トマスティオの謀略
「何? 今いいところなんだけど」
トマスティオはアルバートを一瞥すると、また私の方を向いた。
そして奪うように唇を重ねた。
「っ!!」
私は声にならない悲鳴を上げる。
恐怖で奥歯がカチカチと鳴る。
「離れろ」
腹の底を震わせるようなアルバートの声に、トマスティオは口角を上げた。
「この国の王子は躾がなってないね。扉を蹴破って、隣国の王子に剣を向けるなんて」
「躾がなっていないのは貴様だろう。それは私のものだ」
「だからそれが気に食わないんだよ。一体姉様を何だと思って――」
「トマ? あなた、何してるの?」
扉の向こうに顔を真っ青にしたモモタナが立っていた。
トマスティオは私から身体を離すとモモタナの方を見た。
「交渉中、って感じ?」
「リシリアに、何をしたの」
モモタナはおぞましいものでも見たかのように声を震わせていた。
「エーコットに来てくれないか、お願いしてただけだよ」
「嘘……だって今……」
「リシリアがエーコットに来れば、姉様だって心置きなく国に帰れるでしょ?」
「そのために、リシリアに手をつけたの?」
モモタナは自分の腕でぎゅっと身体を抱き、身震いした。
「これでも気に入ってるよ? 反応がいちいち可愛くて」
「いい加減になさい!」
モモタナは涙をぽろぽろと零した。
「姉様!?」
それまで余裕だったトマスティオが突然狼狽した声を出す。
私は残った力を振り絞って立ち上がった。
「トマスティオ殿下。私は何を言われようが、何をされようが、エーコットには参りません」
「それは困る」
「それからアルバート。剣を収めてください」
「そやつを庇いだてするか?」
「この部屋の主は私です。トマスティオ殿下を入れ、二人になってしまった以上、責任は全て私にあります。それともアルバートは今ここでトマスティオ殿下を斬り捨てて、隣国と戦争でもなさるおつもりですか」
事の発端のトマスティオ、殺気立ったアルバート、そして涙を流し続けるモモタナ。
私がしっかりしなければこの場は収まらない。
泣いてアルバートにすがりつくのは全て終わった後だ。
どんなに心が乱れていても、今だけは凍てつかせる。
すっと背筋を伸ばすと、腹に冷たい風が吹いたような気持ちになった。
アルバートはトマスティオを睨みつけたまま剣を鞘にしまった。
「トマスティオ殿下。私は今、アルバート殿下との婚約を進めているところです。先日王家より当家に婚約の打診をいただきました。正式にお受けするとお返事を出しております」
「じゃあ姉様の立場はどうなるんだよ! 国を出てまで王妃教育を受けたのに、王女が公爵令嬢に負けたなんて、そんな帰り方は許さない」
「トマスティオ殿下はモモタナ様の帰国を望んでらしたのでは?」
私より少し背の低いトマスティオを、冷ややかな目で見つめた。
「そうだよ。この国の王子はたいしたことなくて、俺がリシリアを妻に娶って、姉様も愛想を尽かせて帰国する。そういう筋書きだ」
「アルバートはそんな人間ではありません」
「さぁどうかな。少なくとも姉様を蔑ろにするような男だよ」
「そう仰いますが、モモタナ様はアルバートと私の関係を認めてくださっていますよ。いかがですか、モモタナ様」
涙でぐずぐずになった顔をこちらに向けて、モモタナははっきりした声で言った。
「アルバート殿下とリシリアの結婚には大賛成よ」
「姉様、だったら何でこんな」
「私は将来の王妃となるリシリアの隣で、学びたかったのよ。女として国を背負うことが、どういうことなのかを」
モモタナはごしごしと涙を拭いた。
「姉様がそんなことする必要ないだろ!? 王宮で、今まで通り何不自由なく暮らせばいい」
「嫌なのよ!」
「なんで――」
「そんな生活、つまらないとわかったから」
真っ赤な目がトマスティオに向けられる。
「どうしてそんなこと言うの? 今まで通り着飾って、毎日美しいものに囲まれていればいいじゃないか」
モモタナは子どものように首を横に振った。
呆然とするトマスティオに、私は出来るだけ静穏な声で言った。
「トマスティオ殿下、貴方の仰る恵まれた生活は誰のおかげでしょうか?」
「え?」
「民のおかげではないのですか? 民に目を向けずして何が王族ですか。何も知らずただ贅沢を享受するような王女に、モモタナ様はなりたくないのですよ」
「姉様……そうなの?」
トマスティオは捨てられた子犬のような目でモモタナを見た。
モモタナは一言一言、ゆっくりと言葉を紡ぎだす。
「いつか、リシリアと肩を並べて、互いの国のこと、国民のこと、胸を張って話したいのよ。私も国の役に立つ人間になりたい。政略結婚をすることでしか利用価値のない女にはなりたくない」
「そんな……いつからそんな風に……」
「言わなかったのは悪かったわ。恥ずかしかったのよ。でもこんなことになるくらいなら、きちんと言っておけばよかった」
モモタナはその場に膝をついた。
「アルバート殿下、リシリア様。弟が取り返しのつかないことをいたしました。ですが全ては私のためにしたこと。罰なら私が受けます。どうかトマスティオはお許しください」
「姉様っ!」
トマスティオがモモタナの側に駆け寄った。
私とアルバートの視線が交差する。
アルバートは何も言わず私を見つめていた。私の言葉を待つように。