『いじめ』について
“いじめ”という表記は軽すぎる。犯罪とつけるべきだという意見もありますが、今回はわかりやすいように“いじめ”と表記させてもらいます。
社会問題にもなっている“いじめ”。毎年、いや毎日と言っていいくらい“いじめ”によって追い詰められて自殺した人たちがニュースで報じられます。耳と目を覆いたくなるような残酷な“いじめ”のニュースを聞くと、このような残酷性が人間に備わっていることに、悲しくなりますよね。
こんな綺麗ごとばかり書いている私も、人間ですからふとしたとき残酷で邪悪なことを思ったり、感じたりして自己嫌悪してしまうことがあります。本当に人間ってアンビバレントですね。で本題は、どうして、いけないこととわかっていて、人間はいじめを行ってしまうのか? です。
教育現場だけではなく、会社でも、友達グループでもどこでも人間が二人以上いればいじめは生じます。脳科学者の中野信子さんは『ヒトは「いじめ」をやめられない』の中で、人間がいじめを辞められないのは、種の存続に必要不可欠な能力だからだと言っています。
薄々わかっている人もいると思いますが、言われてみるとなるほどですよね。いじめとは、弱い人間という種が集団行動をするために、集団の和を乱す邪魔になる異分子や異端者を排除し、団結するために備わった機能なのです。
異分子や異端者を見つけるために人間に備わった機能のことを、中野信子さんは『裏切り者検出モジュール』と呼んでいるので、このエッセイでもそのように呼ばせてもらいます。では、考えてみてください、集団の中に一人だけ違う意見を言う人や、問題行動を起こす人がいるとどうなると思いますか?
そうです、集団の和が乱れますね。そうならないために、“裏切り者検出モジュール”は裏切りそうな可能性がある人を常にアンテナを張って見つけ出そうとし(その時に発生するのが同調圧力などです)見つけると制裁という名の「いじめ」が起こる構図になっています。
悲しいというべきかどうかはわかりませんが、日本人はこの“裏切り者検出モジュール”の働きが他の民族よりも強いらしいです(だからなのか、日本人は同調圧力の感受性が強い人が多く、規範や規律に従順なため、世界から見ても犯罪の少ない安全な国なのですね)。
だけど、“裏切り者検出モジュール”で異分子を見つけても、排除するのは反撃されるリスクを伴いますから、そんなリスクを冒してまで制裁を加えるメリットを与えてやらなければ人間も行動してくれません。
そこで活躍するのが、快楽物質である“ドーパミン”です。この“ドーパミン”が人間を動機付けして、制裁を辞められなくしてしまいます。人はいじめをすると“ドーパミン”が出て気持ち良くなるのですね。「わかっちゃいるけど、やめられない!」とは、“いじめ”にも言えることなのです。
つまり、『ヒトは「いじめ」をやめらない』理由は、いじめをするのが気持ち良くて、楽しいことだからなのですね(私に怒らないでくださいね……。脳科学的に見た見解ですので)。教育現場などで「いじめゼロ」を掲げていますが……人間の脳の性質を考えると、「いじめゼロ」は間違いなく不可能で、スローガンとして掲げるのは良いですが、人間が人間である限りは理想論としか思いません。
“いじめ”があったとき学校や教育委員会が“いじめ”をよく隠ぺいしようとするのも、“いじめ”があること=学校の恥じ、と思い込んでいるために、隠ぺいしてしまうのだと思います。“いじめ”があることはいけないことだと思いますが、“いじめ”事態を否定しても始まらないのですよ(だからといっていじめを肯定しているわけではありませんよ)。
大切なのは、人間はいじめを生理的にしてしまう生き物であることを認めて、いじめを迅速に見つけ、隠ぺいするのではなく、被害者となっている子供をどう救うかが問題なのです(ただの綺麗ごとでしかありませんけど)。
前回の『トロッコ問題』についてでも書いてしまいましたが、以前北海道であった、『10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか』と教頭が言ったらしいことでも話題になったいじめ事件がりました。
この問題はトロッコ問題的であり、答えは恐らくでないであろうとは思いますが、本当にいじめられている被害者を助ける方法は本当になかったのかと、思わざるを得ませんよね。中野信子さんも「いじめゼロは矛盾を生む」と書かれています。
だから人間は“いじめ”を遺伝子レベルでしてしまう生き物であるから、どうしたら少しでもいじめを防止し、被害者を助けられるかを考えるべきだと言っています。いじめの被害者みんなを助けることは、たぶんできないと思いますが、少しでも多くの被害者を救うことはできると思うのです。
では、“いじめ”が楽しくて気持ちいいから辞められない、ということを踏まえたうえで、どのように“いじめ”が発生するのかを見ていきましょう。“いじめ”が発生するいくつかのパターンがあるそうなのです。
① 距離が近すぎること
② 類似性があること
③ 獲得性があること
④ 没個性化
もっと細かく分類できますが、おおむねこの四点で“いじめ”が起こるメカニズムを説明できます。①の距離が近すぎる、とは人間は距離が近い人を攻撃してしまう特性があるからです。“オキシトシン”という物質を知っているでしょうか?
オキシトシンとは、「愛情ホルモン」とも呼ばれる、人と人が触れ合う(コミュニケーション)ときなどに脳で生成されて分泌されるホルモンです。このオキシトシンが分泌されるおかげで、人間は愛することができるわけですね。
ですが、このオキシトシンがときとして、“いじめ”を引き起こすことに繋がるのです。近しい人に、嫉妬や、いらだちなどの負の感情を抱いたことありませんか? みなさんは『ヤマアラシのジレンマ』または『ハリネズミのジレンマ』というジレンマを知っているでしょうか?
ヤマアラシとは長くて鋭い棘を持っているあの動物ですね。ヤマアラシを見てわかる通り、ヤマアラシは近づき過ぎると、お互いの棘で相手を傷つけてしまいます。見ず知らずの相手をいじめてやろうなどとは思えないように、いじめとはそれなりに近しい関係でなければ起きえないのですね(例外はあると思いますが。例えばSNSなどで誹謗中傷などがそれでしょうか?)。
だからと言って離れ過ぎると、孤独を感じますね。これが『ヤマアラシのジレンマ』です。この①の距離感に加えて、いじめを助長するのが②③④の“類似性”“獲得性”そして“没個性化”です。類似性とは、相手と自分を比べて、文字通り類似性を見出すことで、羨みや妬み、いわゆる嫉妬が起こり、獲得性とは、他者が獲得している地位や名誉などを自分も獲得できたはずなのに~……と、自分と他者を比べて、こちらも嫉妬心を生み出します。
いわゆる『隣の芝生は青く見える』というやつですね。距離が近すぎるほど、この類似性と獲得性から生じる、羨みや妬みが強まり“いじめ”の発展に繋がります。『愛と憎しみは紙一重』と言いますが、オキシトシンが分泌される近しい関係になればなるほど、類似性と獲得性による羨みや妬みが強くなって、いじめに発展してしまうのです。
家族同士で『血で血を洗う』争いが起こりやすいのも、親族関係というオキシトシンによる近しい距離感が始めからであり、類似性と獲得性が生じやすいため、憎しみに変わりやすいのです。相手が自分のいうことを聞いてくれなくてイライラするのも、「おまえのためを想って○○○」などなど言うのも、結局は自分のためであるのですよ。
生物は例外なく利己的です。利己的以外にはあり得ないのです。例えば、人に優しくしようと思うのも、廻りまわって自分も優しくしてもらうため、人を殺してはいけないのも、廻りまわって自分が殺されないため、誰かが死んで悲しくて泣くのも、もうこれから先その人に会えない、もう何もしてあげられない、喪失感、寂しいなどなど結局は自分のため以外にはあり得ないのです。
それを言うと生物は利他行動的な行動をするじゃないかという意見が出ますが、誰かのために何かをしてあげたいと思うその気持ちは、自己の良心の呵責であったり、誰かの役に立ちたい欲求を満たしたいためであったり、結局は自分のため以外にあり得ないのですね。
だからエゴを否定しても始まらないのです。何度も言っていますがWIN-WINな関係が最も望ましいのです。つまり、何が言いたいかって、人間は無意識的に利己的な損得勘定で行動する生き物で、もしいじめを今よりも減らそうと思うなら、いじめで得られるメリットよりも、デメリットを大きくしなければならないと思うのですよ。
人間を条件付けしてコントロールするには報酬と制裁なのです。いじめによって得られる報酬よりも、制裁の方を強くするのです。ハンムラビ法典ってあるじゃないですか。「目には目を歯には歯を」のあれです。ハンムラビ法典は「やられたらやり返せ倍返しだ!」という過剰報復を説いた法典ではなかったのですよ。
目をやられたら同じように目だけを、歯をやられたら歯だけを、つまり痛み分けを説いた法典だったのです(奴隷などの階級の人には不平等だったらしいですけど)。このハンムラビ法典を現代に適用するなら、少しはいじめなどの犯罪が減るんじゃないかって思うことがあるのです(もちろんハンムラビ法典も悪用しようと思えば悪用できます)。だって、目を怪我させたら自分も目を怪我させられて、いじめたら自分もいじめられるのですよ。
人間は真に相手の気持ちを理解できませんが、それがもし自分に返って来るってなったら、今よりは他者の立場に立って物事を考えられるようになると思うのですよ。壮大に話がそれましたが、そのようなことは倫理道徳的に考えて不可能なので、いじめられないように気を付けるのが現実的なのです。
中野信子さんは“いじめ”られない処世術として、60%の距離感を推奨していました。つまり、近すぎず、離れ過ぎずの関係ですね。恋人同士でも、家族同士でも、友達同士でも、近すぎないことが重要になってきます。①②③と続き最後の④の『没個性化』がいじめをより一層、激化させてしまいます。人間は集団になればなるほど思考力が低下して、倫理道徳感がなくなり、集団主義的に動く機械になるらしいですよ。
そのような状態を『没個性化』といいます。没個性化のいい例として、ナチスの例が挙げられますね。ナチスが行ったユダヤ人虐殺などの残虐行為も、集団になることで個性が消滅して、人間が考えることを放棄した機械になったから起きたことです。
ナチスのみんながみんな、疑問を抱かなかったわけではありませんが、もうそうなっては長い物には巻かるしかありませんし、それに少しでも疑問を抱こうものなら、“裏切り者検出モジュール”に引っかかり、“制裁”されてしまうという危険が伴うので同調圧力に屈し、仕方なく従うしかないでしょう。
これはいじめの構図とまったく同じですね。人間は、集団になるほど思考力が低下して、考えることを放棄した機械になることを肝に銘じていなければなりません。人は誰でも“いじめ”を行ってしまうように作られているのです。集団でいるときほど、本当に今自分が行っている行いは正しいことなのかを客観的に見る必要があります。
けれどそれはものすごく生きずらい生き方になってしまうし、危険も伴いますから推奨するつもりはありません。ここまで、いじめが起こるメカニズムを見てきましたが、では、どうすればいじめを少しでも食い止められるかを考えたいです。
人間には、「いじめられやすい人」と「いじめられにくい人」がいるらしいです。この「いじめられやすい特徴」「いじめられにくい特徴」を押さえておくことで、自分を守ることにも繋がります。では、どのような人がいじめられやすいのか?
特徴1 自分の意見を言わない・言い返さない人
特徴2 身体的・精神的に弱い人 いわゆる障がいがある人
特徴3 容姿が優れている・容姿が優れていない・身だしなみに気を配っていない・太っている・痩せている・などの周りより外見が浮いている人
特徴4 勉強ができる・頭が良い人・勉強ができない・頭が悪い人
特徴5 要領が悪い・逆に要領が良すぎる人
特徴6 ネガティブに考えやすい人
特徴7 自己主張が強い・自己主張が弱い人
特徴8 真面目すぎる・不真面目過ぎる・空気が読めない人
まだ、他にもあるでしょうが、思いつくものをざっと挙げるとこんな感じでしょうか。この特徴を見てわかるのは、いわゆる最大多数の“普通”“当たり前”“常識”などからずれて、偏り傾向がある人がいじめの標的になりやすいようです。
いや~、ドキリとさせられてしまいますね。どうして、このような特徴を有する人がいじめの標的になりやすいのか? 進化学的に説明できます。人間は、原始の昔から集団生活をする生き物ですから、いわゆる規範的な行動が求められてきました。
つまり、多様性を認めない、集団主義、独裁主義の方が生存の確率が上がったのです。弱い人間が生きていくためには、そうなるしかなかったのですね。だから、集団を乱す異分子、異端者になりそうな芽を早いうちに摘んでおく必要があった(それが裏切り者検出モジュールであり、制裁です)。
長い歴史で、今挙げたいじめられやすい人の特徴を備えた人は、集団の和を乱す異分子になりやすかったんでしょう。そのために“裏切り者検出モジュール”が発達し、いじめという制裁を加えることで、集団から排除してきたのだと思います。
いじめの構図って『ドラえもん』の関係図とすごく似ているなと思うのですよ。ドラえもんにはガキ大将のジャイアンがいるじゃないですか。ジャイアンの側には取り巻きのスネ夫がいます。周りには中立な立場のしずかちゃんがいます。そのジャイアンとスネ夫にのび太くんはいじめられますね。
で、ドラえもんが「しょうがないなのび太くんは~」という具合に助けるのがお約束です。つまりですね、人間はジャイアン、スネ夫、しずかちゃん、のび太、ドラえもんのどれかに分類できると思うのです。ドラえもんの分類は結構色々な構図に応用できる。国同士の関係にも応用できるから面白い。
で、この分類をいじめの構図に応用すると、わかりやすいと思います。(安易になり過ぎるのはよくありませんが、理解度は上がります)。ジャイアンという強者がいて、自分が標的にならないために、その強者に従い長い物には巻かれるスネ夫がいます。
被害者ののび太くんがいて、周りには傍観者のしずかちゃん。最後はジャイアンよりも強力な力を持つドラえもん。何が言いたいかって、つまりいじめられないためには、要領のいいスネ夫になるか、傍観者のしずかちゃんになるか、それともジャイアンのように圧倒的な力も持つかしかないのですよね。
そしていじめの被害者には、ドラえもんのような力が必要なのですよ。ドラえもんがジャイアンとスネ夫についてのび太くんを一緒にいじめ出したら絶望です。長くなりましたが、いじめられないためには、今挙げた特徴の対比側にいて、偏り過ぎないようになる必要があります。
適度に自分の意見を言い、言われたら言い返し、体と精神を強く鍛え、中肉中背で、スポーツなどができすぎも、できなさすぎもせず、容姿に可ももなく不可もなく、身だしなみに気を付ける。頭が良すぎても、悪すぎても良くなくて、適度に要領が良く、ポジティブに物事を考えて、強すぎも弱すぎもしない適度な自己主張ができ、ユーモアがあって、周りの空気が読めて気が配れ、近過ぎず離れ過ぎずの距離感を取れる人がいじめられない人です。
つまり、普通です。難易度高すぎですね。最大多数が思い描く普通が一番難しいというジレンマです。普通に生きられるってすごい幸せなことなんですよね。始めから、いじめられない人の特徴を有した人ならいいですが、違う人がこれすべて変えるなんて、逆に苦しそうです。できるところを少しだけ変えるくらいしかできません。それか逆に、出る杭は打たれないくらい突き出るかのどちらかですね。
突き出し過ぎると、逆に手を出しずらいものです。中途半端が一番駄目なようです。ですが、打てないくらい飛び出せる人なんて殆どいませんよね。だから、中野信子さんは誰にでもできる対策、60%の関係を心がけるように言っているのです。
いじめが起こるのはオキシトシンが分泌される近い関係である人の確率が高いからです(※それだけとも言えませんが)。「あいつ、付き合い悪いな……」と言われない程度に掴みどころのない60%の距離を保つのが、いじめられずらい人らしいです。
そして最後、いじめる方も、悪意を持っていじめている場合ではない、という場合も存在します。人間は自分の考えが正しくて、自分以外の考えは間違っていると思ってしまう生き物です。人の世に当たり前もなければ、一元的な正解もないことを脳に刻んでおかなければ過ちを犯してしまいます。
そのような場合、中野信子さんは『ヒトは「いじめ」をやめられない』の中で、「メタ認知力を磨け」と言っています。客観的に自分をみる能力のことですね。客観的に自分を見て、本当に今自分が行っている行いは正しいのかを、集団の中にいるときほど考える。
相対主義的に、多様性を認めて、他者の尊重を忘れなければ、いじめの加害者になることはありません。つまりです、良いか悪いかはわかりませんが、大切なのは無関心力だと思うのです。相手に関心を持たなければ、いじめの加害者になることはまずありません。
そのためにはまず、人はいじめをしてしまう生き物であることを認め、多様な人たちがいることを知り、多様性のある社会を作る必要がありますね。価値観を広めて、色々な人の価値観を知れば、いじめは減らすことができると信じています。まず、知ることから始めなければなりません――。
何度も言いますが、人は誰でもいじめをしてしまう生き物です。そのことを肝に銘じて、自分がいじめの加害者、被害者にならないように気を付けなければなりません。




