朝の仕度はドキドキが止まらない
夏休みが始まった。
夏の朝特有の、しんとした気配。
きっと1時間もすれば蝉があちこちで鳴き始め、人が起き出し、気温がぐんぐん上がる。
そのほんの少し前の静けさが私は好きだ。
私は預かっている合鍵を使い、アルバートの部屋に入る。
分厚いカーテンのせいで室内はまだ暗い。
私は前室から執務机のある居室を通り、アルバートの寝所へ向かう。
金髪の王子は枕を抱え込むように、横向きになって眠っていた。
そのまま童話になりそうなくらいキレイな寝顔だ。
「アルバート、朝ですよ」
私は驚かさないよう小さめの声で言った。
しかしぴくりともしない。
「起きてください」
そっと手をアルバートの肩に乗せ、軽くゆすってみる。
「ん、あぁ」
瞼が開くと青い瞳が気だるげにこちらを見つめた。
「おはようございます」
「リシリアか」
アルバートは左手を伸ばすと私の髪に触れた。
「はい。今日から1か月、よろしくお願いいたします」
「違うだろ」
「え?」
「起こし方が違う」
そう言うと、アルバートはまた目を閉じてしまった。
「アルバート!?」
「起こし方は伝えたはずだ。キスするまで起きん」
「起きているではありませんか!」
「……」
「ちょっと! 聞いてるでしょう!?」
「……」
質の悪い狸寝入りですね。
朝からキスなんて無理ですよ。しかも私からなんて。
「アルバートは毎朝使用人にキスをさせるのですか」
私は少しむくれて言った。
「お前は使用人としているんじゃないだろう」
目をつむったままアルバートは言った。
よく見ると睫毛が長い。
「屁理屈はいいのです」
私がそう言うと、アルバートはパチッと目を開けた。
よかった。
そう思った瞬間、私はぐっと腕を引かれベッドの上に組み敷かれた。
「お前は私の将来の妻としてここにいるのだろう? 妻の役目を果たしてもらおうか?」
「ア、アルバート! 朝ですよ! やめてください!」
「ほう、夜にたっぷりが妻殿のご希望か」
「ちがっ!」
私は恥ずかしくて思わず顔を背ける。
アルバートは可笑しそうに笑うと、私の頬にキスをした。
「今日はこれで許してやろう」
「もう、どいてください。ノアが来る前に準備を済ませますよ」
「リシリア」
「何です」
「ベッドの中で他の男の名前を呼ぶなんて、仕置きが必要だな」
「!!」
いやそれ不可抗力!!
というか、朝からお戯れをしている貴方のせいですよ!
もう顔が熱くてたまりません。
「目が覚めた。仕度をするか」
切り替え早いですね。
アルバートはベッドを下りるとあくびを一つした。
いつも隙のない王子の、隙だらけの姿。
思いがけず胸がときめいてしまう。
私もベッドを下り、スカートの裾を直す。
「お着替えお出ししますね」
「あぁ、頼む」
私はクローゼットから糊のきいたシャツを取り出す。
それからプレス済みのスラックスに――。
着替えを一抱えにしてアルバートの方に振り返る。
「これでよろしいですか? って、えぇっ!?」
「何だ」
「何で脱いでるんですか!」
「着替えるのだから脱ぐだろう」
「は、早い!」
半裸のアルバート。
引き締まった体に男性らしい胸板。
腕にはしっかり筋肉がついていて、服を着ている時と全然印象が違います。
というか、今まであの腕で、あの胸の中に抱きしめられていたのかと思うと動悸が止まりません。
「今のうちに見慣れておけ」
「こ、ここに! 置いておきますから!」
私は着替えをベッド脇のテーブルに乗せると慌てて寝所を出た。
「おい、着替えは手伝わないのか」
寝所から声がする。
「ふ、服くらい自分で着られるでしょう!」
私は声を張って返事をし、ハァハァと肩で息をする。
無理無理無理。 朝から目の毒だ。
私は大きな執務机に手をついて深呼吸をした。
落ち着け、これもザラ様から賜った大切な私の仕事。
そう、仕事。夏期講習のようなものだと思えばいい。
「リシリア」
背後にアルバートの気配がした。
着替えが終わったのだろう。
私は飛んでいきそうな平常心を無理やり引き寄せて笑顔を作る。
そして姿勢を伸ばして振り返る。
「すぐに朝食を運ばせ――」
「ボタンをつけてくれ」
「キャー!!」
素肌に白いシャツ。
そしてボタンは全部開いている。
「お、おい!」
卒倒しそうになる私をアルバートは抱き留めた。
私の顔がアルバートの素肌にぴったりとくっつく。
「むりかもしれない……」
どんなに厳しい王妃教育よりも、こちらの方がよっぽど難易度が高いと思った。