ノアとの縁談
「リシリア座って。お茶を入れるよ」
どうしてノアは平然とそんなことが言えるのだろう。
「結構よ」
「夏期講習以来、紅茶の世界にハマっちゃってさ。何がいい?」
ノアは戸棚を開ける。
そこには茶葉の銘柄が書かれた小さな缶がずらりと並んでいた。
私はその缶を睨みながら返事をする。
「いらない。私はお茶を飲みに来たんじゃなくて、話をしに来たの」
ノアは肩をすくめると、応接セット手前の一人掛けの席に掛けた。
奥の長いソファーに座るお父様は、神妙な顔つきでノアを見た。
「ノア君。リシリアは縁談の件、知らなかったようだが」
「はい。貴族同士の作法にのっとり、先にカンサム家からノックス家に縁談を申し込みました」
貴族同士の縁談。
それは家長から家長へ申し込まれるもの。
ノアのしたことは間違ってはいない。
でもそれにしたって――。
「でも僕は、知らないとは言わせないくらいには、愛情を伝えていたつもりです」
「どうだリシリア」
確かにそうだ。ノアに非はない。
非があるとすれば、これまでノアの優しさに甘えていた私だ。
「ノアの気持ちは存じておりました」
私は苦々しい思いで言った。
「そうか。その上での縁談なら受けても構わないな? 父上のカンサム殿とは旧知の仲、ノア君も優秀だ。安心してリシリアを任せられる」
「ありがとうございます」
「ま、待ってください! この縁談はお受け出来ません!」
「リシリア。そう父を困らせるな」
お父様は首を振った。
「そうだよリシリア。ノックス殿が今どんな状態かわかってる?」
「え……?」
「王子殿下との縁談を断ったせいで、ノックス殿は王宮で非常に危うい立場にいる。『娘を躾けられなかった父親』と蔑まれ、『王の側近に相応しくない』と権力を奪おうとする者までいる」
私は父を見た。
その沈痛な面持ちが全てを物語っていた。
「その上カンサム公爵家との縁談を断ってもみなよ。もうノックス殿には居場所なんてなくなる」
背中に冷たいものが走る。
アルバートとの婚約を拒否した時にお父様が言った言葉。
「父の仕事がどうなっても良いのか?」
これは脅しなんかじゃなくて、現実に起こっていることだった。
「心配ありません、お父様」
「そうか、ではこのまま縁談を」
「私は王妃教育を受け、アルバート王子殿下と結婚いたします」
私の気持ちは揺るがない。
その決意にひとつの曇りもない。
向いてなくても構わない。
私がただ、アルバートのそばにいたいのだ。
「リシリア、何を言っている。お前が嫌だと言ったのだろう」
「この一年で気が変わったのです」
私がそう言うと、ノアは腹を抱えて笑った。
「何だよそれ! 僕は気が長い方だけど、そんなの許さないよ」
「ノアに許してもらうことじゃない。私はアルバートが好きで、生涯添い遂げたいと思ってる」
「気が変わった? いつ? 夜会じゃそんなこと言ってなかったじゃないか」
「あの後よく考えたの。私が一緒にいたい人は誰かって」
「その答えが殿下?」
「そうよ」
ごめんなさいなんて言わない。
私の気持ちはノアを傷つけるけれど、アルバートを想う気持ちに後ろめたさなんてない。
「リシリア、お前の気持ちはわかった。だが殿下との結婚は無理だ」
父は重苦しい声で言った。
「なぜです」
「殿下はじきに婚約者を迎えられる」
「なっ」
「この一年の間、殿下との関係がどう変わったかは知らぬ。お前がこの一年の王宮の動きを知らぬようにな」
「それでも!」
私は信じると誓った。
アルバートの愛と誓いを。
「私はアルバートを信じます」
父は大きくため息をついた。
「ノア君、この話はカンサム家にお断り申し上げておく。このような娘、恥ずかしくてカンサム家には相応しくない」
「ノックス殿、お待ちください。僕がリシリアの目を覚まさせます」
「そこまでしてもらう義理はない。君は将来のために、勉強をしにここにいるのだ」
「それでも僕はリシリアが好きです。リシリアのいない人生など考えられません」
「もったいないことだ」
父は立ち上がると私のそばに来た。
「私はお前の幸せを願っている。お前の幸せのためなら仕事も爵位も軽いものだと思うほどに」
「お父様、私今幸せです」
「いいや。殿下のおそばにいるのは不幸だ」
「そんなことありません!」
「私はお前を妾にするために育ててきたんじゃない。なぜ今なのだ、もっと早くに――」
「アルバートはそんなことしない!」
私に愛を誓ってくれた。
父は憐れんだ目で私を見る。
「お前を幸せにしてくれるという者がここにいるのになぜその手を取らない」
「私が手を取るのはアルバートただ一人です」
「ノア君、今日のところは失礼する」
「ノックス殿。僕が至らないばかりにご心配をお掛けして申し訳ありません。僕がリシリアの心を掴んでいればこんなことには」
「君は優しい男だな」
「必ずリシリアを頷かせます。それまで返事は待ってください」
「君が息子なら、どんなに心強いことか」
父は力なく笑うとノアの部屋を出た。
「ノア、私も失礼します」
「僕、諦めないよ。簡単に諦められるくらいなら、縁談なんて申し込んでない。これは今まで何も出来ずにいた、僕なりの覚悟だ」
覚悟。
その言葉の重みが私にはよくわかる。
「失礼します」
私は振り返ることなくノアの部屋を出た。




