花の水路
土曜日は午前中に「社交」のレッスンが90分あるだけだ。
そのあとは週末、休みになる。
「今日までは社交界に必要な知識とマナーをお伝えしました。来週からは実践です。各自、来週までに異性のパートナーを決めておくように。ではごきげんよう」
先生は極めてデリケートな宿題を投げつけて教室を出た。
「パートナーですって」
「女性はとりあえずお誘いを待つのよね?」
「でも出来るだけ良い条件の方がいいわ。だったらアピールは必要じゃない?」
様々な思惑が交錯する。
「貴女は婚約者がいるからいいわよね」
「でも社交の授業と言う意味では、あえて別の方との交流を深めるのもいいかもしれませんわ」
「まぁ、お互い合意の上ならそれも……」
教室が浮足立っているのがわかります。
男子生徒はやや殺気立っているようですが。
「貴殿は彼女を気にしていたな?」
「何、それほどでも」
「なら僕が申し込んでも構わないな」
「それは牽制と取ればいいのかい?」
でもこの空気の中、表面的には穏便にパートナーを決めねばなりません。
それが「社交」というものですからね。
というか、聞き耳を立てている場合ではありません。
穏やかでないのは私の心も同じです。
「リシリア様、ごきげんよう」
アンジュが別れの挨拶にやってくる。
土曜日の授業が終われば休み。もちろん特訓も休み。
月曜日までアンジュと話す機会がなくなってしまう。
「アンジュ、もしよければ一緒にランチはいかがですか?」
「是非! 少し時間があるので着替えて荷物を置いてきますね」
「じゃあ私も準備をしてくるわ。待ち合わせは……花の水路にしましょうか」
「水路! 涼しそうですね!」
私はデートスポットの1つにもなっている「花の水路」を選んだ。
網のように水路が張り巡らされ、脇には四季折々の花が咲く。
茎から落ちた花びらが透明な水面に浮かんでいるのもロマンティックで、お気に入りの場所だ。
「ではまたあとで」
「はい!」
部屋に帰る途中ノアを見つけた。
一瞬目が合った気がしたが、もしかしたら避けられたかもしれない。
私は「花の水路」に合わせて水色のシフォンドレスを身につける。
暑くなりそうなので髪はアップにまとめ直し、小さな黄色の髪飾りを挿す。
「アンジュ、早かったのね」
アンジュはピンクのワンピースを着ていた。
黒髪は高い位置でポニーテールに結ばれ、首元には赤い珊瑚のネックレスがぶら下がっていた。
「リシリア様! すごく気持ちがいいですね!」
空は抜けるような青。
たっぷりの水が響かせるせせらぎの音。
時折吹き抜ける風が肌に心地良い。
「少し歩きましょうか」
「はい!」
アンジュは明るい声で言った。
弾けるような笑顔を見ているだけで、何だか気持ちがほぐれるのが不思議だ。
「アンジュ。昨日のことなんだけど」
「昨日ですか? あ! 全部聞いてらしたんですよね。は、恥ずかしい」
アンジュはもじもじし始めた。
「え?」
私はアルバートとの食事のことを弁解しようと思ったのだけど。
「私、リシリア様のこと尊敬しています。公爵令嬢なのに偉ぶらず、庶民の私を大切にしてくれて」
「あ、あの」
こっちがどぎまぎしてしまう。
「美人で、優しくて、何でも出来て、本当にリシリア様は素敵です。一緒にいられて嬉しいです。って、きちんと伝えてなかったなって。いつもありがとうございます」
不意に目が潤む。
こんなのずるいですよ、アンジュ。
「素敵になった貴女にそんなこと言われたら、返事に困ってしまうわね」
「あ、リシリア様照れてます? 可愛い〜!」
「もう、からかわないで」
「本当ですよ」
調子が狂うなぁ。
「アンジュは誰か、好い人はいるの?」
「え? それって、好きな人ってことですか?」
「えぇ」
アンジュの顔がぼっと赤くなる。
「か、からかい返しですか?」
「違うわ。直にパートナーを決めなくてはいけないでしょう」
「そ、そうですね」
アンジュの顔色が曇る。
「どうかした?」
「私、好きな人とは絶対にパートナーになれないので」
きっとこの反応はアルバートのことを言っているのだろう。
庶民出身のアンジュがアルバートのパートナーになれるはずがない。
そう本人もわきまえているのだろう。
「リシリア様はアルバート王子殿下と?」
「どうかしら」
「アルバート王子殿下とのダンス、素敵でしたよ」
アンジュは何かを諦めたかのような顔で笑った。
この子のそんな顔は見たくない。
アンジュはもっと屈託なく、光がさしたように笑うのが相応しい。
「ねぇアンジュ。デートしましょうか」
「デ、デートですか?!」
「ダブルデート」
アンジュからアルバートを誘うのはまだ無理だろう。
でも私が仲介すればーー。
「えぇ、でも、誰と」
アルバートは確定ですね。
ノアとは気まずいままだから、ランカ先輩でも誘う?
でもノアを外せばそれはそれで余計面倒かもしれない。
「考えておくわ」
「は、はい」
「それから、アルバートのことだけど。私は彼とどうにかなろうなんて気、全くないから」
「そうなんですか? 好きじゃないんですか?」
好きじゃないと言ったら嘘になる。
けれどアルバートとの未来は私にはないのだ。
「私、存外自分のことでいっぱいいっぱいみたい」
出来るだけきれいに笑った。
こういうのは公爵家にいた頃から慣れている。
そのはずなのに、私の胸は何かがつっかえたように苦しかった。




