薄氷の上で躍る王子
筆が遅く申し訳ありません…。まだ全く全容が見えない状態ではありますが、短編【私はいらない婚約者】の前の時間軸の第三王子視点になります。
「もう、だいじょーぶ?」
人混みの中、聞こえた舌ったらずな女の子の声に惹きつけられて、振り返る。
小さな少年の前に立って手を差し伸べていた少女は安心したように、ふわり、と笑った。
「じゃあね!」
そのまま黒い髪をひるがえし、母親だろう女性の方にかけて行くー、それを引き止めようと声をかけようとして。
…ま、……様………!
「ユリウス様!」
耳音でした大きな声に驚いて体を起こす。
目の前にいるのは王国の覚醒世界研究の名誉教授であるオーガスト・バルドだった。
時計をみて、自分が下敷きにしていた教材をみて、講義中に自分が居眠りをしてしまったのだと気がつく。
「申し訳ない!バルド教授。お忙しいところ来ていただいているにもかかわらず、寝てしまうとは。」
「いえいえ、ユリウス様もお疲れでしょう。先日の公務が終わってすぐでしたし、無理もありません。」
「そういってもらえると助かる。…講義の続きをお願いしてもいいか?」
「はい、勿論ですとも。では、こちらのノートに記載されている大陸の歴史の原点についてです。」
「よろしく頼む。」
「ユリウス様もご存じとは思いますが、大陸史は今からさかのぼること500年前が始まりとなります。当時は荒れ果てた大地とごくわずかな人しか存在しておらず、その中でまだ使える土地に人を集め、国を作ったのが初代モルゲンデンメルング国王ザカリー・モルゲンデンメルング国王陛下でした。彼は、竜王の紋章の瞳を持つ伴侶とともに、神聖世界からの神託をうけ、この覚醒世界の理を民に説きました。説いた理とは、現在にも伝えられている、世界3元の法則―「幽玄世界」、「覚醒世界」、「神聖世界」の3つを持って世界が成り立つこと。幽玄世界で王族になる魂が選び、神聖世界の神々が加護を与えられた伴侶とその加護を持つ相手と王族が結ばれると変化する加護の紋章の格付けのこと。紋章のランクは高い方から鳳凰、竜王、狼王、虎王、亀王となること。補足としては現在までで最も強い紋章を持っていたのはモルゲンデンメルング初代国王の伴侶のみでした。基本は虎王の紋章が多く、今現在で最も高い紋章はモルゲンデンメルング現国王妃様の狼王の紋章ですね。―と少し脱線しましたが、それから250年後の大陸史250年のとき、モルゲンデンメルングの貴族として大陸の開発を行っていたミスティア家、レイアレン家、アラウンド家、モイスタージュ家、ポートフォリオ家の紋章を持った伴侶が誕生しました。この時、神託がおり、その5家は独立することとなりました。」
説明しようとして壁に貼られている大陸史250年時点での地図の中央にあるモルゲンデンメルングから見て北西、北東、南西、南東、東と順番にバルト教授が指し示しながら説明を続ける。
「まず、モルゲンデンメルング王国北西にありますのが、ミスティア王国です。当時は最も小さい領地ではありましたが、土壌がよく開発が最も進んでいたため、現在モルゲンデンメルングに次ぐ強国となっています。主に有名なのは穀物ですね。当時現れた加護の紋章は狼王のものだったといわれております。次にモルゲンデンメルング王国北東にあります、レイアレン王国は当時一番大きい領地でしたが、鉱石が豊富な土地であったため、宝石が特産です。そのため、加工技術が最も進歩しており、商人が集まる国でもあります。当時現れた加護の紋章は虎王と記録に残っております。モルゲンデンメルング南西に位置しておりますのはアラウンド王国でこちらは当時二番目に大きい領地で海に面している為海産物が特色です。造船技術がとても高く、長期間漁に出ても問題がないようにするために保存食の起源はこの国にあります。当時現れた加護の紋章は狼王とのことです。モルゲンデンメルング南東にはモイスタージュ王国があり、こちらもまた海に面している国ではありますが、アラウンド王国との漁獲権での利権で負けた影響もありあまり漁業は進歩していません。当時現れた加護の紋章も亀王であったため立場も弱かったようです。そして最後はモルゲンデンメルング東に位置します我が国、ポートフォリオ王国です。自国の歴史などはすでに学習は終わっていると思いますので、当時現れた加護の紋章についてだけ述べますと亀王の紋章でした。」
地図に追記されていく紋章の種類に、今回のバルト教授の講義の意図が透けて見える。
現国王陛下である父上や周りの宰相が、我が国の紋章を左目に持ち、右目に3の数字を持つ令嬢を伴侶として認めていないことを非難しているのだからこそ、何か誤認があるのであれば解消させようという意図だろう。
「とても分かりやすい説明ありがとうございます。バルト教授、お願いがあるのですが、よろしいでしょうか。」
「はい。」
何を聞かれるのかわかっているのだろう雰囲気のバルト教授の目を見て、自身の仮定が正しいことを確認するために続ける。
「教授の研究は主に大陸史の中でも紋章をもつ伴侶にかかわるものだと聞いています。教授の理論上、研究上、過去にこれらのケースは存在していましたか?」
そして聞いた内容に、教授が大きく目を見開いた。
王宮の廊下を歩いていると反対側から黒髪赤目の少女が歩いてきた。
リリーア公爵令嬢だ。モンテカルロ公爵家の三女になる。
「ごきげんよう、ユリウス様。」
「リリーア嬢か。本日はどうしたんだ?」
黒髪のリリーア嬢は5歳年下でよく王宮に顔を出すのもあって、妹みたいな存在である。
自分の胸くらいの身長の彼女は小柄でかわいらしい。
「本日は庭園に招待されましたの。」
「庭園、というとアリーシア様のお茶会か。確か午後からだったと思うがずいぶん早くに来たんだな。」
「はい!ユリウス様にお会いできるかもしれないと思いまして!」
「そうか。私もリリーア嬢に会えてうれしい。君のようなかわいい妹がいたら、とよく思っているよ。」
本当にうれしそうに頬を赤らめて、話す彼女のドレスは淡い桃色で、華やかである。
セイル兄上の伴侶のお茶会ということは、会場は西のバラ園なのだろう。
本来だったらリリーア嬢ではなくその姉が招待されるはずだったのだろうが、彼女の家の状態からして仕方ないのかもしれない。モンテカルロ家の当主がリリーアを冷遇しているというのは有名だ。
従妹にあたる彼女の立場を少しでも良くしようとしているのは聞いている。
伴侶、か。
『ユリウス様のご推察の通り、過去に生まれた伴侶と王族が年齢が異なるケースは一つもありません。』
ふと先ほどのバルト教授の言葉が脳裏に響く。
今いる王族とその伴侶、すべてがそうだったからこそ、その可能性があると思った。
もし、否定してくれていたとしても、そもそも。
『…ユリウス様がお気にされるのもわかります。オフィーリア様にはその瞳以外の伴侶としての特徴がございません。…記憶をお持ちであるご様子も見受けられませんでした。…ですが、生まれたときから存在する、瞳には嘘がつけません。何かしら彼の理由があるはずなのです。私どもではまだ知りえない、理由が。…ですから、もう少し、彼の方に歩み寄ってみてはいかがでしょう。』
心配している眼差し、本当に気を使ってくれているのだろうとわかる。
でも、それも父上や兄上が気を使っているのだろうこともわかっている。
ふと、視界の端に、揺れる白銀が入り込む。
つられて視線が動いて、その姿を映す。
腰まである白銀の髪が風に揺れる、その透き通る碧瞳はどこか遠くを見ていて、きつく何かをこらえるように真一文字に引き結ばれた薄い桜色の唇の色の白い少女は、社交界の白百合と言われた母親にそっくりでとても美しかった。
『兄上たちは、紋章持ちの伴侶が本当に幽玄世界からの伴侶とどうやって判断したのですか?』
『それはね、ユリウス。一目見て、幽玄世界で愛した人だと、わかるんだ。姿かたちが同じで、なにより、心がそう叫ぶんだ、愛しい、と。』
ああ、わかるよ。一目見た瞬間に、愛しいと思うんだ。
愛しいと、思うのに、どうして。
君は、幽玄世界での初恋の彼女とまったく異なる姿をしているんだ。
―例外はあってはならない―
頭の中に浮かぶ誰かの声がぎりぎりと頭を締め付ける。
―君が彼女と結ばれた時、真の意味での例外の条件が満たされ、呪われるだろう―
ああ、痛い。苦しい。
―誰が、一番苦しむのだろうね?―
苦しむ…。それは。
―それでも君は、彼女を手に入れたいのかい―
ああ、どうして。それならば彼女は俺の伴侶の証を持っているのですか、――様。