お部屋デート
「で、どこへ行こうか」
期待を込めた目で見られると言いづらいのですが、全くのノープランです。
「どうしましょう」
「ははっ、何だそれは」
「誘っておいて何ですが、執務の方はよろしいのですか?」
「ノアには睨まれた」
あぁ、申し訳ありません。
「ではお部屋デートはいかがでしょう」
「せっかく出てきたのにあの書類だらけの部屋に戻るのか?」
「いえ、私のお部屋に。アルバートはお仕事を、私はお菓子でも焼きます。これなら一緒にいられるでしょう?」
「まぁそうだが。リシリアはそれでいいのか? 一日くらい二人でゆっくり過ごしても――」
「国にとって大切なお仕事ですから」
王太子殿下の婚約者になったのだ。
国のことを一番に考えなくてはいけない。
「なら甘えよう」
「はい」
笑ってそう言える自分が誇らしくもある。
こうやって婚約者としての実感を持っていくのだろうか。
アルバートは自分の部屋からいくつか書類を持って来た。
私の居室に通し、執務机に座ってもらう。
「不思議だな。リシリアはいつもここで勉強しているのか」
「はい」
「捗りそうだ」
「それは良かったです。私は前室におりますので、何かあればお声掛けください」
「あぁ、わかった」
アルバートの両腕が伸びる。
少しの間、私をぎゅっと抱きしめてからその手を離した。
「シーラ、厨房におつかいを頼めますか?」
卵、小麦粉、バター、砂糖。それから林檎。
シンプルなアップルケーキを作りましょう。
「承知いたしました」
私はオーブンを予熱しながら居室へと続く扉を見つめた。
あの向こうでアルバートが仕事をしている。そう思うと胸が甘い痛みに襲われる。
あと1年もすれば、私たちは結婚して一緒に住むことになる。妻ってどんな感じなんだろう。
シーラが戻って来てからも、頭の中はアルバートのことばかりだった。
ボールの中身を丁寧にかき混ぜながら将来のことを考える。
「シーラ、結婚とはどういうものでしょうか」
「私は結婚しておりませんが……王宮での陛下とザラ様は、いつも幸せそうにしておいでですよ」
「私たちもそうなれるでしょうか」
「ふふ、それは殿下にお聞きくださいませ」
シーラは口に手を当てて笑った。
「私、のろけてるみたいになってた?」
「えぇ、それはもう。今のリシリア様のお顔、殿下に見せて差し上げたいくらいですわ」
そう言われて鏡の方に振り返る。
頬は上気し、眉は下がり、何とも悩ましげで、でも嬉しそうな顔がそこにはあった。
アルバートに恋焦がれる女の顔だった。
「き、生地を焼きますっ」
「火傷にお気を付けくださいませ」
「ん、わかってるわ」
「あぁ、熱いのはリシリア様の方でございますね」
「シーラ!」
「うふふ」
アップルケーキはこんがりと焼きあがり、甘酸っぱい香りで部屋が満たされる。
少し冷ましてカットし、紅茶と一緒に銀のトレーに載せた。
「アルバート、入ってよろしいですか?」
「あぁ」
居室に入ると眼鏡を掛けたアルバートがいた。
「!」
「どうした?」
何と! アルバートの眼鏡姿は初見です!
イケメンに眼鏡の破壊力はやばいですね。
「いえ、こんなに素敵な人が旦那様になるのかと思っただけです」
「また可愛らしいことを言う」
「でも、本当だから」
顔から火が出そうなくらい熱い。
お茶とケーキを置くと、アルバートはさくりとフォークでケーキを刺した。
「うまい」
「よかったです」
眼鏡を外して紅茶に口をつける。その仕草がセクシーで思わず見とれてしまう。
「リシリア、こちらへ」
「は、はい」
胸がトクンと鳴る。
アルバートの隣に立つと、不意に腰を抱かれ膝の上に乗せられた。
「お、重くはありませんか?」
「何をいまさら。この間リシリアを抱えてスクワットしたばかりだろう」
そういえばそうでしたね。恐ろしく恥ずかしい夜会でした。
結局スクワット対決はアルバートとランカ先輩が最後まで残った。大衆の目に晒され続けた私とアンジュの恥ずかしさったらなかった。
「ひゃっ!」
突然首筋に柔らかなものが当たる。
耳元をくすぐるアルバートの髪と、静かな息遣いを肌に感じる。
「久しぶりだな」
「婚約してから会うのは初めてですね」
「そうだな、気が回らなくて悪かった。誘われるまで放っておくなんてダメだな。それもアンジュにお膳立てされるとは」
「頑張っているアルバートも好きですよ」
「全く、出来た婚約者だ」
重なる視線が熱っぽくなる。ゆっくりと顔が近付く。
キスは何度もしているけれど、何だかとても緊張する。
紅茶で少し湿った唇が、寸分の隙間なく合わさる。
「んっ」
アルバートの舌が、私の唇をこじ開けるように入ってくる。
その甘さにくらくらする。
「リシリア、今日はお泊り会でもいいだろ?」
「だめ」
「そんなに色っぽい顔で言われても説得力に欠けるぞ」
「アルバートがいたら、眠れそうにありません」
「眠るつもりか?」
アルバートの手が私の腰をなぞる。
「っ!」
「はは、冗談だ」
「心臓に悪い」
「陛下から達しが出た。結婚式が終わるまで婚約者殿に手は出すなと」
自嘲気味に言った横顔は、少し危険な男の香りがした。
「そうですか」
「残念そうな顔をするな」
「してません!」
「父上もこの学園で恋愛結婚しているからな。何か心当たりでもあるのだろう。仕方がないからこれで我慢しておく」
そしてまた唇が重なった。