見えないスタミナ値
アンジュの特訓を始めてから2週間程たったある朝のことだった。
「おはよう、リシリア。あれ? 少し疲れてる?」
ノアは医務室での一件以降、無理に距離を詰めるでもなく、前と変わらず優しいままだった。
「疲れてるように見える?」
「うん、何だか無理してるような」
「そう言えば、休みらしいことをした覚えないかも」
学校が休みの日はアンジュの特訓も休みにしているが、そういう時こそ自分を鍛錬せねばと予習復習、体力作りに精を出していた。
「ちゃんと休みなよ」
「うーん。でもそうはいかないというか」
ゲームの世界とはいえ、今は登場人物ですからね。
スタミナ値が底を尽きかけていても目で見えません。
かと言って、休んでる場合でもないのです。
「ノア様、リシリア様。ごきげんよう」
「アンジュさん、おはよう」
「ごきげんよう、アンジュ」
「リシリア様、今日は何をする予定でしょう? お着替えは必要でしょうか」
アンジュは白い手を前で組み、丸い大きな瞳を私に向ける。
かたおさげに編まれた髪は少し知的な印象を与える。
「そうね、今日はお勉強にしましょう」
疲れているならゆっくり室内で出来ることの方がいい。
「僕が教えようか?」
「ノア?」
「アンジュさん。リシリアは少し疲れが溜まってるみたいなんだ。今日は休ませたい」
ノアは紳士らしく言った。
「えっ、そうなのですか。そうとは知らず申し訳ございません」
「平気よアンジュ」
私は心配させないように笑顔を作る。
けれどノアは遮るように私に言った。
「リシリア。勉強なら僕でも不足はないだろう? 心配なんだ」
「リシリア様、どうぞお休みくださいませ。ノア様、ご迷惑をお掛けいたしますが、お言葉に甘えてよろしいですか?」
「もちろんだよ。リシリアのためになるならむしろ大歓迎だ」
うーん、二人の間で話が纏まってしまったようです。
「ではそうしましょうか」
「じゃあアンジュさん。放課後図書室で」
「承知いたしました」
アンジュは背筋を伸ばしたまま美しい礼をした。
肩の力の抜けた自然な動きだった。
アンジュは顔を上げにこりと笑うと、ゆったりとした足取りで教室へと向かった。
「アンジュさん、変わったね」
「挨拶だけならもう立派な令嬢だわ」
1番初めに取り組んだのが姿勢と所作、そして挨拶。
淑女としての入り口にようやく立った感じだ。
まぁダンスはからっきしだし、お勉強は睡魔との戦いだし、刺繍をやらせれば手にプスプス針を刺す始末だけど。
それでも少しずつアンジュは変わってきている。
「ノア。アンジュのこと、ごめんね」
「僕の知識がリシリアの役に立つなんて、こんなに嬉しいことはないよ」
ノアはふにゃっと笑った。
「私、甘やかされてる?」
「甘えてよ」
その優しい笑みに私まで顔が緩くなる。
「じゃあ、甘えます」
ノアの目を見ると、ノアはカッと赤くなった。
「可愛すぎるな」
「や、やめてよ。こっちまで恥ずかしくなる」
「もっとリシリアの顔を見ていたいけど、そろそろ鐘が鳴る。行こう」
そう言うとノアは私の手をとって早足で教室へ向かう。
「ひ、ひとりで歩けます!」
「僕が繋ぎたい」
幼馴染だったノアが不意に男の顔をした。
「それからもうひとつ」
「?」
「今日のお礼にデート申し込んでも?」
「っ!」
「リシリアは真面目だから断われないよね」
「ノアってそんなに外堀を埋めるタイプでしたっけ」
「賢さってこういうことに使うんだなって、最近気付いたんだよ」
賢さをずる賢さに変換しないでいただきたい。
「アンジュの出来次第でお受けしましょう」
「はは、責任重大だ」
「王国史の120年から300年まで、みっちり教えてくださいね」
「了解」
「テストしますからね?!」
「アンジュさんか満点とったらデートだよ?」
うぅ。
アンジュには頑張って欲しいような、欲しくないような。
とっても複雑です。
そんなことを考えながら、ノアが手を引くままに私は教室へと吸い込まれた。




