夜会(ランカ先輩)
唇の感触にぞくっとする。
「は、離して」
「嫌だ」
暗いフロアに跪いたノアの目が怪しく光る。
「今日のノア、変よ」
「リシリアの前でまで、良い子にしてなくたっていいだろ」
「何を怒ってるの」
「身を引こうとした自分に怒ってるんだよ。そうやってぼんやりしてたら本当に――」
パシッ。
乾いた音とともにノアの手が叩き落される。
「失礼。嫌がっているように見えたのでな」
その声の主は、ぶらりとして行き場のなくなった私の手を取った。
「お嬢さん、あちらで一曲踊ってはもらえませんか?」
「は、はい」
私は逃げるようにダンススペースへと向かった。
ごつごつした手に軽妙なステップ。
すぐにランカ先輩だとわかった。
「あの、ありがとうございました」
私は踊りながら言った。
「モテると苦労するな」
「そんなことは……」
「昼と夜と、別の男に言い寄られて、モテていないと?」
返事のしようもありません。
「時にお前は殿下と二人で食事をとる仲なのか?」
ターンをしながらランカ先輩は言った。
2年生だから、あまり私とアルバートのことを知らないのだろう。
「えぇっと。何度かご一緒しております」
「それはどういう仲だ」
先日想いが通じ合ったばかり、と言いますか。
でも将来のことは保留で、何とも説明しにくい関係です。
これが庶民であれば「付き合っています」で済みますが、アルバートは次期国王陛下。
婚約者でもないのにそんなことを簡単に言うわけにはいきません。
「親しくしていただいております」
「殿下はまだ婚約しておられないはずだが」
「はい」
「ではお前が特別だというわけではないのだな」
ランカ先輩の言葉に胸がズキッと痛む。
そんなことない、そう大きな声で言いたい。
けれど言うわけにはいかない。
「それは殿下が決めることですので」
ちょうど演奏がやんだ。
なんだか頭がぼやっとする。
「顔が赤いな。酒でも飲んだか?」
「お酒……」
だったのだろうか。
何も考えずにキレイな色の液体を、一気に飲んだだけ。
「踊って酒が回ったか。少し夜風に当たろう」
ランカ先輩は大きな手を私の腰に回すと、ゆっくりとベランダにエスコートしてくれた。
「わぁ、星だ」
ベランダから見上げた星空は、ガラス瓶越しで見るかのようにぼやっとしていて、光が増幅して見えた。
やっぱり酔っているのだろうか。
というか、この世界の飲酒年齢っていくつ?
学生が学校で飲酒とか倫理的にどうなんですか。
「少し冷える。これを」
ランカ先輩はパチンと留め具を外すと、カラスのような真っ黒のマントを私に掛けた。
「ありがとうございます」
「肌を出しすぎだ」
「私の趣味ではないです」
「だろうな。まぁ美しいものを見たが」
そう言ったランカ先輩は、柄にもなく照れてそっぽを向いていた。
「私だとすぐにわかりましたか?」
「筋肉の付き方を見ればすぐにわかるだろう」
判別方法は筋肉ですか。
「先輩、あまり女性の身体を見るものではありませんよ」
「また美しくなったな」
「舞台に出るにあたって少し引き締めました」
「ほぅ。見られるために鍛えるとは面白いことをする」
「先輩は使うために鍛えますからね」
「騎士には必須だろ」
そうだ。
ランカ先輩は将来騎士になるのだ。
「先輩は騎士様になりたかったのですか? それとも家系ですか?」
「そうだな。昔から勉強は嫌いだったが、父に剣を習うのは好きだった」
「お父様は近衛騎士団にいらっしゃると伺いました」
「今はそうだが俺が子どもの頃は国境の関所にいてな。訓練兵に混じってよく稽古をしていた」
「そうだったのですか」
小さなランカ先輩が剣を振っている姿を想像すると、何だか可愛らしい。
「父から騎士になることを強制された覚えはないが、自分は騎士になるものだと小さい頃から思っていた。憧れだったのかもな。父の背中を追いかけてこれまでやってきた」
素敵な動機です。
「夢が叶うのですね」
「そうロマンティックなものでもない。毎日傷だらけだ」
「でも羨ましいです」
私もそんな風に将来を語ってみたい。
「あとは伴侶だな。剣ばかりで女っ気がないといつも言われる」
「確かに。私の中のランカ先輩は走ってるイメージですが」
「お前はどういう男が好みだ」
えぇ、唐突ですね。
「どういう、と言われましても」
「俺ならお前を守ってやれる」
「守る、ですか?」
「いや、違うな。守らせてくれ」
「そう言われても、守るって一体何からですか」
「こんな風に言うつもりはなかったんだが。リシリア、お前に婚姻を申し込みたい」
ランカ先輩の低い声が冷えた空気を震わせる。
「ど、どうして、私なのです」
「きっと俺たちは話が合う。そう思った」
「何を根拠に」
「己を鍛えることの辛さはよくわかっているつもりだ。そのへんの令嬢には決して出来ないことだともな。だがお前は平然とそれをするだろう」
諸々のトレーニングのことでしょうか。
「過大評価ですわ」
「この身体が過大評価なものか」
ランカ先輩はじっと私を見た。
私は思わずマントの端を胸元に寄せた。
「お気持ちはありがたいのですが、私は――」
「これから互いに知っていけばいい。貴族の婚姻などそんなものだ」
それはそうなのですが、私の気持ちはアルバートにあるのです。
「あの、私にはお慕いする方が――」
「そうすぐに振ってくれるな。俺もリシリアの『親しい人』にくらいなってもいいだろう」
「先輩!」
「風が出てきたな。戻ろう」
私の言葉を遮るように、ランカ先輩は会場へ足を向ける。
私は羽織っていたマントを肩から外してランカ先輩に返した。




