王子様との恋物語
学園の端にある高い鐘楼が始業の時を伝える。
品よく響き渡るその音は心まで凛とさせる。
はずなのだが、目の前のアンジュ様が気になって仕方がない。
あの、先ほどから探している羽ペンですが、足元に落としていらっしゃいますよ。
結構大きいものなのですぐに気づくと思ってお声を掛けずにいたら、先生が来てしまいました。
「やぁ、皆さん。初めに挨拶をしましょう。ごきげんよう」
「ごきげんよう先生、よろしくお願いいたします」
そう言ったのは私だけだった。
そして一気に皆の視線が私に集まる。
しまった。
「レディ。君はリリドール語を話せるのですか?」
アンジュ様が気になってナチュラルに返事してしまったけれど、先生が話していたのは隣国のマイナー言語、リリドール語だった。
そして私もつられてリリドール語で挨拶を返してしまった。
「お恥ずかしながら、少しだけですの」
私は王国語でにっこり微笑む。
入学二日目にして、これ以上目立ちたくはありません!
「前の席のレディが何か落とし物をしているようですよ」
その言葉に、思わずアンジュ様が落とした羽ペンを見る。
しかし次の瞬間またも後悔した。それもリリドール語だった。
「リスニングも問題ないようですね。拾ってあげなさい」
銀髪からすると、男性教師はきっとリリドール出身か、リリドールの血が混じっているのだろう。
私は先生を恨めしく思いながらも、アンジュ様の羽ペンを拾った。
「アンジュ様、お探し物はこちらですか」
「は、はいっ。ありがとうございます」
私はその時間中、何度も先生に指名され見本にされた。
授業が終わる頃には私の精神的ダメージは相当なものになっていた。
「リシリアは外国語も嗜むのか」
「たまたまですわ」
あぁ、こんなメンタルの時に話しかけないでくださいアルバート。
級友たちは昼休憩のために、一人、また一人と教室を出て行く。
私たちをちらりと見ながら。
「他には何語を話せる」
「ノーコメントでよろしいでしょうか」
「リリドール語などというマイナー言語を使いこなすのだ。他にも話せるのだろう」
私の返事は無視ですか。
「隣接する国の言語は一通り話せますが、日常会話程度ですわ」
私はうんざりして言った。
きっと普段のメンタルなら口を滑らさなかっただろう。
アルバートは少し考えてから言葉を紡いだ。
「それは妃教育の一環か?」
!!!
「ち、ちがっ」
「それだけの言語を使う機会など、王妃となり外交をする時くらいではないか」
他にもありますよ!
国外追放された時とかね!
「しゅ、趣味なのです。ただの、趣味です」
「ふーん?」
信じていない顔ですね。
というか、その甘いマスクで嬉しそうな笑みなど浮かべないでください。
ときめいてしまったらどうするのですか。
「な、何ですか」
「いや、我が妃にするのに申し分ないと思ってな」
ガターン!!
すごい音を立てて、アンジュ様が椅子から転げ落ちた。
なぜ椅子から立つだけで転げ落ちる?
「ア、アンジュ様? 大丈夫ですか?」
「あの、すみません。平気です」
アンジュ様の頬は赤く染まっていた。
「お怪我はありませんか?」
アンジュ様はこくこくと頷いた。
「アンジュ殿、気を付けられよ。そなたも女性なのだ、怪我でもすれば嫁に行けんぞ」
「お、お嫁さんですかっ!?」
気のない様子のアルバートと、頭から湯気でも出そうなアンジュ様。
あなた方、いずれ婚約するんですけどね。
あ、そうだ。
「アンジュ様はどのような殿方がお好きですか?」
「わ、私ですかっ? えぇっと……」
照れる様子も可愛い。
少しオーバーサイズの制服が、彼女の小動物感を強めていますね。
長めの袖に半分ほど隠れた手もあざとくて良いですよ。
「アンジュ様はとても女性らしくていらっしゃるから、きっとロマンティックな恋愛などお好みなのでしょう?」
「な、なんでそれを」
アンジュ様は耳まで真っ赤にして、小さい子がイヤイヤをするように首を振った。
「王子様との恋物語なんて、憧れがあるのではなくて?」
「は、はい。素敵だと思います」
ふにゃりと顔を緩ませるアンジュ様。
いますよ、ここに本物の王子様が。
ほら、お互いに意識なさってくださいませ。
「ふふ、可愛らしい。ね、アルバート王子殿下?」
私は「王子」を強調して言った。
「ふむ。アンジュ殿は王子との恋物語を所望か」
「いっ、いえ。私はっ、そんなっ」
いいぞいいぞ。
さぁ、私はこのへんで消えましょう。
私はすっと席を立ちあがり、アルバートの後ろを通って出口に向かう。
その時だった。
ぐいっ。
「ひゃっ」
急に腕が引っ張られ、体がぐらりと傾く。
「王子との恋物語などすぐ身近で見られるぞ? なぁ、リシリア」
「なっ、なんで私なんですか!」
「言っただろう。私はリシリアの恋焦がれる相手になると」
「!!」
「し、失礼しますっ」
アンジュ様はひどく悲しげな顔をし、バッグに手当たり次第に教材を放り込むとパタパタと教室を出て行った。
「ア、アルバート」
何てことをしてくれたのですか。
「リシリアが悪いのだ。いらぬはかりごとなどするから」
だって、アルバートの相手はアンジュ様。
アンジュ様のさっきの態度を見てわかった。
ヒロインは間違いなくアルバートに気があって、アルバートルートに進む。
「私も失礼します。アンジュ様の誤解を解かなくては」
「待て」
「手を放してください」
「誤解とは心外だな。確かにからかいすぎたかもしれないが、私の言葉に偽りはない」
顔を寄せ、真っ直ぐな瞳でアルバートは言った。
アルバートの瞳に映る私は、ひどく切なげな顔をしていた。