」
「そう。中学校だよ」
柑奈はM2カービンを担いで校庭へと入って行った。
「中、危ないんじゃないか?」
「多分平気かな。エンジン音にHLが反応してないから」
彼女は昇降口から建物の中に入り、少し躊躇った後、土足で歩き出した。直斗はFALのストックを折り、腰だめにして警戒しながら進む。校舎の中は薄暗く、少し寒気がした。
「急に来たいって言ったけど、何かあるのか?」
「大したことじゃないよ。ただ気になっただけ」
彼女は手近な教室のドアを開けた。そこには木製の机と椅子が並んでいる。
「あ、そのままなんだ」
「意外に荒れてないんだな」
中は思ったより綺麗だった。そして当然だが人の気配が全くない。危険区域は総じてだが、この学校も不気味で寂しい雰囲気を放っていた。気がつくと柑奈は、2階へと続く階段を登っていた。彼女は迷う事なく、ある教室のドアを開けた。
その教室もまた、先程の場所と大差はなかった。だが、柑奈は部屋の中をゆっくりと歩いている。ロッカーやベランダ付近、黒板の前などを通る。彼女の靴音がよく聞こえる。そして、しばらくすると教卓から見て左から列目、1番後ろの席の椅子を引いて座った。傍らにM2カービンを置き、黒板を見つめている。
「柑奈、どうかしたか?」
少しして、直斗は声をかけた。柑奈は黙ったままだ。
「柑奈?」
「え?ああ、うん。もう大丈夫。後もう1箇所付き合ってくれる?」
「別にいいけど……」
彼女は慌てて立ち上がり、教室を後にした。去り際、振り替えって室内を見つめている気がした。
「行きたい場所ってどこだ?」
「行けば分かるよ。鍵開いてるといいんだけど」
そう言いながら、柑奈は3階へと登って行った。そして、先程同様真っ直ぐに1番端への教室へと向かった。彼女は扉を軽く引く。すると、鍵は空いていた。
「音楽室か?」
「そ。音楽室」
入ってすぐに、そこが音楽室だと分かった。グランドピアノや、均等に孔の空いた壁があったからだ。流石に、音楽家の肖像画は外されていた。
「なぁ柑奈、さっきの教室とこの音楽室って……」
「察しのいい人ならとっくに気づくかもね。ここは私の母校。さっきのは3年の時の教室だよ」
彼女は懐かしそうに部屋の中を歩いたり、窓から外を眺めていた。
「なんとなくそんな気はしてた。それじゃ、柑奈は吹奏楽部だったのか?」
「正解。トランペットやってたの」
彼女は端の方に放置されていた椅子を持って来ると、位置を合わせて座った。
「ここが私の定位置だったの」
彼女は目を閉じていた。きっと、思い出に浸っているのだろう。直斗は静かに、窓の方に歩いて行った。窓からは街が一望できる。その街も今や、完全に崩れたか、崩れかけの建物だけになっている。
「ここからの眺め、いい景色でしょ」
柑奈は椅子から立ち上がり、直斗の隣に立った。
「私も好きだったんだ。この景色。窓を開けると風が気持ちよくて、運動部の声とかも聞こえて来て……。逆に運動部はここからの音を聴いてたんだって」
彼女は徐に窓を開けた。梅雨の湿った風が入って来る。
「こういう日もあったなぁ……あ、見て、あそこ!」
柑奈は窓の外、駐車場らしき所を指さした。そこには人型の、最もよく見るタイプのHLがいた。数は1体だけだ。
柑奈はM2カービンを構え、そのHLに狙いを付けていた。
「撃ったら不味いんじゃないか?」
「これは音が小さいし、室内からだから」
そう言うと彼女は引き金を絞った。比較的小さな破裂音がし、次の瞬間にはHLが倒れた。起き上がろうとするが、上手く立てずにその場でもがいていた。
「脚を撃ったのか?」
「そ。練習になると思って」
続けて柑奈は素早く3回撃った。うち2発は肩と脚を貫き、最後の1発が頭を撃ち抜く。
「撃破完了!」
1発も外さない、彼女の射撃は見事なものだった。
「私はさ、あいつらに復讐がしたいんだ」
柑奈は窓を閉め、カービンに安全装置をかけた。
「あいつらって、HLか」
「そ。別に親しい人を亡くした訳ではないんだけどさ。でも、こうして私の育った場所を奪われたから。この近くに住んでた家もあるんだよね。……爆撃とか砲撃で更地になっちゃったけど」
「………」
直斗は何も言わなかった。なんて言えばいいのか、分からなかった。
「えっと、なんか湿っぽくなっちゃったね。直斗はさ、なんでこの学校選んだの?」
彼女は苦笑し、話題を変えた。唐突な質問に少し戸惑いつつも、
「宮堀に来た理由か……まあ、大した理由じゃないよ。ごくありふれた理由」
彼はそうに答えた。
「なるほどねぇ……」
柑奈はまた音楽室の中を歩いて、様々な角度から部屋の中を見ていた。きっと、それぞれの場所に思い出があるのだろう。
(俺がここに入った理由……)
直斗はその事を考えていた。その時不意に、柑奈が声を掛けた。
「もう満足したから、そろそろ帰ろうと思うの。運転、お願いしていい?」
「ん?ああ、わかった」
直斗は思考を一時中断し、柑奈に続いて音楽室を後にした。改めてだが、チャイムや人の声の聞こえない学校は、寂しく感じられた。
「ここがHLに占領されてなくてよかった」
「奴らは建物を巣にする事多いからな」
直斗はジープを元来た方へと走らせる。結局、遭遇したHLはあの駐車場にいた個体だけだった。柑奈は母校をまた見ること、そしてHLに占拠されていないかを知りたかったのだ。帰りの道中、エンジン音にゆっくりと集まる、鈍間なHLを柑奈は暇つぶしに狙撃していた。
「いつの日かさ、この街を取り戻したいんだ。私の育った、この街を」
カービンの銃声の合間に、彼女の声が聞こえた。
やがて2人は学校へ戻った。車を停め、帰ろうかという話をしていると、別の分隊と作業をしている明里が目に入った。
「あら、2人ともどこか行ってたの?」
「ああ。柑奈の母校に」
彼女は仕事を終えた後のようで、M16小銃をスリングで吊り、ポーチ類を持ってどこかへ行こうとしていた。
「今から帰るのか?」
「少し射撃場に寄ってからね。よかったら2人も来る?」
まだ時間も遅くなく、帰っても特にする事はない。直斗と柑奈の2人も、射撃場に向かうことにした。
3人が向かったのは、学内にある野外射撃場。簡易的なテーブルから的を狙う、シンプルなものだ。的は一定時間になると、利用者達が再配置をする。設置中、射撃地点立つのは厳禁だ。行くと、ちょうど窓の設置が終わった頃だった。今日は利用者が少なく、3人並んで使うことができた。
「まずは直斗、やってみて」
明里が指示したのは、50メートル先の的だ。彼女は双眼鏡を使って、着弾点を観測している。
直斗はFALを構えて的の中心を狙った。反動によるブレで、着弾点は中心より右上。中心を10点とすると、5点の辺りだ。続けて発砲するが、8点が最高で、3点の場所に当たることもあった。
「やっぱり、7.62は反動が強いな」
銃を下ろし、直斗は首を横に振った。
「だったら私と同じ5.56にしたら?反動も少ないし、軽くて扱いやすいわよ」
「今更別の銃買うとお金がな……それに、俺はFALの性能に慣れてるんだ」
命中精度はそこまで高くないが、彼はFALに慣れ切っていた。また、学校をHLから守る警備隊は、交戦距離長くなる場合が多い。その時に、FALの射程と威力には助けられた。直斗はそのことを話した。
「急所は抜けなくても充分な威力があるし、硬いHLも倒せるからさ。俺はこれでもいいかなって」
「まぁ、それが大口径の利点ではあるわね。でも、精度を上げるのに越したことはないわ」
そう言う明里に、直斗は僅かながら対抗心を感じた。
「じゃあ、明里の方はどうなんだ?射撃の腕は」
「自慢じゃないけど、結構ここには通ってるのよ。だから、並以上はあると思うわ」
そう言うと彼女は的に向かった。着弾の観測は、直斗と退屈そうにしていた柑奈が行う。彼女はM16を構え、キャリングハンドルに付いた照準器で的を狙い、引き金を引いた。3回発砲し、8点、10点、9点の場所に風穴が空いた。
「流石明里だね」
双眼鏡から目を離した柑奈が言った。自分で言っただけあり、彼女の腕は確かなものだった。
「すごいな。実は半信半疑だったから驚いたよ」
「これくらい当然よ。扱いやすさが、小口径の最大の武器だもの」
彼女は毅然とした態度で言うと、銃に安全装置をかけ、マガジンを抜いた。
「ねぇ、次撃ってもいい?」
言うが早いか、柑奈が射撃位置に立った。
「あなたもう充分でしょ……」
「でも撃たせてよ。せっかくだから」
彼女はM2カービンを構える。今度は直斗と明里が双眼鏡を覗く。
「いつでもいいぞ」
「オッケー」
言い終わると同時に、彼女は発砲した。双眼鏡で的を見ていた直斗は、何が起こったか分からなかった。的の中央、明里が開けた穴が僅かに広がったのだ。
「嘘でしょ……」
明里は驚いてるようだ。
「よく見えなかったから、もう1回いいか?」
「んー、分かった」
彼女はまた発砲した。今度は、3発続けてだ。だが、結果はどれも、的の中央の穴が広がるだけだった。
「なあ、穴が少しずつ広がってる感じがするんだが、どういうことだ?」
直斗はよく理解できずに、明里にきいた。
「あいつ、私の開けた穴に自分の弾を通そうとしてるのよ。その時に、弾の端が当たって穴を広げてるの」
「マジか」
言われてみれば納得できる。彼女の発砲で広がった穴の面積は僅かだ。つまり、弾丸のほとんどは既に空いている部分を通っている事になる。
「柑奈、そんなに命中率高いのか……」
「ほんとよ。無駄に射撃の腕があるのよね。一体どうやってるの?」
「どうって言われてもなぁ……私は銃の癖を掴んでなんとなくで狙ってるだけなんだよね」
柑奈自身、特に意識ししているコツなどは無いそうだ。
「凄いなそれ……狙撃手やった方がいいんじゃないか?」
今のを見ても分かる通り、彼女の腕と勘があれば、優秀な狙撃手になれるはずだ。しかし、柑奈はその提案を断った。直斗はその理由を尋ねる。
「なんで断るんだ?そんな腕があるのに」
「そうよ。勿体無い才能よ」
明里も彼女には狙撃手としての適性があると感じている。
「なんて言うかさ、じっとしてるのは性に合わないんだよね。だからスナイパーはやりたくないの」
彼女の言葉に、明里はため息を吐いた。
「まったく、あなたらしい理由ね」
「でしょ?私には私のスタイルがあるの。あ、話変わるんだけど、直斗のFAL撃ってもいい?」
彼女は思い付いたように言った。
「ああ。柑奈には少し大きいんじゃないか?」
直斗は彼女に銃を渡す。女子の中でも背の低い柑奈には、持ちづらそうに見える。セレクターなどの操作を簡単に教わると、彼女はさっそく的を狙った。同じ距離の、別の的だ。
そして、4発目で真ん中を撃ち抜いた。続けて3発、中心と付近の位置を撃ち抜く。
「う〜、やっぱり反動が強いね。肩が痛くなりそうだよ」
右肩を回しながら、彼女は銃を返した。直斗は唖然としていた。なぜなら彼が初めて的の中心を射抜いたのは、数10発撃ってようやくの事だったからだ。それを柑奈は、いとも簡単にやってのけたのだ。
「マジかよ……」
「こいつの才能は他の銃使っても発揮されるのよ……」
明里ですら、彼女の才能には驚いていた。それを見て柑奈は、無邪気に笑っていた。