危機
学園祭が終わると一気に試験ムードになるのは今年も同じだった。
私が部屋でレポートの作成をしていると、不意にノックの音がした。
「リシリア様、トマスティオ殿下がお見えなのですが」
シーラはどうすれば良いのか考えあぐねた感じで私の顔を見た。
「前室でお待ちですか?」
「はい」
申し訳なさそうなシーラに私は微笑みかける。
「隣国の王子殿下ですから無下にも出来ません。シーラ、ありがとう」
私は書きかけのレポートを机の端にまとめて前室へ移動した。
「トマスティオ殿下、ごきげんよう。何かご用ですか?」
「リシリア、座ってよ」
「失礼いたします」
「はは、変なの。自分の部屋なのに」
愉快犯のように笑うトマスティオに私は警戒心を最大にする。
「試験勉強でお忙しくはないですか?」
「そんなもの別にする必要ないよ。俺は一日でも早くエーコットに帰りたいからね」
「そうですか。ではなぜまだ学園に?」
「姉様がここにいるから」
トマスティオは睨むような目で私を見た。
「ねぇ、ちょっと。そこの使用人、席を外してくれる?」
「そういうわけには参りません。リシリア様が前室で人とお会いになる時は、必ず同席が必要で――」
「俺を誰だと思ってるの? 王族の命令だよ?」
「どうかご理解くださいませ」
シーラは深々と頭を下げる。
「トマスティオ殿下。私の使用人を困らせないでください」
「ならリシリアが賢明な判断をしなよ。使用人の首なんていくらでも飛ばせるんだよ?」
その温度のない笑みにぞっとする。
「シーラ、下がりなさい」
「ですが」
「よい。私が責任を取ります」
これくらいのこと乗り越えられなくてどうする。
私はトマスティオの目を見返した。
シーラは緊迫する空気の中、乾いた音をさせて扉を閉めた。
「やっと二人になれたね。学園祭、知らない間にいなくなっちゃうんだもん」
トマスティオは立ち上がると扉の前までゆっくり歩いた。
そしてガチャリと鍵を閉めた。その鈍い金属音に鳥肌が立つ。
私はソファーに座ったままぎゅっと拳を握った。
「私にご用だったのならそう仰ればよかったのでは?」
「あぁ、それもそうか」
ポンと手を叩いたそのわざとらしい反応に心臓がバクバクする。彼の目的が読めない。
「人払いをしてまで話さねばならぬこととは何ですか?」
「そう怖い顔をしないでよ。俺、これでもリシリアを口説きにきたんだから」
嗜虐的な笑みを浮かべながら言うと、その足は遠慮なく私に近付いた。
「私に触れるな」
「虚勢を張れるのも今のうちだよ?」
獣のような目をした男は私の座るソファーに片膝を乗せた。
そして両手を背もたれにつくと、私は完全にトマスティオの腕の中から逃れられなくなった。
「退きなさい」
「俺、上手いよ?」
トマスティオの手が私の頬を撫でるように滑った。
私はその手を払いのける。
「無礼者」
「ねぇリシリア。一緒にエーコットに来てよ。不自由な暮らしはさせないし、大事にするよ?」
「このように非礼を働くことが大事にするということですか」
「こういうことから始まる恋愛もアリでしょう」
性懲りもなくその手が私の髪にかかる。
「私が愛するのはアルバートただ一人だけです」
トマスティオは色気を含んだ溜息をつくと、私の耳元に唇を寄せた。
「すぐに忘れさせてあげるよ」
そして耳たぶをカリっと噛んだ。
「痛っ」
「すぐによくなる」
噛んだ箇所をぺろりと舐め上げられ、背筋に震えが走る。
私は咄嗟に両腕でトマスティオの胸を押そうとしたが、その手はむなしくも掴まれ自由を奪われる。
「やめて!」
「好きだよリシリア」
「そんな嘘をっ」
「可愛いと思ってる」
アルバートに言われるのとは全然違う。
その言葉に嬉しさの欠片もなかった。
「私は嫌いですっ」
「そういう女をねじ伏せるのが快感なんじゃない」
「っ!」
「うん、その顔、ぞくぞくする。やばい、本気になりそう」
「誰かっ」
「使用人を外に出したのはリシリアだよ? わかってる?」
トマスティオは口を開けて私の首筋に噛みついた。
「んんっ!」
「あれ、こういうことするの初めて? 何だ、殿下とは恋仲だと思ってたけど、そうでもないのか」
「こんなことをして、許されると思ってるの!?」
「その強がりは男の欲情をそそるだけだってまだわからない?」
どこまでも嬉しそうな笑みを浮かべるトマスティオに寒気がする。
「アルバート!」
「いいねぇ。俺の下で他の男の名前を呼ぶなんて、健気で燃えるよ」
トマスティオの唇が鎖骨に落ちる。
その時物凄い音がして扉が倒れた。
「リシリアを離せ」
剣を抜いたアルバートが鬼の形相でそこに立っていた。