主人公、従者にて 5
~謀反の従者、主人にて~
今日出会った人の覚悟を受け取るのは、こんなにも軽いものなのだなと実感できるのは、果たして良い事なんだろうか。
サルファス殿から受け取った死の覚悟、それがあっさりとしたものにしか感じることができなかったルークは、少し考えこむ様子を見せる。
その様子に、答えを渋っているのだろうかと勘違いして受け取った父親が声をかけてきた。
「流石に、それは望みすぎかのう。」
「あぁ、いえ。
それはだい...大丈夫です。
しかし、あなたのことは。」
「それは大丈夫」と気軽に人の命を引き受けてもよいのだろうかと、一瞬言葉に詰まるルーク。
妖原亜種との暮らしにリューネを招けばその願いは叶うだろうが、そうは言っても妖原亜種と人原亜種が異なる生命であることはわかっているつもりだ。
生活基準も違えば、もちろん言葉そのものが違う。
そんな世界で生きているのか...そして何より、リューネの気持ちがどうなのだろうか。
と心の中で彼女の顔を思い描くのだが、そのどれもが笑顔に満ちていて、それはまるでリューネ自身が望んでいる事であるかのようにも思えてしまう。
父親との生活をとるのか、それとも別の暮らしを求めているのか、そんな風に悩みながらも今は彼の気持ちを安心させるため、あえて軽く返事を返し本人の意見を尋ねるよう言葉を変えるルーク。
今の状態では仕方ない事なのだが、やはり重々しい返事が返ってくるのだった。
「時間がないことはわかっておる。
私以外に信頼のでき...いや、家族ができるまでは、耐えていたつもりである。
そして今日、貴殿が来てくれた。
私にも時間がない、そんな時期に貴殿と出会えたことは神の導きであろう。
ルーク殿、どうか、どうか今少しだけ貴殿の想いを聞かせてほしい。
話に出た、貴殿の言葉を信用することしかできないほど、猶予の許されない私のため、どうか。」
全てを任せてくれるつもりの、そんな彼に対する想いも、今日出会ったからゆえに全く重みを感じない。
この調子で適当に返事を返したところで、恐らく本当にその場面が来た時対応できなくなってしまうのではないか。
そういう心配がルークの頭をよぎる。
改めて自分はどんな状況にも軽々対応できると思っていたのに、それは単なる自惚れであったという事に気付かされる。
確かにこれまでの数年間、妖原亜種たちと過ごしてきた時間と分かり合えるようになった時間を考えれば、口頭の説明など優に軽いものになるだろう。
しかしそんな説明ですら信じるほかない、それほど時間が残されていない彼の生涯の願いを軽くしか考えられない自分は、果たして信用にたるのだろうかとルークは改めて心の中に落としてしっかり考えこんだ。
「...私が先ほどお話しした、自分のスキルやこれまでの経緯について、疑ったりはされないのですか?」
「はっはっは...しませんよ。
私はこれでも――――――――――だった」
その言葉に、時間をおかず目を見開いて驚きを露わにするルーク。
そしてそんな彼から言葉と共に、ルークの手のひらへと何かが手渡しされた。
続いてそれに目を移し、手のひらに乗るしっかりとした重みのある何かを見つめる。
疑いようのない、彼の過去を象った、とある品を。
「人を見る目は、ある方だと思っておる。
そして話をする貴殿の、すべての言葉に嘘偽りのないことを理解させてもらった。
私はこの目を信じておる、そして自分を信じておる。
だからこそ、私がこの少ない時の中でも、今日初めて出会った貴殿のこと信じようとした娘と自分の意志を、何より信じている。」
その言葉は、確かにルークへと告げられたものだった。
サルファス殿には軽い気持ちなど疾うにない。
軽薄だと、そう思っていたのは自分だけだったと悟らされるほどの熱意が伝わる。
先程彼から聞いた疑いようもないほど疑わしい事実と、そんな彼から託された想いが、改めてルークの中で確信へと変わっていくのを、何よりルーク自身が感じ取った。
「三年後、娘さんと共にこの街を去る予定です。
正直、自分にはそこまでの力はありません...し、この状況においてもまだ軽い気持ちしか持つことができない。
ですがそれまでの間、できる限り娘さんをお守りさせていただきます。
このようなもので、よろしいでしょうか。」
「ッ...ありがとうございます。」
了承の意を唱えたルークに、サルファスさんは何よりの笑みを見せてくれた。
彼は本当に、一切の躊躇もなく自身に娘を託すつもりのようだ。
そんなルークも、これを色々なものと関連付けることで、確信的な覚悟として胸の中に刻み直した。
少し前から計画しようかな、とフワフワ考えていたもの。
いつかこの街を出て妖原亜種と別の場所で幸せに暮らせるよう行動を起こすこと。
そこにリューネも加えることが、キッチリ三年間という期限まで付けさせてくれて、明確な行動計画と紐づけることができた。
踏ん切りがつかなかったのは、どうやら自分のせいだったらしい。
一丁前に責任を持てないのなら最初から手を差し伸べるべきでないという言葉を嫌っていたが、図星を差されていたことに苛立っていただけだったのだ。
両親のことも、お金がないということも、結局はただの言い訳。
そうと分かれば、後は目的をもって行動するだけ。
もちろんそれには絶対に他の者に気が付かれてはいけないという条件が付き纏う。
騎士団で出会った人たちは本当にいいやつばかり。
だからこそ少し心が痛むのも事実であるが、そうは言っても間違っているのはなぜか必要に妖原亜種と、その特徴を体に宿した獣交種達を嫌っているこの国の方である。
そう思って疑わないルークは、テントの入り口、その幕の向こうで佇んでいるリューネを気にかけ、静かに笑って見せた。
「ただ、一つだけ。
いつ彼女に伝えるつもりですか?」
そう口にしたルークの顔の向きから、その矛先がリューネに向いていることは容易に想像ができるだろう。
そしてもちろん伝えるというのは余命が短いという事をだ。
それは病気でもなんでもなく、ただの老衰。
つまり完治する見込みもなければ、残された時間も少ないということを意味している。
それをまだ幼い彼女に聞かせるためには、それなりな時間と覚悟を有することだろう。
なんせ、見た目から予想する年の割に、明らか大人びている彼女の事。
そして死というものをそれなりに身近に感じているからこそ、二度と戻ることがない父の症状についても容易に理解できてしまうのだろうから。
それでも父親、たった一人の本当の家族。
その死を目の当たりにするには、とてもじゃないが残酷すぎる。
そんな彼らのことを思っての危惧だったが、どうやら杞憂だったよう。
「彼女は、強い子じゃから、あまり心配してはおらん。
じゃが...もしもの時は、またお願いできますかな?」
「...わかりました。
それじゃ、話も済んだことですし、速いとこ移動しましょうか?」
すぐに伝えるつもりだと彼の視線とその言葉から心情を察することができたルークは、茶々を入れないよう後のことを彼らに任せ計画通り行動に移る。
彼らの現状がわかればこんなところにいるよりも妖原亜種たちの元にいるほうが何倍もマシだろう、と。
か弱そうにしていても、ちゃんと自分で歩く力くらいはあるようで、支えようとしたルークを手で制し、「よっこらせ」と何とも間の抜けた掛け声とともに立ち上がって見せるサルファス。
そして案の定心配そうな顔を浮かべているルークに、ニカッと笑みを浮かべることを忘れずに。
その様子をみたルークも、あまり踏み込むことはせず、彼の気持ちを汲んでリューネの前で情けない真似をさせないよう彼の意思を尊重した。
手助けはしない、その代わりここにある必需品等々はルークが抱え持ってやる。
とは言ってもそんなに多くがあるわけではなく、こじんまりとしたリューネでも持っていけそうなほど少ない荷物になったが。
それを抱え、今まで彼らが住んでいたこの場所をおさらばする。
しかし彼らには一切未練などなく、清々しいようにも見える表情を浮かべていた。
これは、余計なお世話じゃなかったな、と心の中で一人安心するルークは、この時のために用意しておいたとあるものを取り出して、彼に渡す。
「それと、これを。
そこ格好だと逆にあれなんで。」
「...何から何まで。
申し訳ない。」
渡した紙袋の中には綺麗に折りたたまれた服が入っている。
リューネから話を聞き、ここに来る途中で寄り道して購入したものだ。
当然ながらリューネと初めて会った時の、あの雰囲気のままの彼には、周りへの配慮も相まって必要になるだろうと考えていた。
それを受け取ったサルファスはただひたすらに頭を下げ、申し訳なさそうにお礼の意を述べる。
そんな彼に今度、手で制止を入れるのはルークの方。
そして早速着替えさせようとルークも外に出て、待っていたリューネと合流した。
中で起こっていた出来事の、その概要を何一つ知らない彼女に向き直り、どう伝えたものかとも考えていたのだが、リューネの顔を見ればすんなりと言葉が出てきてくれた。
彼の思いを感じ取ったルークは、しかしその事実だけを省きすべてをリューネに告げる。
そのおかげか、はたまたそのせいでか、変な病気ではないとわかった事による安心の吐息を吐くリューネのことを、少しだけ可哀想にも思ってしまった。
かなり濁しているからこそ、後の真実を知れば取り乱すかもしれない。
しかしそれはまたあとの話。
これ以上他人のあれこれに変な介入を入れることなく、彼らのことを静かに見守ろう、そう思ったルークは後ろを振り返り今まで住んでいた場所に別れのお辞儀をする、リューネのことを笑顔で見守った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「もう少しです、大丈夫ですか?」
「ゴホッゴホッ...大丈夫じゃ。」
「お父様...。」
少し歩いては咳き込んで立ち止まり、また少し歩いては息切れで立ち止まり。
すでに歩くことを諦めて、背負い運ぼうかと何度思ったことだろう。
そんなルークとサルファスにリューネの三人が歩くのはまたもや城門を出て少し行ったところの山道。
門を守る昼とは違う別の騎士団の連中に、昼のピクニックで忘れ物をしたという適当な理由を伝えて外に出てきた。
いつもと同じ言い訳で、いつもとは違う面々。
だが、綺麗な服に耳も隠していることにより、獣交種とは愚か顔を確認されることすらなく、案の定あっさりと外出許可が下りたのだ。
まぁそれはルークの顔の広さあっての事ではあるのだが。
そんな彼もいつも通りというわけにも行かず、爆弾を抱えての生活では当たり前のようにストレスを感じてしまっていた。
だがそれを表に出すことなく、また『普段通り』を極めるため彼ら二人を先に行かせて、その間数人の騎士団を一人でせき止めるかのように日常会話に花を咲かしていた。
一言二言言葉を交わし、その場でパッと笑いが起こる。
そんな人徳のあるルークの姿を、傍から見ていた二人の視線には、明らかなる自責の念が込められていた。
当然というべきなのだろう、なんせこの【リバーレオン王国】においての一人の男の人生を狂わせていることに変わりはないのだから。
しかしそんな彼らの思いに、ばつの悪い心情を浮かべるのはルークの方。
その想いがしっかりと伝わったからこそ、自分の決意と覚悟に同情されているような意思が感じられたからだ。
ただ、そう思われてしまう事は仕方がないのだということもよくわかっている。
自分が一声の覚悟を述べたとしても、事実それは自身と彼らの首を絞めていることに変わりはないのだから。
それゆえ、その覚悟を彼らにも納得させるべく、また自分の首に掛かる縄を早急に振りほどくべく、早々に二人を連れて妖原亜種たちの元へと足を進めることにしたのだった。
すでに遠くで手を振ってくれている騎士団の連中に、どこを曲がったのか悟らせないよう気を付けながら、例の獣道へと足を進めていく。
辺りの空は次第に暮れ、あと一、二時間ほどで暗くなってしまうだろうかという頃合い。
赤い夕焼けが辺りと彼らを照らし続ける道すがら、擦れ音を放つ木々たちはまるで緊張しきった自分たちの心を溶かすかのように心地の良い音色を放ってくれている。
そんな彼らに揺らがされ、髪の間を通り過ぎていく涼し気な風に体の熱を託しながら歩く一同は、間もなく例の獣道の先へと辿り着いた。
目の前にそびえる、という感じではないが、サルファスにとっては聳え立つように見えるであろう崖へ直面する。
流石に崖の上り下りに関しては手を貸さなくてはならないだろうと、ルークもあれこれ考えながら先に上っては振り返り、手を差しだす。
そして安全面を考慮しつつ引っ張り上げると再度崖を下り、今度はリューネを抱え上げてやる。
先程の涼風に預けたはずの体温はいつの間にかルークの体に戻ってきて、汗の伝う腕の震えがいつしか自分の乾いた笑いと同調した。
英雄気取りの凱旋から一変、全盛期の騎士団での訓練ほど体に力がこもらなくなっていたルークは、それほど真面目に働いていたとは言い難い最近を騎士団で送っていた。
それは戦う敵だったはずの妖原亜種を庇ったことによる変心でもなければ、師であるロフじいの訓練に比べ騎士団の訓練が劣っているというわけでもない。
ただ騎士団として、この国に貢献するという必要性が感じられなくなってしまったという、初歩にして最重要事項が欠落してしまっているのだった。
もちろん単にサボっているというわけではない。
それはすでに今日という日の内容が濃すぎて遠い昔のようにも思ってしまえるが、今朝行われていた新団員たちの面倒を見るという仕事内容に、手を抜いたりはしていないというところからも見てわかるだろう。
そうではなく、全盛期の自分に比べ確実に体を動かすことが減っているという自覚あっての不真面目さというものだ。
騎士団の方針上、位が上に上がれば上がるだけ、体を動かす訓練というものからは自然と遠ざかっていくのも事実。
だが、それを加味してもどこか自分で訓練そのものから遠ざかっている節が度々見受けられていた。
しかもそのことについて危機感など感じることがなくなってしまった自分を思い出し、そして現状の自分の腕を見る。
力が思った以上に出し切れない、それゆえ震えているリューネを抱える腕に、衰えを感じ乾いた笑みを漏らしたのだった。
「ルーク様、その...」
「大丈夫だ、これでも騎士団所属だから、なッ!」
息も切れれば汗もかく、同じ人間、同じ人原亜種であるなら尚更と、歯を食いしばって二人を運ぶルークに、彼を思ったリューネから声が飛ぶ。
男らしいところを見せようとか、彼女たちに心配をかけさせないよう強がろうとか、そんなこと思えるはずもないことに、更なる笑みが零れ、歯を食いしばる。
そして血管が浮き彫りになる腕を酷使すること十数回、生き絶え絶えになりながらも崖を上り終え、その場で寝転んだルークは肩と胸で大きく呼吸を繰り返した。
「悪いの、ルーク殿。」
「いえ、手助けしているのは、単なる、自分の押し付けなので...。
これくらい...どうってこと...。」
「ルーク様...」
そんな様子を再度心配そうに見つめる二人に今度は強がりで笑顔を見せ、少しだけやせ我慢をした状態ですでに筋肉痛らしき痛みを伴う足へ鞭を打ち、早々に立ち上がる。
そして敢えて鼻で息をすることで、調子を取り戻したかのように見せかけ、二人からの気遣いの念がなくなるのを確認し、また足を進めた。
このまま行けば、完全に日が落ちる前にたどり着くことができるだろう。
少し早足で歩幅を進めていたことが功を奏して、明るいうちにこれから一緒に暮らすみんなと顔合わせできるだろう現状に満足そうな笑みを浮かべ、二人の前をルークは歩き始めた。
後ろから続く、一つの足音に気が付くこともなく。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
小さな足音が一つ鳴っていた。
それは物理的な話でもあるが、ある意味ではそうでなく、確実に消音するための技術を孕ませた小さな足音だ。
それは最もわかりやすく。
目の前にいる英雄と、その彼が連れているフードをかぶった二人の誰かを尾行する、一つの影が森の中に存在しているということだ。
フードを深くかぶり、水色の髪の毛から覗く翡翠の眼光がキラリと光る。
そしてすぐ、ニヤッと笑みを見せた瞬間、吹き荒れた風と共に一瞬にして姿を眩ませた。
尾行の対象である、三人が全くもって気が付かないうちに。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
木々が擦れる音、水の流れる音、そして言葉だとしても聞き取ることなど到底不可能な音声。
そのすべてが混在する場所に、たった今三人の人原亜種が辿り着いた。
被り物を身に着けた二人の内一人は目前の光景に驚いたように目を見開く。
そして自分の命よりも大切な娘の前に無意識で移動すると、その場でそっと身構えた。
やはり最初はそうなるだろうなと、これはルークの心情だ。
また一度この光景を目にし、世話をしてもらってもいるリューネですら、その父親であるサルファスの背中を視界にし、安堵したような表情を見せる。
こればかりは時間の問題だなと、諦めるルークはそっと笑みをこぼし、無意識のうちに上記の行動を起こした二人に一声かけることにした。
「もう、フードを取っても大丈夫ですよ。」
その声に先程リューネが浮かべた安堵よりもさらに強い安堵を感じる二人はハッと我に返り、無意識で起こした失礼な行為に申し訳無さそうな様子を見せ、そっと被り物を取った。
視界を遮るものがなくなった、それによって新たにわかる目前の景色と様々な音。
【リバーレオン王国】では到底見ることなど叶わなかったであろう陽の光が、未だ多種族の妖原亜種が身を晒す、川の水面によって反射し目に飛び込んでくる。
そんな彼ら彼女ら妖原亜種たちは、やはりというべきか人原亜種である自分には理解のできない言葉で話をしているらしい。
耳に確かに残る音声、それは例え何十年、何百年経とうが知覚することは愚か、理解しようとする気すら起こらないであろう、そんなものだった。
それは彼らのことを理解しようとする気がないのではなく、違う言語を習得しようとすることの、そのさらなる最難関の壁が目の前に立ちはだかった感覚に近い。
垂れる『言語習得』や『意思疎通』という名の糸、その糸端が人生をかけても踏破することのできない広大な土地にぽつんと落とされているかのようであった。
そしてそんな摩訶不思議な言語を用いる、彼ら妖原亜種が仲良く暮らし、目の前にいる敵対関係である自分たちにも負の感情を浮かべていないという状況。
さらにここへこの世の常識を当てはめれば、終始困難である言語理解以前のところでさらなる疑問が生じてしまう。
妖原亜種と人原亜種はそもそもが別物とされているが、大前提の部分が異なっているというだけでその他のところは丸っきり一緒であるのもまた事実。
分かりやすくは生物学上、雄と雌の区分があり、互いが互いを求めることで血脈を絶やさず、子孫繁栄を願い生きているというもの。
そこに存在するはずの『自我』というものが欠落しているだけ、という解釈で人原亜種と妖原亜種の区別がなされていた。
それがルークと出会う前の自分たち、乃至は彼以外の全人原亜種が当たり前のように理解している知識であるはずだった。
しかし現実は彼らにも同様に自我があった。
そしてそんな彼らにもまた、我々人原亜種がそうであるならば同様に、好き嫌いというものが存在していた。
人原亜種同士は自国を守るためにいとも簡単に戦争を起こす。
いうなれば互いに同じ人原亜種であるにも関わらず、容易に忌み嫌い合うことができるという事なのだ。
それが彼ら妖原亜種にも先天的に与えられている常識のはず。
そして人原亜種に比べ、妖原亜種はこの世界の序列についての差が大きすぎるのも事実。
低級種から始まり中級種、上位種、覇劉種、超異種、神伽と続くこの序列の7、8割ほどは妖原亜種が占めている。
つまり人原亜種は数が多いが種族数は少ない、対象に妖原亜種は数は多くないが種族数がはるかに多いとされていた。
そんな我々ですらお互いに嫌い合うのに、遥かに多種族な妖原亜種たちが平和に暮らしていけるはずがないのだ。
低級種は自分たちの縄張りを守るため、共闘するのは自然の摂理だが、それは強大な相手を前にしたときの最終手段に過ぎず、低級種同士の争いごとでは決して縄張りを冒されたりはしない。
それこそ縄張りの蚕食は一帯に暮らす同胞の全滅を意味している。
低級種であればあるだけ、その縄張り意識は強くなるはずなのだが。
多種族の、それも数多くの者たちが笑顔を見せ生きているこの光景は、長年生きてきたサルファスにとっては常識を覆されるほどのモノであったのだ。
それは獣交種とは違う。
【リバーレオン王国】においての獣交種的立ち位置であった彼ら妖原亜種なのだ。
もちろん【リバーレオン王国】に来る以前は、別の場所で暮らしていた過去がある。
そこではこれほどまでに激しい差別は存在していなかった。
だがそれは単なる合理化に過ぎなかっただけで、あの時の自分の妖原亜種に対しての感情は、この国においての獣交種に向けられるそれと合致していたという事実に、なんとも情けなさが溢れてしまう。
目の前を進む青年は、一体どれほどの過去を持ち合わせているのか。
そして一体どれほどの覚悟と責任を背負っているのだろうか。
ここにいるみんなが、傍を通るルークに信頼と尊敬、愛情のこもった視線と笑顔を向けている。
それは並大抵のものではなく、従順にも見え尚且つ自分のすべてを捧げているとでもいうような曇りのないものであった。
その想いを一手に引き受ける、自分の半生すら生きていないであろう若い男。
改めてサルファスは自分の運勢と、決して疑う事のなかった人を見る目を信じてよかったと、後ろを振り返り彼に託した娘の頭を撫でてやった。
嬉しそうに顔を綻ばせ、されるがままに頭を左右に揺らす彼女をしばらく堪能する。
そしてあまり長い事時間をかけず、先に進んだルークの後を追った。
「言葉は通じないでしょう。
ですが、意思疎通は図れると思います。」
「いやはや、この数分にして私の人生が無意味だったのではないかと実感させられました。
この素晴らしき光景が、まだ世界に存在していたとは。」
「私も【対話】のスキル、そしてわが師とミーリィに出会う前までは同じことを思っていました。
それに...私はまだ【リバーレオン王国】の外を知らなさすぎる。」
「いや、外でもこれほどの景色を見ることは不可能じゃろう。
獣交種に関しての国の差別はないが、妖原亜種に対する敵対意識は他大国との変わりはないからのう。」
「言葉が通じない、意思疎通が図れない。
それだけで互いの生を根底から変えてしまう、本当に恐ろしい話です。」
「それに引き換え、【リバーレオン王国】は獣交種の存在を認めようとはしていないと来た...。
ルーク殿、重ね重ねリューネを頼みました...。」
「...はい。」
笑顔の裏に覚悟を孕んだ力強い返事に、サルファスもそっと笑みをこぼす。
そしてみんなの前まで足を運び、それなりに広さのある場所へ立ち止まった。
恐らくこの隠れ家において何かしらの宣言がある場合は、ここを集合場所だと決めているのだろう。
先程まで水浴びをしていたモノも近くの水辺により、地上を走り回っていたものは言わずもがな、空を飛んでいたもの達も周囲へと集まってくる。
どうやら自分たちは歓迎されている様子。
皆から受け取れる視線と、その笑みには一切の敵意が含まれてなどいなかった。
その光景に、まるで自分が神にでもなったかのような心地を覚える。
これほどまでに心地の良い歓迎を受けたことなどあっただろうかと、自分の人生を振り返り、残り僅かな余生に目を向けた。
あと少し。
だがその少しでも、残された時間でこの世の心理を知れたことは、ある意味では最高の終着点と言えるのではないだろうか。
満足したようにも、歓迎されて喜びを隠せないようにも、サルファスの頬に一筋の涙が伝った。
そんな彼のすぐ横で、人原亜種の言葉を用いて妖原亜種に説明をするルークの姿がでかでかと映る。
そして当然のようにもそれを受け取った妖原亜種は納得しているように相槌をついていた。
ここまでただ彼の言葉を信じるしかなかった【対話】というものの存在をはっきりと見届けて、彼に促されるまま自己紹介から始まった。
改めて彼に重荷を背負わせてしまったこと、そして我が娘を安心できる場所へ送り届けることができたこと。
その双方に父親として、そして一人の男として、謝罪と感謝の気持ちを精一杯の声に乗せ、その場に集まる皆に放った。
リューネとは違い、その一瞬だけで自分の考えを一新させるサルファスの言動に、流石のルークも驚きを露わにする。
真の誠意には真の誠意で返すのが道理。
綺麗に頭を下げ、自己紹介を終えたサルファスの一切敵意のこもっていない想いが、言葉ではない何かしらとなって妖原亜種のみんなに伝わったのだった。




