ある雪の日に
期末試験も無事に終わり、初雪が降る前にモモタナ様はエーコットに帰られた。
それから程なくして、私とアルバートの婚約が公表された。
王太子の婚約者となったことに加え、トマスティオ殿下への懸念も相まって、異例ではあるがアルバートは私に護衛をつけた。
「リシリア様っ! 雪っ、雪ですよ~!」
「アンジュ、護衛のお前がはしゃいでいてどうする」
「あぁ、またやっちゃった」
放課後から就寝までの限定的なものだし、本人たちには「課外活動」として活動してもらっているものの、アンジュとランカ先輩が私の護衛係として傍にいることになった。
この人選もアルバートによるもので、少しでも私が安心できるようにとの配慮だった。
「アンジュ、見に行きましょうか」
私は窓辺に立って、雪のちらつく空を見上げた。
「リシリア様、身体を冷やしますよ」
ランカ先輩は私のことを「リシリア様」と呼ぶようになった。
やめてと言おうと思ったけれど、立場がそれを許さない。
こういう違和感にも慣れていかないとなぁ、と思いながらも、アンジュには変わらずにいてほしいと願ってしまう。我ながら矛盾しているなと苦笑いする。
「少しくらいなら平気です。シーラ、何か羽織るものを」
「承知いたしました」
シーラが厚手のコートを私に着せる。
「リシリア様、王子殿下は誘わないんですかぁ?」
「えぇ。お忙しくなさっているでしょうから」
長期休暇恒例の大量の執務がザラ様によって届けられたと聞いている。
「私、ヤキモチ妬かれちゃいませんかね!?」
「嬉しそうにするな、不敬だぞ」
「してませんってばー!」
「顔が緩んでいる」
アンジュとランカ先輩のやり取りはいつだって面白くて飽きない。
「ランカ先輩こそ、アンジュが私にばかり構うのが面白くないのでは?」
私は少し意地悪して言ってみる。
「心配には及びません。後ほどじっくり構うことにしますので」
「ちょっと!! リシリア様に何言ってるんですかーっ!」
「事実だろう」
「し、知りませんよ!」
アンジュは顔を真っ赤にしていた。
「知らない? そんなはずはなかろう。昨日だって――」
「ギャー!!」
翻弄されるアンジュが可愛いです。
私はアンジュとランカ先輩を連れて、貴族棟の庭に出た。
灰色の空からは、真っ白な雪がいくつも落ちてきた。
初雪というものは、なんでこうも胸を躍らせるのでしょう。
「リシリア様、婚約者になるってどんな感じですか?」
私とアンジュが隣を歩き、ランカ先輩は少し離れたところからついてきた。
アンジュは後ろのランカ先輩に聞こえないようコソコソと囁いた。
「うーん、正直あまり実感がないわね」
「そういうものですか?」
「学園にいるせいかもしれないわ。ここを出たら嫌でも感じるんでしょうけど」
周囲から向けられる目が、きっとこれまでとは違ったものになるのだろう。
「王子殿下との関係もあまり変わりませんか?」
「というか、忙しすぎて。婚約発表があってから会ってない」
「えぇ!? 特別な日なのに、一緒に過ごすとかもなかったんですか!?」
というか、その日もアンジュは護衛としてずっと一緒にいたではないですか。
「だって私たちが発表したわけでも儀式があったわけでもないし。王城が王国全土に通達を出しただけだから、当事者って感じがいまいち」
国中が祝賀ムードに包まれ、婚約を祝う祝日が設けられ、領地ごとに祝祭が開かれたということは父からの手紙で知っている。
でも蚊帳の外な感じ否めない。
「リシリア様! こんなところで雪見てる場合じゃないですよ!」
えぇ、アンジュがそれを言いますか。
「じゃあ、あとで何か温かいものでも届けるわ」
ハニージンジャーティーか、ホットチョコレートか、何がいいでしょう。
「何悠長なこと言ってるんですか! 私、殿下のこと呼んできます!」
「ご迷惑でしょう」
「婚約者に呼ばれるのが迷惑なんて言ったら、私殿下のこと引っ叩きますよ!」
不敬ですよ。
「ランカ先輩! ここお任せします!」
アンジュはそう言うと、さっき出てきたばかりの貴族棟に走って行ってしまった。
「リシリア様、アンジュが迷惑を掛けます」
「いえ、アンジュにはずっとあのままでいてほしいです」
その後ろ姿に目を細める。
一つに結ばれた長い黒髪が揺れる。
「ランカ先輩は、アンジュが騎士団に入ることをどう思っておいでですか?」
「それがアンジュの希望なら、止めません」
ランカ先輩の声が少し強張った。
「あの子が傷つくことや、血を見るようなことがあったとしても?」
「好きな女の決めた道を、閉ざすつもりはありません」
「そう」
「ですが、アンジュが傷つかずに済むように、強くするつもりです」
ランカ先輩ははっきりとした口調で言った。
「強くなれば、より危険な任務に就くこともあるのでは?」
「だったらもっと強くします。それでも危険ならば、俺が守ります」
「アンジュは幸せ者ですね」
「でも殿下とリシリア様なら、戦争が起こるような国にはなさらないでしょう?」
その強い目を、私は真っ直ぐに見返す。
「えぇ、誓って」
「俺が初めて仕えた人が貴女だということを、誇りに思います」
ランカ先輩は片膝をついて頭を下げた。
「リシリア、何か用か」
愛しい人の声が私を呼んだ。
「アルバート、お呼びたてして申し訳ございません」
アルバートの後ろにはアンジュがにこにこ顔で立っていた。
「いや、構わない。気が詰まっていたところだ」
「ではデートでもしましょうか」
「何?」
「お嫌ですか?」
「そんなわけないだろう。リシリアにそう言われるのが意外過ぎて驚いただけだ」
アルバートは寒さで赤くなった鼻をこすった。
「ではランカ先輩、アンジュ。本日の護衛はここで結構です」
まだ昼過ぎだが、毎日私に付き合わせるのも悪いと思っていた。
「ですが、一日はまだ長いですよ」
ランカ先輩が言う。
「私はこのあと殿下とデートをして、夕食をとって、就寝まで一緒に過ごすことにします。ですから心配はいりません」
私の言葉にアルバートはまた面食らった顔をした。
「殿下、よろしいのですか?」
怪訝な顔をするランカ先輩に、アルバートはハッとする。
「構わん。我が妃には私がついていよう。ランカ、アンジュ、今日の任務は終わりだ。ご苦労だった」
アルバートが私の肩を抱く。
それを見たアンジュが嬉しそうに笑った。
「では殿下、リシリア様、また明日!」
アンジュの明るい声が響いた。