優しい人
アンジュ様を追おうとしたが時すでに遅し。
廊下に出た時にはその姿は既になかった。
「リシリア」
名前を呼ばれて振り返ると、斜め後ろにセレナがいた。
そこが貴女の定位置なのですね。
「セレナ、何も言わないで」
これ以上の精神的ダメージは耐えられそうにありません。
「そう? では午後の授業でも、よろしくね?」
セレナの顔にゆっくりと笑みが広がる。
あぁもう絶対楽しんでる。
「もう午後はずっと部屋にいようかしら」
「ふふ、リシリアでも冗談を言うことがあるのね」
結構本気ですけど。
授業に出るたびにこんなことがあっては身が持ちません。
「話し中にごめん。少しいいかな」
「あらあら、カンサム公爵家のノアじゃない。私とリシリア、どちらにご用かしら?」
セレナは悩まし気に頬に手を当て、わざとらしく私に流し目を送る。
「リシリア、いいかな」
嫌ですよ。
せめて午後の授業までは平穏に過ごさせてくださいよ。
昼休みというものは、休むためにあるんですよ!
「では邪魔者は消えるわね、ごきげんよう」
そう言ってセレナは廊下を歩いてゆき、角を曲がった。
うん、角を曲がったところで足音が消えたのはなぜでしょうね!?
「リシリア、ここでは何だし、少し外へ出ない?」
「ここでは出来ない話?」
だとしたらさらにうんざりなのですが。
「僕相手にそう構えないでよ。天気もいいし、ランチでもしよう」
ノアはいつの間に用意したのか、手に二人分のサンドイッチの袋を下げていた。
「そうね。何だか頭を使ってお腹も空いたし」
「よかった。じゃあ行こうか」
ノアは嬉しそうに言うと、花のように顔をほころばせた。
私たちは噴水のある庭園まで来ると、猫足のテーブルセットに席をとった。
こういうディテールが可愛いところが好きなんですよね。このゲーム。
「あのさ、リシリア。アルバート殿下のことだけど」
なぜアルバートの名前を出した。
もう少し平穏に浸らせてほしかったですよ、ノア。
「何?」
「だから、そんなに構えないでほしいんだけど」
私は軽くため息をつく。
幼馴染ならそれで察してほしいものです。
「リシリアは殿下との婚約を断ったんだよね」
「そうだけど」
「それじゃあ気はないってことだよね」
「そうだけど」
語気が強まってしまうのは仕方がないですよね。
「なら今の状況はさ、殿下が一方的にリシリアに、その、好意を寄せているってこと?」
「好意かどうかは知りませんが」
パラ萌えは果たして好意なのか?
「僕考えたんだ」
ノアはぐっと身を乗り出した。
そして短く、しかしはっきりと言った。
「僕と好い仲ってことしたらどうだろう」
???
「えっと、それはどういう……」
「もちろん、フリだけだけど。でもそうすれば殿下も諦めるんじゃないかな?」
私とノアが、好い仲? のフリ?
何それ、やっぱり天才じゃないこの人。
そう言えば思い出しましたよ。
好きな人を宣言することで、次点の攻略相手は「友達モード」に切り替わるやつですね!
さすが真面目系眼鏡キャラだけありますよ!
「それはかなり美味しい話ですね」
「ほっ。よかった」
あれ、今胸を撫でおろしましたか?
でもフリというのならば、ノアも私に好意がないことが前提です。
パラ萌えとはいえ好意があるのなら、ノアの心を利用するみたいでよくない。
「ノアはそれでいいの?」
「ははっ。リシリアのためになるのなら何だって嬉しいよ」
恥ずかしそうに鼻をかくノア。
彼はとても優しいのだ。
「でもやっぱり、そんなこと……」
ノアを利用してまでこの身が可愛いのかと言われると、何とも言えない気分になる。
彼はリシリアの幼馴染であり、前世の私にとって初めて結ばれた相手でもある。
真っすぐで優しいノアを、私の国外追放フラグを折るために使うのか?
「答えは今でなくても構わないよ。でもリシリアが困っているのなら、僕は力になりたい」
ノアは小さな子どもにするように、優しく私の頭を撫でた。
この優しさに甘えてしまうことが、魅惑的でもあり怖くもある。
「もう子どもじゃないわ」
「僕だってもう子どもじゃない。リシリアひとりくらい、僕が守ってみせるよ」
確かに背が高くなって、もうすっかり大人だ。
私はきゅっと胸が締め付けられるのを感じた。
甘いような、切ないような、そんな痛みだった。