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第一話 『親心』

 世界は不条理に満ちている。生まれる環境は選べないし、才能は一部の人間にしか与えられない。事件や事故に巻き込まれて死ぬなんてよくある話だ。

 不条理だけが万物に対して平等だ。誰に起きるか分からないが、誰にだって起こりうる。

 では、もし不条理に抗う力が望む者全てに平等に与えられるとしたら。

 その世界はきっと――


――酷くつまらないだろう


――――――――――――――――――――――――――――――――― 


「……ン、……イン!」


「んん……、だめだよデルタ……それは食べ物じゃないって……あはは……」


「カイン!」


 バサリという音とともに心地よい温もりが消え失せる。代わりに吹き込んできた少し肌寒い風に心臓が鼓動を早め、意識を闇の奥から急速に浮上させる。


 薄く目を開けると透き通った赤い瞳がこちらをのぞき込んでいた。心なしか少しあきれたような顔をしている。


「やあ。おはよう、デルタ」


 まだ眠い目をこすり、少年――カインはベッドから身を起こし、


「あだっ」


 強かに頭を天井にぶつけた。正確には二段ベッドの上段の床である。何度ぶつけてもこの痛みは頭に響く。

 それを見てますます赤目の少年――デルタのあきれ顔が深まった。


「寝ぼけすぎ。ほら、さっさと出てきて支度しろよ。もう朝食の準備はできてるぞ」


 カインから奪い取った掛け布団をベッドの上に戻しつつ、デルタはカインをせかした。


「あれ? でも今日って日曜日だよね。まだ朝ご飯は早くない?」


我が家の朝食は平日なら七時、土日は八時だ。だが枕元の時計はまだ六時半を指していた。ベッドからのそのそと這い出ながらそう尋ねると、デルタは盛大なため息をついた。


「おい、さすがに寝ぼけすぎだろ。今日は俺たちの入学式だぜ。まさか忘れたなんて言うなよ?」


「いや、もちろん覚えていたとも」


 忘れていた。今デルタに言われて思い出したが何も言うまい。ポーカーフェイスである。

 よく見るとデルタはすでに学院の制服を身につけていた。彼の髪の色と同じ赤い制服は、野性味のあるデルタによく似合っている。


「本当かあ? まあいいや。俺は先に食堂に行くからカインも身支度済ませてさっさと来いよ」



 幸いそれ以上追求されることはなく、デルタは赤い髪を揺らしながら部屋から出て行った。


一人残されたカインはまだズキズキと痛む頭をさすりながらクローゼットの扉を開けた。

そこに掛かっていた、真新しく、シミもほつれもない制服を手早く身にまとっていく。


最後にブレザータイプの上着を羽織り、姿見の前に立つ。


「やっぱり僕にはあんまり似合わないな」


 普通科の灰色の制服はカインの黒髪と組み合わせるとどうしても地味だ。デルタみたく赤毛ならもう少し映えるのに。それか魔法科の紺色の制服も良かったな。そんなことを考えながら寝癖を手櫛で適当に直す。


 部屋を出て、階段を降り食堂へ向かう。食堂の扉を開けるとパンの焼ける香りとコーヒーの仄かに苦い香りが鼻に抜けた。


 窓の外から暖かな春の日差しが差し込み、天井のシャンデリアがそれを反射してキラキラと輝く。

 部屋の中央には十人掛けの長いテーブルが一つ。そのうちの三つの席がすでに埋まっていた。一つは一番手前の席でベーコンを頬張るデルタ。そして一番奥の上座で新聞を広げる男性とその一つ手前に座っている女性。


「おはよう、ファルスさん、マイカさん」


 デルタの両親にしてデュアル家の現当主とその妻、同時にカインの養父母でもあるファルス・デュアルとマイカ・デュアルだ。


「おはようカイン。あら、似合ってるじゃない制服。ちょっと大人っぽく見えるわよ」


「そうかな、あんまり僕の髪とこの制服は合わないと思うんだけど」


「そんなこと無いわ。確かにこの国じゃ黒髪はそんなに多くないけれど、とてもよく似合っていると思うわよ。私の国でも結構そういう色合いの制服は多かったしね」


 そう言ってマイカは自分の長い黒髪を持ち上げて見せた。東洋の国を祖国に持つマイカは艶やかな黒髪を持っている。魔力適正によって髪の色が変わる西大陸の人と違い、マイカの国ではほとんどの人が黒髪なのだそうだ。


「ねえ、あなたもそう思うでしょ?」


 マイカがニコニコしながらファルスに問いかける。

 ファルスは新聞から目を離してちらりとカインに目をやり、


「……ああ、そうだな」


 それだけ言ってすぐに新聞に目を戻した。基本的に寡黙で無表情な人物であり、カインはファルスが笑っているところを見たことがほとんど無い。


「さ、入学式に遅れないように早く食べて食べて。家が近いからって油断してると遅れるわよ」


「はーい。いただきます」

 カインはデルタの向かいに座り、デルタに負けじと食パンを口に放り込んだ。



「「ごちそうさまでした!」」


「デルタ、カイン。待つんだ」


 朝食を終え、カインとデルタが席を立とうとしたそのとき、ファルスが二人を呼び止めた。


「まだ少し時間に余裕があるだろう。二人には言っておきたいことがある」


ファルスの表情はいつにもまして真剣だった。自然と二人の背筋が伸びる。


「今日からお前達は学院に入学するわけだが、この国では高等学院生にはダンジョン探索の資格試験を受ける権利が与えられる。お前達の実力なら資格を得ることは容易だろう。……資格を得るだけなら、な。だが、お前達は決して強くない。そしてダンジョンの最奥は遠い」


 鋭い眼光がカインとデルタを突き刺す。試されている、なぜかカインはそう感じた。


「でも、俺はいかなきゃいけない。俺が姉ちゃんを助けなきゃいけないんだ」


 デルタはまっすぐにファルスを見つめ返し、即答した。カインもまた、気後れすることなく頷く。


「……そうか。だがその道は五年前、私とアルファが諦めた道だ。お前に、このデュアル家で最も弱いお前に、その道を通る覚悟はあるのか、デルタ」


「そのためにこの五年、血の滲むような鍛錬をつんできたんだ。それに、俺は一人じゃない。カインが俺を助けてくれる」


 デルタはこちらに一瞥もくれずにそう言った。それが自分に対する最大の信頼であるとカインは知っていた。


「……いいだろう。好きにすると良い。だが、いつもカインと二人でいられるわけではない。ダンジョンに入れば、一人で戦わなくてはならないときが必ず来る。願いを忘れるな。必ず生き抜く覚悟を持て」


「ああ」


 デルタは力強く頷いた。

「……カイン」

 

視線がカインへ向いた。


「お前が家に来てから五年、私とマイカは親代わりとしてお前が失ったものをできる限り埋めてやろうとした。実際、今のお前は五年前よりいい顔になった。だが、まだお前は大事なものが欠落している」


 ファルスの碧い瞳は深い優しさと悲しみをたたえているようだった。


「私たちにはそれをお前に与えてやることはできなかった。だが、きっとそれは学院とダンジョンの中にある。今はそれが何か分からなくともいい。私はお前がそれを取り戻す事を心から願っている」


「……はい」


 欠落しているとはっきり言われたのに不思議と傷つかない。ファルスは真剣にカインのことを思って言ってくれている。それを理解しているからカインはファルスの言葉を素直に受け取ることができた。


「それから……、デルタを頼んだ」


「はい。任せてください」


 ふっとファルスが息を吐き、張り詰めていた部屋の空気が和らぐ。


「行ってこい」


「「いってきます!」」


 期待と決意を胸に、二人はデュアル家の屋敷をあとにした。


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