はじめに注意ありき
このエッセイは幸福論を説くものではない。
どちらかと言うと、絶望論を説くかもしれない。
かもしれないではないな……終始ネガティブである。
より詳しく言うなら、ネガティブよりのポジティブである。
ネガティブだけど、ところどころポジティブな肯定が見られる、はず?
書かれることは、戯言に聞こえると思う。
綺麗ごとに過ぎない。
自分でも、甘いな……と思う。
読んだからと何の身にもならない。
暗い気持ちになりたくなければ、もっと他の楽しいエッセイを読んで欲しい。
タイトルに閲覧注意と載せている通り、かなり危険な言論が見られる。
明るくしようと、口語体で始めは書こうと思ったのだが、口語体を使うと私の性格上悠長になってしまうのと、書く内容が書く内容であるから、口語体より文語体よりの言葉を使わせてもらう。
だから少々、言葉がきつく聞こえると思う。
そのことをどうか理解のうえで読んで欲しい。
内容はタイトルの通りなのだが、自分なりに色々考えたことを文字に残しておきたいと思いこのエッセイを書こうと思った(てか、書きたかった)。
ちゃんと調べて、よく考えたうえで書いてはいるが、何の専門家ではないので、間違っていることや、知識の偏り、偏見があるだろう。
中でも一番怖いのは、無意識の差別を書いてしまうかもしれない、ということだ。
扱うテーマがテーマ上、読む人によっては差別に聞こえる場合があると思う……。
もし、そのような言論があれば、本当に謝りたい……。
決して、あなたを傷つけるつもりで書いているのではない。
私はどんな差別であろうと、無くなればいいと思っているし、故意でなかったとしても、私の文で傷ついた人がいるのなら、「本当にごめんなさい……」と謝りたい。
だから、無理だと思ったら閉じて欲しい(ほんと)。
そんな危険を冒しても文字に残そうと思ったのは、私の気付きで少しでも救われる人がいるといいな、と思ったのだ。
だが、本当に私のエッセイで救える人がいるなどという傲慢な考えを持っている訳ではない。
もし誰かの文章で、あるいは物語で人間が救えるのなら、この世界から苦しみや自殺はなくなるだろう。
文章などで、人は救えない。
自分を救えるのは自分だけだと私は思っている。
あなたを幸せにしてあげられるのは、あなたしかいない。
だが、物語や、歌、あるいはエッセイが、少しは心の支えになることもあるのは確かだ。
物語や歌に少しだが心を救われた経験が私にもあるから。
だから、自分では誰のためにもならないと思っているが、もしかすると誰かの気づきになることが書けるかもしれない。
内容は明るいものではないけれど、誰かの心に寄り添えるものが書けるかもしれない。
辛いとき、ポジティブな言葉を素直に聞けないこともある。
ウォルト・ディズニーが言った、「追い求める勇気があれば、すべての夢は叶う」というポジティブな言葉を素直に受け取れない人もいるだろう。
本当に辛いときはポジティブな言葉が眩し過ぎて、逆に劣等感を感じるものだ。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、そのときの心理状態と同じ音楽を聴くことで心が癒える、と言ったとされる。
そのような療法を『アリストテレスの同質効果』という。
私も辛く、悲しいときは、悲しい曲や物語を聴いたり、読んだりしたくなることがある。
そしてカタルシス(浄化)を得る。
そのような心理をカタルシス効果というそうだ。
浄化されたら、今度は楽しい音楽や物語で気分を上げる。
古代ギリシャの数学者であり哲学者のピュタゴラスは悲しいとき、「悲しみを打ち消す、音楽を聴け」と言ったとされる。
その療法を『ピュタゴラスの逆療法』という。
つまり、アリストテレスの同質効果で心を浄化し、続いてピュタゴラスの逆療法で、気分を上げる。
ネガティブからポジティブの段階を経るのが大切なのだ。
ネガティブもポジティブもどちらも大切。
ネガティブが必ずしも悪いというものではない。
というわけで、ネガティブなことを書くが、読みたい人だけ読んで欲しい。
一話、一つのテーマに沿う形で書きたいと思っているが、脱線することがよくあるので、話とは関係のない方向に進むことが多いと思う。
扱うテーマから何から、何度も言うが本当に終始暗いし、扱うテーマによっては差別に聞こえることを書いてしまうかもしれない。
何度もいうが、私自身弱者側の人間なので、差別は本当になくなればいいと思っている。
だから、もし無理だと思ったら閉じて欲しい。
あなたの精神を汚染することになるかもしれないから。
ネガティブはポジティブよりも伝染するというから。
だから、精神不安定なときは読まないで欲しいし、安定しているときでも精神を乱してしまう恐れがあるから、気を付けて欲しい。
どこにも公開せずに、誰にも見せない日記のようにしていれば、誰も傷つけることはないのだろうけれど、書いて誰かに読んでもらいたいと思うのだから、自己顕示欲というものは厄介なものだ。
いつまで書くかはまだ決めていないが、書く内容が無くなるまでは続けたいと考えている次第だ――。




