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『生』について

 何のために生まれてきたのだろう?

 何のために生きているのだろう? 

 何のために生きるのか?


 人間には生まれながらに生まれてきた意味があるという『実存主義』という考えもあるけれど、悲しいかな、現代人は現実主義者が多く、実在主義などないことに気付いてしまった。


『親ガチャ』『子ガチャ』などの言葉が生まれた通り、個人がどれだけ努力してもどうすることもできない現実があると諦めてしまっている。

 確かに人間一人が努力したところで、どうすることもできない現実が多すぎる。


 自分一人が努力しても、社会が変わらなければ意味がない……。

 現代のような格差社会ではそう思う人が多くなっても仕方がないことだ……。


 昔のような成り上がりはかなり難しくなっている。

 だからといって、一人一人の努力がなければ何も変わらない。


 地球温暖化、環境破壊の問題でも、個人一人の努力ではどうすることもできないが、何百万、何千万、何億の人々が少しずつ努力すれば塵も積もれば山となる。


 一人一人の人間が変われば、社会も変わる。

 が、個人一人一人の努力が本当に難しい……。

 何を努力していいのかすらわからない。


 生まれで殆どが決まってしまうなら努力する意味、生きる目的すらわからない……。

 前置きはこのくらいにして、私が今回扱うのは人間の存在には意義、目的、理解できるような真理などないという『虚無主義』側のネガティブな生についてである。


 生まれてきた意味を誰でも一度は考えたことがあると思う。

 生きていれば誰でも考えることだ。

 その答えを見つけるために自分探しの旅をする人もいる。

 

 だが決まって絶対的な真理など見つけられるはずもなく、最終的には自分の出した答えで納得するしかない。

 受動的にこの世界に生み出されて、意味もわからぬまま能動的に生きて行かなければならない。


 スピリチュアルの世界では子供は親を選んで産まれてくるという。

 本当にそうならどれほど素敵な話だろうか。

 だがそれが本当なら、テレビで見るような悲劇は起こらない。


 差別的に聞こえるかもしれないけれど、この世界には親になる資格のない人も間違いなくいる……。

 穢れ切った私の心には、子供が親を選んで産まれてくるというおとぎ話など信じられない。

 

 子供は産まれたいか、産まれたくないかすら選ぶことができず、親を選ぶことができず、性別を選ぶことができず、障害を持つ持たざるかを選ぶことができず、環境も選べない。


 何も選ぶことはできない。

 無という楽園から勝手に追放されて、この世界を彷徨う迷える子羊。

 人間は常に迷子なのだと思う。


 考えても考えても、生まれてきた意味はわからない。

 形を掴んだつもりでも、その意味は物質の三態のようなもので、固体、液体、気体に変わってしまってすぐに見失ってしまう。

 

 私たちは死ぬまであるはずもない生きる意味を探しながら生きていくしかないのだと思う。

 生きる意味に絶対の正解なんてないのだ。

 何のために生きるのかは個人が見つけ出さなければならない。

 

 親の後を継ぐや、政治家になるなどの生まれながらに生きる意味、目的を親、あるいは周りから与えられる者もいる。

 与えられない者もいる。

 生きる意味、目的を与えられるのは苦しみか、与えられないのが苦しみか私にはわからない。


 生きる意味、目的を与えられれば自由を束縛されたと思い苦しむかもしれない。

 生きる意味、目的を与えられなければ与えられなかったで自由の刑に処せられるかもしれない。

 自由とは案外辛いものだ。


 その証拠に生きる意味を見つけられずに苦しんでいる人が多くいる。

 この状態を虚無主義ニヒリズムという。

 語弊を招く言い方だと思うけれど、人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などニーチェが提唱したようにない。


 この考えが正しいとは言わないが、間違いだとも思わない。

 昔の人は宗教に依存することで、生きる意義や目的を与えられていたけれど、現代人、特に日本人のような無宗教徒はニヒリズムに陥りやすい。


 人間は弱い生き物で何かに依存しなければ生きられない。

 だから、何かに過度に依存する現代人が増えている。

 ニーチェは百年以上も前からニヒリズムに現代人が陥るのを予期していた。


 虚ろな意識で、ただ命が尽きるまで、命を浪費するためだけに人生を生きる人間をニーチェは末人と呼んだ。

 現代人はニーチェから言わせれば末人なのかもしれない。

 これからの時代さらに末人ニヒリストが増えるのは間違いないと思う。


 ニヒリズムを乗り越えるためにニーチェは超人になること、つまり誰に肯定されずとも、何にも依存しなくとも、自分で自分を肯定できる超人に人類を押し上げようとした。


 超人になるには虚無感も、不幸な人生も含めて自分を愛する運命愛だ。

 運命を自分で肯定するため、人間は生きる意味を探すために生きている。

 

 愛する人のために生きている者、誰かを救うために生きている者、自分にしかできないことに人生を捧げる者、仕事に人生かける者、趣味に生きる者、快楽のために生きる者、青春漫画のように一つのことに人生を捧げる人間。


 誰も生きる意味を教えてはくれない。

 自分で見つけるしかない。

 そして生まれてきた意味、生きてきた意味を見つけられたとき、人間はこの世界に生まれてきて良かったと思うのだ。

 

 何でもいい、一生を添い遂げたいと思う人に出会うとか、仕事に人生を捧げるとか、趣味に生きるとか、熱中できるものなら何でも。

 超人になれる訳がないのだから、人間は何かに依存しなければ生きられない。


 なら、宗教とか麻薬とか負の依存ではなく、正の依存を作るしかない。

 つまり熱中できる何かを見つけることなのだと思う。

 熱中できるものを見つけること、それが生きる意味になる。

 

 そんなことを急に言われても、熱中できるものを見つけらる人ばかりではない。

 見つけられないから苦しんでいるんだ!

 そのような状態なら、自分で作っていいのだと『異邦人』で知られるカミューは言っている。


 それが『不条理主義』だ。

 生きる意味を見つけるのではなく、自分で作ってしまう。

 近年偏愛ブームなるものが来ていると聞いたが、それは不条理主義のあらわれであるのではないだろうか?


 人類の思想は、実存主義から虚無主義になり、不条理主義に達した。 

 自分の好きな食べ物でも、マニアックなコレクションでも、自分にしかわからない価値観を持ち、偏愛する。

 ようは価値の無いものに自分で価値を与えることでしか、超人になる以外にニヒリズムを克服できない。

 

 けれど、そうできる器用な人ばかりいない……。

 たぶん、生きる意味を自分で作れる人など殆どいないだろう。

 なら、そのような場合はこう思考法を変えてみてはどうだろうか。

 

 生きるために働くのではなく、働くために生きる。

 生きるために食べるのではなく、食べるために生きる。

 生きるために享受するのではなく、享受するために生きる。


 生きるために感受するのではなく、感受するために生きる。

 生きているから景色を見るのではなく、景色を見るために生きる。

 生きているから世界を見るのではなく、世界を見るために生きる。

 

 生きているから本を読むのではなく、本を読むために生きる。

 生きているから物語を知るのではなく、物語を知るために生きる。

 生きているから音楽を聴くのではなく、音楽を聴くために生きる。


 生きているから芸術するのではなく、芸術するために生きる。

 生きているから学ぶのではなく、学ぶために生きる。

 生きるために何かをするのではなく、何かをするために生きるという逆説的な思考法。


 一日一日このように生きる意味を肯定しながら生きるマインドに変えることでニヒリズムを克服できるかもしれない。

 意味がわからないかもしれないけれど、この思考法なら日常生活の色々なことに意味を与えることができる。 


 意外と万能な思考法ではないだろうか?

 この思考法でニヒリズムで苦しむ人を救えるとは思えないが、少しは処方箋になるかもしれない。


 人間の存在に意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値、生きる意味がなかったとしても、生きているただそれだけで意味があるのだと思いたいものだ――。

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