第二話 『辺境都市アーク』
「しっかしこの町も随分大きくなったよな-」
出勤と通学で人の溢れるモノレールのホーム。電車を待ちながらデルタがふとそんなことを言った。
「まあ五年前は辺境のど田舎だった訳だし、確かにアークは大きくなったよね。モノレールができるなんて考えてもみなかったよ」
「それもこれも全部ダンジョンのおかげって訳だ」
「気に入らない?」
カインに背を向けるデルタの表情は分からない。でも、多分笑顔ではないだろう。
「そりゃあ、まあな。あのダンジョンの下にある犠牲は大きすぎる。姉ちゃんをあのダンジョンに奪われたんだから」
モノレールがホームの中に入ってくる。ドアの前に並ぼうと人々が動き出す中、デルタとカインだけは動かなかった。
「カインだってそうだろ? カインだって魔獣に家族を――」
デルタがカインの方へ振り返る。その表情は、やはり険しかった。だからこそ、カインは微笑みを浮かべた。
「僕の事はいいんだ。その話はもう何度も繰り返しただろ? それに、死んだ人は蘇らない」
「……ごめん。また蒸し返しちまった」
「いいんだ。僕の家族は死んでしまった。もう戻らない。でも、ベータさん、君のお姉さんは違う。まだ生きている。ダンジョンの奥底で。だから君はダンジョンに挑むんだろう? デルタ」
「そうだ。この時計の針が示す先に姉ちゃんは生きている」
デルタは左手首の腕時計を掲げてみせる。その時計の長針は今の時刻とは明らかに異なる数字を指していた。
「だから俺はダンジョンを攻略する。だけど……、だけど俺一人だけじゃできない。たどり着けない」
顔を伏せ、強く、強く、拳を握る。だけど、そこに込められた思いが無念で無いことをカインは知っている。
「力を貸してくれ、カイン。お前の力が俺には必要なんだ」
「もちろんだよ。そのために僕は今日、君の隣にいるんだから」
顔を上げたデルタの表情は、いつもの明るい笑顔に戻っていた。
二カっと笑い、握ったままの拳を上げる。
「頼んだぜ、相棒!」
「もちろんさ」
カインも自分の拳を掲げ、勢いよくデルタの拳と突き合わせた。
「……ところでさ」
「どうした?」
「もう電車出ちゃいそうなんだけど」
ホームに出発のチャイムが鳴り響く。
「やばい! あれを逃したら遅刻だ! ほらカイン、走るぞ!」
「まったく、デルタが変な話始めるからだよ」
「もとはと言えばお前が寝坊したからだろ!」
走り出したモノレール。中は通勤ということもあり、そこそこ人が入っているが、窮屈と言うほどではない。ドアの窓からは町の大部分が見渡せる。
半径十キロほどの円形に整えられた都市。それが辺境都市アークだ。このモノレールは東西南北を十字につなぐ線と半径五キロの小さな円を描くような形で引かれている。
東が居住地区、北が商業地区、南が行政地区、そして西が二人の目的地である学園地区といったように分かれている。二人の住んでいたデュアル家の屋敷は南東の端だ。
北から東にかけては平原地帯が隣国の―――の領土まで続いている。一方で西から南にかけては広がるのが、デュアルの森と呼ばれる深い森だ。そしてこの森の中にあるのがバースノア皇国に三つ存在するダンジョンの一つ、ダンジョン・アークである。
ダンジョン。それは現在に至るまで多くの謎が残る特殊な空間である。ダンジョンは自然のままの洞窟であったり数千年前の古代遺跡であったりするが、いずれも内部は高濃度の魔力が満ちており、魔獣や魔法生物が際限なく発生する。
魔獣達からとれる様々な素材や魔力を蓄えた魔鉱石などは人工的な製造が困難なため、希少な素材として高額で取引される。故に国家は自国のダンジョン開発に力を注ぎ、ダンジョンのある町は発展する。
この町――アークは以前はこれと言った特徴の無い、辺境の町であった。都市の広さも人口も、今の五分の一にも満たない小さな町だった。だが、五年前、ダンジョンができてから、この町は急速に発展を遂げた。多大な犠牲と共に。
五年前のちょうど今頃、サクラが咲き始める頃に事件は起きた。ある日突然、町の西側、デュアルの森と呼ばれる深い森から魔獣の群れが町になだれ込んできたのだ。デュアルの森は狼や猪などの野生動物こそ生息するが、魔獣が確認されたことはそれまでほとんど無かった。
魔獣とは濃密な魔力に晒されて変質した動物たちの事だ。魔力を糧に動く彼らは多くの場合凶暴化し、他の生物より魔力保持量が多い人間を狙うようになる。
町は当然パニックに陥り、逃げ惑う人々に魔獣が襲いかかる地獄絵図と化した。このとき事件解決に尽力したのがファルス・デュアル率いるデュアル家である。ファルスはアークの知事であり、皇国の筆頭騎士でもある。そして彼を当主に頂くデュアル家は代々筆頭騎士、筆頭魔術師を輩出する名家であり、皇国軍全てを束ねてもデュアルの屋敷は落とせないとさえ噂される。
そんな彼らの奮闘により、なんとか市中の魔獣の殲滅、後続の食い止めに成功した。しかし、被害は大きかった。
ほとんどの建物は焼け、住民の三分の一以上が亡くなった。カインもこの事件で両親と妹を失った。
そして、デュアルも無傷ではすまなかった。長女のベータ・デュアル、彼女は魔法の天才であり、次期筆頭魔術師の座は確実とも言われていた。しかし、魔獣の発生源を突き止めるために森に向かった彼女はそこで消息を絶った。
それから魔獣の発生はぱたりと止み、森の中にダンジョンの入り口が生まれているのが発見された。おそらくベータが何とかして魔獣を止めたのだろうが、そのときにベータに何があったのかは未だに分かっていない。
ベータは死亡したと認定された。しかし、家族は、デルタはそれを認めなかった。登録された魔力を感知して指し示す腕時計――それは奇しくもベータの作ったものであったが――その時計の針はダンジョンの方角を示したのだ。
死んだ人間は魔力を生まない。つまり、ベータは生きているということだ。
その事が分かった時から、デルタは必死で鍛錬を積み始めた。ベータをダンジョンから救い出すために。
町の全壊と住民の三分の一という甚大な被害を受けたアークは、しかしダンジョンから得られる利益と国の補助によって瞬く間に復興を遂げ、それどころか以前の何倍も大きな地方都市へと成長したのだった。今や以前の田舎町の雰囲気はどこにもなく、未来都市といった趣すら感じさせる。
それでもやはり、あの日の事は忘れられない。死んだ人間は生き返らない。飲み込んだつもりでいても、その事実は心にのしかかる。カインとて、家族を失った被害者の一人なのだから。
あの時自分に力が有れば、そう思った事は一度もない。むしろ力なんてない方が良いと思っていた。
カインには力があった。魔獣の猛攻から生き延びれる程度には強力な力が。しかしその力は、家族を守れる程度には強くなかった。
中途半端な力のせいで、自分だけが生き残った。その事実に耐えられなかった。
あの時死んでおけばと何度も思った。実際に死のうとしたことだって何回かあった。
でも、その全てをデルタに阻まれた。いつだってデルタは自分が必要だと言ってくれた。
――だから僕は、君のためだけに力を使う。僕が生きる理由は、それだけで十分だ。