レッスン初日
「うわぁ、広いお部屋~。お姫様みたい」
さっきまでの陰気な空気はどこへやら、部屋に入るなりうっとりとした顔をするアンジュ様。
これくらいで驚いていてはいけませんよ。
あなたはいずれ王宮に住むのですから。
「では始めましょうか、アンジュ様」
「あ、あの! それなんですけど!」
「?」
「あの、リシリア様に『様』をつけて呼ばれるのはちょっと。アンジュとお呼びください」
「えぇっと」
将来の王妃様になる人にそれで良いものか。
私が渋っているとあからさまにしゅんとした顔になる。
「だめでしょうか」
ええい!
ここは良好な関係を築くのが先決です。
「それではアンジュと」
「は、はい!」
アンジュの姿勢がピンと伸びる。
うん、常にこれでいてくれたら文句ないのだけれど。
「たくさんレッスンしたいことはあるのですが今日は」
ごくり。
アンジュの喉の音が聞こえる。そんなに緊張しなくても。
「姿勢と歩き方ですね。とても目立ちますし、毎日のことですから」
「が、がんばります」
「それから自室で出来るトレーニングもお教えしますね。宿題です」
「しゅ、宿題……」
「地味ですが、必ずアンジュのためになりますから」
何たって自分の身体で実証済みです。
「それでは壁に踵、お尻、頭をぴったりつけてください」
「こ、こうですか」
「はい。それで少し顎を引きます。うん、いいですね」
「すっごく身体が反ってる感じがしますけど」
「それは普段が猫背すぎるからです。そのまま歩いてみましょうか」
右手と右足が同時に出ていますよ。
ナンバ歩きする人、初めて見ました。
「アンジュ、止まりましょう」
私はあえて微笑んだ。怖い顔をしていては心証がよくないですからね。
「で、出来てました!?」
あぁ、勘違いさせてしまいました。出来ていません。
「もう少し肩の力を抜きましょうか。手は前で組みましょう」
「は、はい!」
アンジュは指を大きく広げた手をおへその上あたりにおいた。
お腹でも空いたのかしらというような感じ。
「指は閉じて、自然に。力を抜いて」
再び歩き出すアンジュ。
うん、これだけでだいぶマシですね。
「リ、リシリア様。あのっ」
「お上手ですよ。そのまま続けましょう」
「足が、つりました」
前途多難なようです。
私はアンジュを座らせ応急処置をする。
「いったーい!!」
「我慢してください。こうした方が早く治るのです」
「あぁぁぁ! 痛い痛い痛いー!」
「死にはしませんから」
「無理! 死ぬ! 痛すぎる!」
「うるさい」
「リシリア様に殺されるー!」
人聞きの悪い。
けれど、足がつった時ってそうですよね。わかります。
だからと言って手加減はしませんが。
「このままストレッチとマッサージもしますね」
「な、何ですかそれ」
「予防のために必要なことです。ちなみにこれも宿題に加えます」
アンジュの身体は10代とは思えぬほどに硬かった。
貴族は毎日のようにマッサージを受けるけど、庶民はそうはいかないのでしょう。
「もう曲がりません~! 足が千切れる~!」
「千切れません。痛いけれど気持ちいいでしょう?」
「うあぁぁぁ」
言葉になっていませんよ。
翌日、セレナが斜め後ろから声を掛けてきた。
「昨日はあの庶民の女の子に何をしていたの?」
「え?」
「リシリアの部屋から物騒な悲鳴が聞こえてきたって、話題になっていてよ?」
「物騒な、悲鳴?」
背筋がヒヤッとする。
「痛い、死ぬ、殺される。あと何だったかしら、足が千切れる?」
どう育てば微笑みを称えたままその単語を言えるのでしょう。
セレナの方がよっぽど恐ろしいですよ。
「あれはそういう意味ではなくて」
「罰でも与えていたのかしらと思って」
むしろアンジュのためになることをしていたのですよ!
「そんなわけないでしょう。そもそも罰って一体」
「アルバート王子殿下に色目を使ったお仕置きとか」
「全力で否定させてもらうわ」
あぁもう何でそうなるんですか。
むしろ二人をくっつけるために頑張っているというのに!
「あら。じゃあノアが本命なの? 違うでしょう?」
「そっちの懸案事項もありましたね」
「?」
思い切り溜息をつきたいところですが、公爵令嬢たるもの廊下でそのような真似はいたしません。
そんなことを思っていると、廊下の向こうから歩いてくるアンジュが見えた。
オーバーサイズの制服はそのままだが、立ち姿が明らかに違う。
歩き方だって一晩で見違えたものだ。
「おはようございます、リシリア様」
「ごきげんよう、アンジュ」
「え? アンジュ? 貴女が?」
セレナはお人形のような長い睫毛をぱさぱさと動かした。
「はい。おはようございます」
「驚いた。まるで別人じゃない」
セレナは食い入るようにアンジュを見つめた。




