煩悩退散
午後の授業はぼんやりと過ごしてしまった。
もちろん他人から見れば「いつもの完璧なリシリア様」なのだろうけど。
「……リア様、リシリア様!」
アンジュの声にはっとする。
私は私室の本棚の前でぼんやり本を見つめていた。
「ごめんなさい。今日はお勉強をしようと言ってたわね。えぇっと、王国史から学びましょう」
将来王妃になるアンジュにとって王国史は必修科目。
どの本をテキストにしようかと見繕っていたのだが、幼い頃にノアと読んだ本を見つけて手が止まってしまっていた。
「あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫……じゃないわね」
きっと王国史なんて説明する余裕ない。
「アンジュ」
「は、はい!」
「走るわよ」
「えぇ!? でも令嬢は走ってはいけないのでは!?」
「それとこれとは別よ」
「リシリア様、目が据わってます~」
私とアンジュはトレ着に着替え、人のいない礼拝堂の裏手に来た。
この礼拝堂は「プリズムティアラの約束」にとって最も神聖かつ重要な場所で、興味本位で近付こうなんて罰当たりなことをする生徒はいない。
ちなみにゲーム上でもイベント発生以外では立ち入れない場所なので、人がいないだろうと見当をつけていた。
「リシリア様、こんなところで一体何を?」
「まず走る」
「い、いいのですか?」
「そしてスクワット」
「スクワットさん? 誰ですかそれ」
「からの踏み台昇降」
「ふ、ふみ?」
「下半身をこれでもかというほど追い込んでからの、ヒップブリッジ」
「???」
筋トレとは素晴らしいですね。
アドレナリンがバンバン出ている感じがします。
「も、もう足が、むり、です」
そして有酸素運動もいい。
この心拍数の上昇といい、呼吸にのみ意識を集中させられることといい、煩悩を追い出すには最適。
「ぜぇ、ぜぇ。礼拝堂の、石段なんか、上り下りして、いいんですかぁ!」
アンジュの絶叫のような声が聞こえます。
「お、おしりぃぃぃ! ぴくぴくしてますぅ!」
「うん、すっきりしました」
私は分厚いふかふかのタオルで汗を拭った。
「よか、った、です、ね」
アンジュは木の根にもたれかかるようにして倒れていた。
「アンジュ、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもありませんよ~! リシリア様、本当に同じ人間ですか!」
アンジュは汗で濡れた髪を、真っ赤な顔に張り付かせて言った。
「ふっ、ふふっ。あはは!」
「な、何ですか!」
「いえ、アンジュもそんなに大きな声が出せるのだと思ったら可笑しくて」
「あ、うぅ」
アンジュは恥ずかし気に顔を覆った。
「いいのよ。数日前まで俯いてビクビクいた貴女が、私にそんな大声出すなんて何だか嬉しくて」
「嬉しい、ですか?」
「えぇ、とても」
公爵令嬢のリシリアになってから初めての感覚。
友達は身分と家の勢いで親に決められる。
互いに腹を探り合いつつ、表面上は敬意を払った態度で接する。
ノアだってそうだ。
幼馴染とは言えど、互いに「公爵家の子」として扱っていた。
「アンジュといると楽ね」
「私も、たった数日ですけど。リシリア様と過ごすのは楽しいです」
「本当に?」
「いえ、最初はとても恐ろしかったですけどね!」
アンジュは照れ隠しなのか本音なのか、鼻を膨らませて言った。
あぁ、また顔が緩む。
アンジュは人の心にすんなり入る天才かもしれない。
きっとこういうところがヒロインとして沢山の男性に愛される理由なんだろう。
「ふふ、じゃあストレッチでもしましょうか」
「あの痛いの、ですか」
「今日は叫ばないでね?」
「ひぐぅっ!」
私は疲労したアンジュの筋肉をゆっくりとほぐしてゆく。
「リシリア様が意地悪でやってるんじゃないって、何となくわかるんです」
アンジュはぽつりと言った。
「どこがどう意地悪に見えるのか、むしろ説明してほしいくらいですわ」
「あはは! でも皆、リシリア様は私を標的にして遊んでいると言いますよ」
「皆……」
って誰!
「私、誰にも文句の言われないような立派女性になります」
「アンジュ」
「それで、リシリア様の悪口を言う人たちを黙らせます」
あぁ、涙が出そうです。
はじめてのおつかいに成功した子どもの成長を見ているような気分です。
私もアンジュの気持ちに応えなければなりません。
「では、自主練メニューを作成しますね」
「!?」
「アンジュが少しでも早く、立派な女性になれるように」
目尻にじんわり涙が滲む。
「あの、さっきの取り消してもいいですか?」
「ふふ、聞こえません」
「リシリア様~!」
神聖な礼拝堂の裏にアンジュの情けない声が響いた。
たくさんのブックマーク、高評価、ありがとうございます!
皆様のお気持ち受け取っております!とても嬉しいです!
いつもありがとうございます★




