憂鬱な午後
午後の授業は痛いくらいに静かだった。
静けさは時に空気をヒリつかせる。
身動き一つするにも、息を深く吸うのにも、尋常じゃない程の緊張感があった。
それは私の気持ち一つで変わるものなのだろうけど。
正直身体を動かしたり、皆の前で見本にされるくらいの方が気が紛れてよかったかもしれない。
ノアが綺麗なブルーのガラスペンをカリカリと動かす音を聞くたび、意識はそちらにばかりいった。
「リシリア、ちょっといいかな」
90分間の講義が終わるとノアが申し訳なさそうに言った。
午後の授業は1コマだけ。その後は課外活動をするなり、自習に励むなり、余暇をとるなり、自由な時間が与えられている。
「ごめんなさい」
今ノアと二人にはなりたくなかった。
纏まらない思考のまま話せば、きっと傷つけてしまうような気がした。
「リ、リシリア様ぁ~」
小走りで近づく可愛らしい声。
アンジュ様の存在がこんなにも落ち着くなんて、どうかしていますね。
「アンジュ様、人前では特段の用がない限り走るのはお控えくださいませ」
「はっ、はいっ!」
「それからまた姿勢が」
「あぁっ、すみません」
「ごめんなさいノア。このあとはアンジュ様の個人レッスンに付き合うことになっているの」
「そっか」
「ではごきげんよう」
そう言うと同時に、アンジュ様はまん丸の目を見開いて、ノアを指差した。
「あー!!」
「アンジュ様、人に指を差してはなりません。大声もなりません。それから彼には『あー』ではなく、カンサム=ノアという名前がございます」
もう突っ込みどころしかありません。
ですがアンジュ様が失態をすればするほど、私の心は平常心に戻っていきそうです。
「し、失礼しました。あ、あの、ノア君って、すっごく賢い人ですよね!?」
本当に失礼だな、この人。
「はは、僕は勉強だけが取り柄だから」
「庶民棟で噂になってたんです! アルバート王子は素晴らしいけれど、たった一人だけ、アルバート王子よりも賢い人がいるって!」
庶民の皆さん、不敬ですよ。
「アンジュ様、お喋りはその辺にして、行きますよ」
「ま、待って!」
ノアが言った。
「ぼ、僕もお役に立てないかな? 勉強なら教えられるし、リシリア一人じゃ大変だろ?」
「アンジュ様に教えるくらいの内容なら私にも出来るわ」
「す、すみません。バカで」
はっ!
今もしかしていじめフラグ立てた?
「ち、違いますわ。私もお勉強が得意というだけで」
「苦手ですみません」
あぁ、ネガティブに受け止めないでください。
私の使命は一刻も早くアンジュ様をアルバートに見合う女性にすること。
それもいじめフラグを立てずに!
だけど何かしらの作用が働いているのでしょうか。
アンジュ様といると、ことごとく悪役令嬢として仕上がっていくような?
「と、とにかく参りましょう。私の部屋にいらしてください」
「リシリア様のお部屋に? 貴族棟だなんて、いいんですか?」
いや貴女、初日に迷い込んでおいて今更ですよ。
「もちろんですわ。アンジュ様は私の大切なお友達ですもの」
「と、友達!?」
「えぇ、お嫌かしら?」
「公爵令嬢のリシリア様がご友人だなんて」
「でもアンジュ様は王子様との恋を夢に見るくらいですもの。身分なんて関係な――」
しまった。
アンジュ様のテンションがあからさまに落ちました。
「午前のことは本当にすみませんでした。わきまえます。王子様とどうにかなろうなんて、考えるだけ愚かなのです」
「いえ、そんなことはないのですよ!? 嫌味に聞こえてしまったならごめんなさい」
アンジュ様は肩を落とした。
「ア、アンジュ様? あの」
「あぁ、姿勢ですよね。本当にすみません」
まだ何も言ってませんよ!
まるで本当にいじめているようではありませんか。
そうだ、褒めましょう。出来た時は大げさに褒めて差し上げましょう!
アンジュ様の自尊心を形成させるのも仕事のうち!
「自分でお気づきになるなんて成長ですわ。必ず素敵なレディーになれますわ」
「そういうの、いいです。はぁ」
褒められたら素直に受け取りなさい!
「ノア、失礼します。ではアンジュ様、行きましょう」
「はい」
私が歩く3歩後ろを、陰気なオーラを漂わせて歩くアンジュ様。
すれ違う人が皆引きつった顔で振り返る。
あぁ、明日からは自分で来てもらうことにしましょう。