反省会
アンジュはタオルと着替えだけ借りると言った。
何度もお風呂をすすめたが、頑なに「うん」とは言わなかった。
濡れた髪と身体をさっと拭くと、私の目の前で服を脱ぎ始める。
「私、席を外すわ」
「いいですよ。すぐですから」
「で、でも」
「私から離れないでください」
「……はい」
アンジュはいつからこんなことを言うようになったのでしょう。
少しドキドキしてしまいます。
「はい、オッケーです。目なんて瞑らなくてもよかったのに」
「だって、着替え中だし」
「一緒にお風呂入った仲じゃないですか~」
確かにそれはそうなんだけど。
私のトレ着に身を包んだアンジュは持って来ていたアルミの箱をごそごそと開けた。
「急いで来たので厨房にあるものだけ持ってきたんですが、パンとミルクと果物で足りますか?」
食事か。
黒い雨雲のせいで外が暗いけれど、そろそろ昼時だ。
でも食欲はない。
「アンジュが食べて。あまりお腹減ってなくて」
「あ、干し芋もありますよ」
「干し芋?」
「今、騎士団専攻で空前の大ブームなんです」
アンジュはお日様みたいな笑顔で笑った。
そこだけ陽が落ちたような、パッとした明るさが灯る。
私の固まった心が一瞬緩んだ気がした。
私たちは干し芋とミルクをテーブルに用意して、ソファーに身体を沈めた。
お泊り会の時のマカロンタワーとは程遠いけれど、これはこれで好きかも。
「最近アンジュに頼ってばっかりね」
「もしそうだとしたら、頼れるアンジュにしたのはリシリア様ですよ」
「そんなこと――」
「大アリです」
私たちは顔を見合わせて笑った。
思い返してみると、修学旅行から帰ってからずっとこんな時間を過ごせていなかった気がする。
期末考査や夏季休暇中の仕事でいっぱいいっぱいになって、それにも気付かなくて。
窮屈な毎日の中、ノアとの気安い会話に楽しみを見出していたのかもしれない。
お茶を出す時にするノアとの何気ない会話は息抜きになっていた。
ノアの部屋でだって、本来ならノアが来た時点で出ればよかった。だけどのんびりと紅茶の棚を眺めてノアを待ってしまった。
「私、ノアを逃げ場にしていたのかもしれない」
そんなつもりなかったけど、実際にやっていることはそうだ。
「うーん。幼馴染みと話すのが楽しいなんて、別に普通ですよ。ただ相手が異性で、しかもリシリア様に片想いしてた男っていうのがアレだっただけで」
アンジュは干し芋を私の口に突っ込んだ。
ただでさえ乾いた口が、さらにパサパサとする。
「リシリア様は甘えるのが下手ですね」
「甘えるってどうやるの?」
「殿下に言えば良かったんじゃないですか? 寂しい、かまって、私を見て、って」
アンジュの大きな瞳が私を捉える。
アンジュみたいに可愛い子にそんなこと言われたら、きっと頷いてしまうんだろうな。
「アルバートは国のために忙しくしているのに、これ以上負担を増やすなんて出来ないわ」
それに比べて私はどこまでも可愛げがない。
「それで知らないうちにストレス溜めて、頑張ってる気になって空回って、こんな風に泣いてたら殿下も心配しますよ」
「呆れられたかもしれないわ。愛想をつかされたかも」
口の中はカラカラだといのに、まだ目に浮かぶ水分は体に残されていた。
「それも思い込みです。ちゃんと向き合って聞いてください。私のこと好き? って」
「そ、そんなこと」
「将来結婚するんでしょ? それくらい聞いてもいいじゃないですか! 少なくとも大雨の中ずぶ濡れになって馬を走らせてきた殿下は、呆れたとかそんな顔はしてませんでしたよ!」
アンジュはぎゅっと手を握りしめながら言った。
アルバートの相手に相応しいのは本当はアンジュだ。
可愛くて、真っ直ぐに気持ちを伝えられる、アンジュの素直さが羨ましい。
ヒロインであるアンジュの相手を奪っておいて、私は何をしているんだろう。
また自責の念に襲われる。
「ねぇアンジュ」
「はい?」
「もしアルバートの相手がアンジュだったら、って考えたことない?」
「えぇ? 今更そんなこと言います? 怒っていいですか?」
「……ごめんなさい」
「私、リシリア様が好きです。だから殿下のことは、リシリア様の好きな人としてしか見てないです。そりゃ良い人だとは思いますよ? でもそれは、大好きなリシリア様を任せられるという意味での信頼です」
「そう」
「相当落ち込んでますね。ネガティブ思考に陥ってますよ」
「あぁ~そうかも~」
私は思わず手で顔を覆った。
アンジュがポンポンと私の背中を叩く。
「殿下が私を呼びに来た理由がよくわかります」
「理由?」
「一人だったらあることないこと全部マイナスに考えてたでしょう」
「確かに」
「リシリア様は何でもかんでも一人で抱えすぎなんですよ」
「私がやってることなんて大したことないわ。アルバートの方がもっと大変なのに――」
「ほらまた過小評価する。知りませんけど、リシリア様ならよくやっていたはずですよ。リシリア様を評価してくださった方々がたくさんいるはずです。大したことないなんて言ったら失礼ですよ」
返す言葉もない。
先生も、ザラ様も、私を確かに評価してくださった。
それを自ら無下にするなんて許されない。
「まぁ、そういう人間臭いところも含めて大好きですけどね」
「アンジュ……」
萎れかかった自己肯定感にアンジュは水をたっぷりかけてくれる。
「うん、もうこれは寝てしまいましょう」
「え?」
「こういう時は起きててもいいことないんです。ほら、寝台行きますよ!」
私はアンジュに手を引かれる。
柔らかかったアンジュの手は、何だか皮が厚くなって少しごつごつしていた。
「でも、まだ昼よ?」
「お昼寝すればいいでしょう」
アンジュは私の身体をポンとベッドに押した。
「お昼寝……」
そんな選択肢なかったな。
「眠るまで歌ってあげます」
「ふふ、子どもじゃないんだから」
アンジュはきれいな声で旋律を奏でた。
アンジュの歌を聞くのは去年の学園祭以来かも。楽しかったな。
そんな幸せな気持ちに浸っていると、急に睡魔が襲ってきた。
朝はアルバートのところへ行って、夜は遅くまで自分の勉強をしていたもんな。
疲れていたのかもしれない。
まぶたがだんだん重くなって、そのまま意識が遠のいた。