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ヨルムンガンド・サガ  作者: 椎名猛
序章 平和
9/59

9 - 風を操りし者たち⑥

革のテントを張り終え、燃え盛る焚き火の上においた鍋の周りを囲う。


冷えた体に火の熱気、鍋から上る湯気、そして濃厚なバターの香り…。

シルフ隊長が振る舞ってくれたのはバターでできたペミカンだ。

本来は獣脂で具材を固めるが、癖が強いからあえてバターにしたのだろう。

火にかければ炒められた肉、野菜が溶け込んだ上等なシチューだ、高カロリーで申し分ない。

こいつに乾パンを浸して頬張れば最高だ。


口の端からよだれを垂らすアレッサが早く食べたいとスプーンで木皿を叩く、行儀が悪いからやめろ!



「小麦粉が少し玉になっているので、ちょっとお待ち下さい」


「まさか、ペミカンがこんなに楽しみなるなんてぇ~、さすがです! シルフ隊長」


「食事は戦闘において最も大切な時間なのです。士気を高め、英気を養い、そしてぐっすり眠るためにね。

 難しい状況のときこそ良い食事を、これも私からの教えです、ふふ」



小皿にとって味見をしながら、アレッサにシルフ隊長は笑顔でそういった。

料理をしている姿は軍服を着た少年だが、なぜか台所に立つお袋の姿が思い浮かんだ。

部隊結成から一度も実家に帰っていない、二人とも元気だろうか。


ふと、こちらに近づいてくる人の気配を感じ取った。

目だけを動かしそちらを見る。

一瞬警戒したが、近づいてくるのが子供だと気づいてそれを解いた、この村で俺たちに危害を加えようとする者がいるとは考えにくい、子供なら尚更だ。

焚き木の明かりに照らされて子供の顔が見える、俺には見覚えがあった。

この村に着いたとき、俺たちを執拗に見つめていた少女だ。

歳は十歳前後か、手に布をかぶせた盆を持ちながら、緊張の表情で俺たちの数歩手前で止まった。



「こ、こんばんわ…」


「村の娘か? 我々に構うなと長を通じて伝えたはずだが?」



俺は冷淡に少女に問う。

勘違いしないでもらいたいが、俺は別に子供嫌いというわけではない、どちらかといえば子供は好いている方だ。

だが今は軍人としてここにいる、子供相手だからと振る舞いを変えるのはよくないだろう。

俺の言葉に一層表情を固くした少女だが、何を思ったか盆に掛けた布を取ってこちらに差し出してきた。

独特の匂い、ホールの4分の1ほどのチーズだ。



「これ…、私の家で作ったの…、山羊農家だから…。

 商人さんが全然来なくなっちゃって、このままだとダメになっちゃうから…」



俺は少女の意図を測りかねた。

普通、武装した軍人など怖くて誰も近づかないと思うが、現にこの少女も怯えているじゃないか。

食料を提供してくれる心遣いは汲むとして、ここはやはり断るべきだ。




「心遣いはありがたいが、すまんが受け取れん」


「え…、で、でも…」


「そのチーズに毒が入っているかもしれん、我々はそういうことも…」




言いかけたところで、俺の額に痛みと衝撃が走った。

痛みの走る額を抑えることもせずに正面に視線を向ける、アレッサが思い切り振りかぶった姿勢で俺を睨みつけていた。

どうやら俺に向かって木皿を投げつけてきたようだった、地面に落ちた皿がカラカラと音を立てている。



「あんたなんてこと言うのよ!! 子供に向かって!!」



怒鳴り散らしながらやつは少女に近づき胸に抱きしめた。

少女が持っていたチーズは盆ごと地面に落ちていて、土で汚れてしまっている。

俺の言葉に傷ついたのか、アレッサの剣幕に怯えたのか、おそらく俺のせいだろうが、彼女はしゃくりあげながら泣いてしまっていた。



「あんた何をそんなにピリピリしてるわけ!? そんな酷いこと言える男だとは思わなかった!!

 食べ物をもらうことぐらいで…ッ」



売り言葉に買い言葉、俺は急激に頭に血が上って立ち上がったところをヨハンとカールに抑え込まれる。

二人から落ち着くように窘められるが、怒りに任せて口を動かす。



「貴様!! 軍の行動規定を忘れているのか!! 俺たちは客ではないぞ!!」


「そんなこと分かってるわよ!! あんたよりずっと長く軍にいるんだから偉そうなこと言わないで!!

 あたしは子供の好意を踏みにじるあんたが気に入らないだけ!!」


「その子の好意だとしてもだ馬鹿者!! もし村人に無理やり食料を提供させられたとでも本国に言われたらどうする!?

 そうなったときに全責任を取らされるのはシルフ隊長だとわかっているのか!?

 俺たちは軍隊として他国の領土で活動している!! お前は何も自覚していない!!」



俺は息を吸う暇もなく一気に捲し立てた。

俺だって子供を好きで傷つけるようなサディストではない。

だが、行動と結果には責任が伴う、それを取るのが自分ではなく他の誰かということを理解していない彼女に俺は怒りが収まらない。

俺の言い分にハッとしたアレッサは悲しげに胸に抱いた少女の頭を撫で始めた。

普段ならもっと理性が効くはずなのに、収まりどころがない俺の怒りは更に彼女に投げつける言葉を探し始めたが、沈黙していたシルフ隊長が俺に視線を向けたことで押し込められる。



「エアンスト」


「……はい」


「本来ならば私が叱らなければならないところ、あなたに嫌われ役を押し付け申し訳ない」


「シルフ隊長、そんなことは……」


「自覚がない、というのはまさに私のことでしょう」



立ち上がったシルフ隊長は地面に落ちたチーズを盆に乗せ直し、アレッサと少女に歩み寄る。

彼の表情には全く怒気は感じられない、いつもと変わらない穏やかな顔でアレッサの顔を見る。



「アレッサ?」


「シルフ隊長…」


「そんなところにいると冷えますよ、その子と一緒に火に当たりましょう」


「…怒らないんですか?」


「もうエアンストで十分でしょう?

 それとも私に怒られたいですか? 私は嫌なんですが…」


「あたしも嫌です…」


「じゃあ決まりで」



少女を抱えたアレッサの背中を押して、三人は焚き火の前に座る。

俺の心境は複雑だが、シルフ隊長が受け入れたのなら何も言わないことにした。

シルフ隊長は土で汚れたチーズを水筒の水で洗い終えると、下を向いた少女に語りかける。



「お名前は?」


「…リリー」


「リリー、良い名前ですね。

 リリー、あなたがくれたこのチーズ、有り難く頂きます。

 どうやって食べるのが美味しく頂けるでしょうか?」


「…いつもパンに挟んで食べるけど、そのシチューに入れたら絶対美味しい、よく溶けるから」


「では、そうしましょうか」



シルフ隊長は取り出したナイフで細かくチーズを削って鍋に入れていく。

リリーの言う通り、チーズはすぐ溶けて山羊チーズの独特の香りがバターに交じる。

好みは分かれるだろうが、俺は好きな匂いだ、他の連中のほころぶ顔を見る限り俺と同じらしい。

溶けたチーズが肉や野菜に絡まって…、いかんな、腹が鳴る。


シルフ隊長は予備の木皿を取り出すと、最初の一杯目をパンと共にをリリーに差し出した。



「…悪いです、迷惑を掛けちゃったのに…」



彼女の悲しげな視線が俺に向く、胸にチクリとした痛みが…、これは罪悪感なのだろう。

俺はどう彼女に応えていいのか考えあぐねていると、シルフ隊長が彼女の髪を撫でた。



「あなたの行いには何の罪もありません、

 その尊い善行に、我々はとても感謝しています。

 時と場所と事情が違えば、あのようなことは起こらず、笑顔で火を囲めていただでしょう。

 やり直しませんか? 共に温かい食事を頂きましょう?」


「……うん!」



ようやく子供らしい笑顔になったリリーはシチューの入った器を膝に置き、手を組み、神への祈りを始めた。

祈りがおわれば、子供らしい仕草でシチューを頬張り、熱さ逃がすように口を開け、また笑顔になっていく。

おかげで俺の罪悪感も消えていく、リリーを見つめるアレッサは母性を感じさせる表情でその様子を見ている。



---



気づけば鍋も空。今日の分のパンも腹に収まり、美味い食事に穏やかな心が戻った。

俺はカール、ヨハンと談笑しながら、時折リリーを見る。

リリーはずっとアレッサと喋っている。女同士だから気兼ねなく話せることも多いだろう。

それにしても彼女がここに来てから随分経つ、親は心配してはいないのだろうか。

というよりも、何の目的もなく俺たちに近づいたとは思えない。

俺は思ったことを本人に聞いてみることにした。あくまで優しく。




「リリー」


「はっ、はい…」



どうやら俺の配慮は伝わらないらしい…。



「親は心配していないのか…?

 勘違いしないで欲しいが、君してくれたことには感謝しているぞ。

 だが、なぜこんなことを? 俺たちに近づく君は明らかに怖がっているように見えた」



彼女は明らかに動揺していて、視線があちこちに行ったり来たりしている。

だが、笑いかけるシルフ隊長とアレッサをみて、決心がついたのか、語り始めた。



「お父さんを…、探してほしいんです…」


「君の父上を?」



ああ、また泣きそうになっている。

アレッサが背中を擦る、しばらくの時間黙っていたが、震える唇を噛み締めて話してくれた。



「お父さんはこの村で猟師をしているんです…。

 私、お母さんが小さい頃に死んじゃってて、お父さんと二人で生活してました。

 私は山羊のお世話、お父さんは猟をして動物を獲ってきたり、お金になる薬草とかを採取したり。

 忙しくて…、ろくにおしゃべりもできない日が多くて…」



シルフ隊長が鍋の代わり火に掛けていた鋳物のポットからお湯を木製のカップに注ぐ。

甘い匂いだ、何かの茶か? 俺はカールに視線を向ける。

視線に気づいたカールが得意げに言った。




「ジュニパーベリーの実だな、心を落ち着ける効果がある。

 隊長、そのままだとちょっと渋みが強いと思いますよ」


「ええ、ですのでね」




シルフ隊長はさらに陶器製の小さな入れ物を傾ける。

とろりとしたそれは炎に照らされ黄金の光を反射する。




「あ、すごい…、蜂蜜だ…」


「南部からの輸入品で安物ですが、色々な花の香りが混じっていて美味しいですよ。

 さぁ、リリー、熱いので気をつけて。

 話はゆっくりでいいですから」




彼女は渡されたカップをゆっくりと口につける。

焚き火のそばにいるのに小刻みに震えていた肩が、ゆっくりと止まる。

カップの中にあるお茶を見つながら、話し出す。




「私、我慢できなくなって、一緒に狩りに連れて行ってほしいってお願いしたの。

 危ないからダメだって言われたけど、私、駄々をこねてあきらめなかった。

 そしたら、『お前が好きな野鳥の卵を持ってきてやる』って。

 『責任を持ってそれを育てなさい、そうしたらお前と友達になれる』って。

 私、とっても嬉しくて…、約束って指切りして…、お父さんが森に入るのを見送ったの…。

 それから…それからッ…お父さんは帰って来なくなっちゃったッ…」




リリーの頬を伝って顎先から涙の雫がぽたりぽたりとカップのお茶に落ちていった。

アレッサは取り出したハンカチで彼女の涙を拭いながら抱きしめる。

悲惨な話だ。母親はおらず父親も消える、彼女の心情を考えると気の毒でならないが…。

だが、この話のどこに俺たちとの接点があるのか、嗚咽を漏らしながら泣く彼女に問いただすのは少々心苦しいが…。

だが、問いただすまでもなく、彼女は続きを話しだした。




「それからなのッ…、化け物が出て…この村を襲いだしたのはッ…。

 村のみんなはお父さんが何かしたんだって…、私の話なんて誰も聞いてくれないッ…。

 私…、どうしたらいいのかわからないのッ…!」




悲鳴とも取れる彼女の訴えに俺は押し黙ることしかできかった。

彼女の父親が失踪した時期とグリフォン討伐の依頼時期が同じなら、もう一ヶ月以上も前の話だ、彼女の父親はまず生きていない。

この歳なら彼女もそれは分かっているだろう。




「シルフ隊長…」




アレッサがリリーを抱きしめながらシルフ隊長の名を呼ぶ。

何も言わなくてもわかる、『なんとかしていやりたい』ということだろう。

シルフ隊長は目を閉じて何かを考えている、やがてリリーに語りかける。




「リリー、あなたのお父上は恐らくもう生きてはいません」


「隊長ッ!!」


「アレッサ」




またも声を上げたアレッサをシルフ隊長が片手を突き出して嗜める。

『黙っていろ』、と彼の視線がアレッサに刺さる。


リリーは俯いたままだ、取り乱さないところを見るに、彼女自身が一番をそれを分かっているのだろう。




「リリー、私達の目的はあくまでグリフォン討伐です。

 なので、あなたのお父上の行方を探すことに全力を注ぐことはできません。

 ですが、あなたのお父上がこの件に関わっている可能性を含めて、明日は行動します。

 その結果、あなたはもっと悲しい思いをしなければならないとしても、それを受け入れられますか?」




リリーは俯いた顔を上げてシルフ隊長を見る。

澄んだ瞳に焚き木の炎が反射している、だが、俺には少女の決意のようなものをそこに見た。




「…うん」




彼女はしっかりと頷いた。





---





アレッサがリリーを送り届けて、俺達は再び焚き火を囲んだ。

シルフ隊長は食事の後片付けでその場にいない。

そんなことは俺たちに命じればいいのに、まったくあの人は…。


カールは火をつけた葉巻を咥えながら、ぼやいた。




「たくなぁ…、姉御には困ったもんだ」


「ごめん…、自分が馬鹿なのは分かってる…」


「いや別に責めてるわけじゃねーんだけど…、まぁ、女の子に泣かれちゃ断れんよなぁ、なぁヨハン?」


「僕に聞くなバカ。

 ま、あの子を助けてやりたいのは僕も同じだから、いいさ」




アレッサが俺を見る。

俺に突っかかってきたときは違って、許しを請うような…、そんな顔で見られたら何も言えんだろうが。




「シルフ隊長がいいと言ったんだ、俺に文句はない」


「…うん、ありがと…」




彼女は抱えた膝から顔を出して、微笑んだ。

俺の顔が内側から熱を帯びる、時々こいつは俺の調子を狂わせる。

俺は感情を隠すように村の入口の方向へ視線を向ける、ちょうどそこに食器を抱えたシルフ隊長が見えた。

彼に気づいたカールは慌てて葉巻の火をもみ消す、彼は食器を脇に置くと懐から懐中時計を取り出す。




「皆さん、朝も早いのでそろそろ休みましょう。最初の見張りは私が四時間。

 次はカールとヨハンが二時間、最後にエアンスト、アレッサが夜明けに全員起こすようにしましょう」


「し、シルフ隊長、何を仰るんですか、見張りなら我々が…」




この人は本当に何を言い出すんだ、俺たちは口々に抗議する。

隊の長が自ら見張りなんて聞いたことがない。

中でもアレッサはシルフ隊長に負い目があるのか、自分の順番が最後だということにも猛抗議した。

彼は俺たちを制するように両手を上げる。




「皆さん、初の実践で自分が思っている以上に摩耗しています。

 その自覚はあるでしょう?

 特にアレッサ、そしてエアンスト」




シルフ隊長は上げた両手の指を俺とアレッサに向ける。

俺もアレッサも、何も言い返せない。




「それに、何も気遣っているだけではないのです。

 この隊の目的は単独でも任務遂行ができる人間を育成することとハバ―中尉はおっしゃいました。

 つまり作戦行動に用いる人員の最小単位が極端に小さいのです。

 そのため隊員一人の欠員が致命的になります、言っている意味はわかりますね?」




シルフ隊長の指摘は理路整然として淀みがない。

これまでの訓練でもそうだが、彼は何か指導を入れるときには精神論がほぼ入らない。

魔法を使役すること、敵と戦うことには精神的安定性が絶対不可欠だ。

状況を見て、何が必要で何が不要か、どうするのがもっとも正解であるか、取捨選択の重要性を俺たちに教えてくれる。




「初の実践、初めての土地、リリーという想定外の出現、心が乱されない訳がありません。

 だから休むのです、明日への備えのため、明日の行動のために、明日の戦いのために。

 だからこの場合に序列など関係ないのです。 コンディションの良い者に負荷を分散させ、全員を最良な状態に近づけるのです

 何か異議があればお応えます」




異議…は、ない。

感情に任せて突っ走ったアレッサ、怒りを抑えられずに相手を責め立てた俺。

これまでの訓練でも些細な言い合いになることはあったが、ここまで決定的な衝突はなかった。

お互いがお互いに感情を優先させ、周りを振り回した、きっとそういうことだろう。




「自分を不甲斐なく思います、シルフ隊長」


「本当にごめんなさい、隊長…」




俺とアレッサは同時に頭を下げた。




「頭を上げてください、二人共。

 私も皆さんから沢山のことを教えて頂き、とても感謝しています。

 では解散します、おやすみなさい」




彼は焚き火に薪をくべ、改めて解散の指示を出す。

シルフ隊長を残して、各自それぞれ自前のテントに入り、革製のベッドロールに潜りこんだ。

焚き火の光で僅かに明るいテントの天井を見上げながら、明日の事に思いを馳せているうち、眠りへの誘う睡魔が俺の意識を深い深い夢の世界へおとしていった。


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