表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/28

『死』について

 死とは何か? 

 と誰でも一度は真剣に考えたことがあるのではないだろうか。

 人によって十人十色、様々な死の考えがあると思う。


 この世界に生きている限り、誰も死を経験したことがないので死ねばどうなるかなど推測することしかできないから、何が正しいかなんて誰にもわからない。


 死ねば天国や地獄、何らかの別世界に行くと思っている人もいると思うし、生まれ変わると思っている者、死ねば終わりと思っている人もいると思う。


 死とは未知のもの。

 どうして私たちは死ななければならないのか、と誰でも考えるだろう。

 死ぬのが本能的に怖い。

 

 ローマ帝国四代皇帝クラウディウスは『死を恐れることは、自分が賢くもないのに賢いと思うことと同じである』という言葉を残している。

 うん……理屈はわかるよ……。

 だけどそんなこと言ったってしょうがないじゃないかぁ……。


 怖いものは怖いのだ。

 誰だって死を恐れない者はいないだろう。

 死の克服こそが人類の夢だと言っても差し支えないだろう。


 科学的にも死と言う現象を研究している人たちがいる。

 生物は歳をとると死んでしまう。

 人間も事故や病気にならなくても、歳を取れば必ず死ぬ。

 

 歳を取ると何故死んでしまうのかハッキリとはわかっていないそうだが、体内のテロメアという細胞が歳を取ると、短くなりそれ以上細胞分裂できなくなると死んでしまうという話もある。


 テロメアとは『生物の遺伝情報が収納されている染色体DNAの両端はテロメアと呼ばれ、染色体を保護する役割を担っている。細胞が分裂するたびにテロメアDNAは少しずつ短くなる。これに伴って細胞分裂の回数が減り、やがて分裂しなくなる。これが細胞の老化だ(ヘルスUP 健康づくり 引用)』


 テロメアとはギリシア語で「末端」を意味しているらしい。

 このテロメアは命の回数券とも呼ばれており、それ以上券を切れなくなれば、つまり分裂できなくなれば、私たちは老化して死ぬのだ。


 その他にもDNAの損傷やエラーが蓄積されて、老化が起こるという説もあるらしい。

 詳しいことはまだわかっていない。

 

 そして進化学的に考えると、老化による死は種が生きていくために備わったシステムだという説が最も有力だと言われている。


 細胞や菌などの生物が複雑になる進化の過程で、生物は歳をとるようになり、死ぬようになったのだ。

 一つの細胞から自己分裂して増える菌や細胞は、クローンでまったく同じ細胞が生まれてしまう。


 だから環境の変化に弱い。

 だが雄と雌の二人親から生み出される生物は、二つの異なる遺伝子を受け継ぐことになるから、環境の変化に強くなり全滅は免れる。


 ダーウィンは言った『強い者、賢い者が生き残るのではない。変化できる者が生き残るのだ』と。

 今生き残っている生物たちは環境に柔軟に適応して、変化してきた生き物なのだ。


 遺伝子は生き残るために柔軟に進化してきた。

 生物は歳を取れば、遺伝子にエラーが蓄積されるようになっているから、そのエラーが蓄積された固体の遺伝子を集団に広げないために、老化によって死ぬようにプログラムを埋め込まれた。


 そしてその死のプログラムは種の存続に有利だったため、多くの生物に広がり、現在ではほとんどの生物は死ぬようになった。

 これが、現在解明されている死の進化学的なシステムだ。

 

 この死のプログラムは残酷だと思うだろうか?

 死なずに不老不死で永遠に生きたいと思うだろうか?

 遥か昔、古代メソポタミアの時代から、世界最古の文学作品と言われる『ギルガメシュ叙事詩』の中にも不老不死を求める話がある。


 栄華を極めた者は決まって死ぬのが怖くなるのだ。

 だが私は不老不死になりたいとは本当に思わない。

 不老不死は終わることのない生の牢獄である。

 

 クラウディウスの言うように死を悪いもの、怖いものと人間は勝手に決めつけているだけなのだ。

 決めつけたい気持ちはわかる。

 私も本能的に死を恐れ、死にたくないと思っている。

  

 生存本能が生物には刻み込まれているから、そう思うのはどうすることもできない。

 死ぬのは怖いが、けれど悪いものではないと私は思う。

 そもそも、良いも悪いも人間が勝手に生み出した概念でしかない。

 

 以前、イェール大学で長年の人気講義であった、シェリー・ケーガン氏の『「死」とは何か』という日本語訳の本を読んだ。

 シェリー氏も死後の世界を信じていないと明言している。


 アメリカはキリスト教の国だから、死後の世界を信じている人が私たちが思っている以上に多いのだと思う。

 一部の州ではダーウィンの進化論を今でも教えていないところがあると聞くくらいだ。


 その環境下で死後の世界はない、と説くのは勇気がいることだと思う。

 冗談抜きで殺される可能性もある。

 だがシェリー氏は臆することなく長年死について教えてきた。


『「死」とは何か』の中で、シェリー氏は死が悪い理由を「生きていれば経験できる良いことを剝奪されるから」という剥奪説を一貫して説いていた。


 確かに、死が悪いと思う根拠を挙げるなら、剥奪説が一番しっくりくると私も思う。

 生きていれば、辛いことも多いけれど、少しくらい楽しいことが必ずあるから。

 

 心が疲れたとき、何気ない光景が涙がでるほど美しいと思うことがある。

 世界は本当に美しいと思う。

 この景色が見れなくなるのは、辛いと思ったこともある。

 だが死が悪い理由にはならなかった。


 死恐怖症タナトフォビアで苦しんでいる人がいることも知っているが、私はやはり死とは救いなのだと思う。


 ヴィンランド・サガという漫画の中では、死とは愛だと説かれている。

 どんな者にも平等に与えられる神の愛なのだ、と。

 この書き方だと勘違いさせてしまうが、死とは愛に包まれること、と言っている訳ではない。


 神の愛、本当の愛とは平等に与えられるものだ、と説かれているのだ。

 こんなこと現実世界で言ったらヤバい奴だと思われてしまうから、こういうところでしか言うことができないが、そう私は思っている。


 だからと言って、以前ニュースであったような集団自殺をするために集まった人々を、「死にたがっていたから」という理由で殺した犯人の犯行は許されるものではない。


 その他にも、障害者施設に押し入って、大量殺戮をした犯人の犯行が正当化されるものではない。

 どんな理由があろうと、例え相手が死にたがっていたからといって殺していいことにはならない、断じてならない。

 

 この考えで傷ついた人がいたら、「本当にごめんなさい」と謝りたい。

 そのように、理性では救いとわかっていても、私も死が怖いのは変わらない。


 だが、死の状態自体は怖くない。

 死ぬ直後に経験するであろう、苦しみ、傷みが怖いのであって、死自体は怖くない。


『魂』についてでも触れたが、私は魂はない=死後の世界はないと思っているから、地獄で苦しむことも、天国で退屈に苦しむこともないと思っている。

 死とは完全な静寂で、思考しないのだから幸も不幸も感じない。


 心をかきむしられることもない。

 この心情は例えようがないが、眠りに近い。

 眠っているときは、意識では何も考えないから、幸もなく不幸もないのである。

 

 眠りは夢を見たり、無意識下に色々な活動が行われているから死ではないけれど、死とは眠りよりも静寂。

 涅槃。

 この世のすべての幸や不幸は考えることで想起しているのだから、死んで考えられなくなれば苦も消える。


 シェリー氏は『「死」とは何か』の中でこうも言っている。

 死が悪いのは生きている者にとってだけである、と。

 死者を哀れみ、悲しむのは生きている者だけなのだ。


 死者を想い苦しくなるのは、生きている者だけなのだ。

 死者は生者を、想ってもくれないし、悲しんでもくれない。


 生者が「生きていれば楽しいこともあったのに……」と言っても、楽しいという概念すら死者にはないのだから、生きていたかった、生きていればもっと人生を享受できたのに、と死者が生者を羨むこともない。

 

 死が悪いのは生きているものだけなのだ。

 そうとわかっていても、私たちは死者を想い悲しみ、弔いの気持ちを忘れられない。

 

 それは素晴らしいことだと思う。

 死者を弔うことで生者は心の安定を得る。

 葬式や墓参りは死者のために行われるのではなく、生者の心の安定のために行われるお別れの儀式。


 シェリー氏の剝奪説が言う通り、生きていれば楽しいこともあるのだから、生きられるまでは生きられるだけ生きた方が、総合的に考えて幸せなのだと思う。


 この世界に生まれて、こうして生きている今こそが、奇跡のような状態なのだから――。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ