7 - 風を操りし者たち④
盛大な起床のラッパが鳴った。
条件反射で身体を跳ね上げ、二段ベッドの脇に立ち上がると、猛スピードで服を着替える。
他のルームメイトも競い合うように身支度を整える。
シーツを綺麗に畳み、部屋に一つしかない姿見鏡に代わる代わる姿を写し、服の乱れをチェックして部屋を出る。
井戸から水を汲んだら、外にずらりと並ぶ洗面台の列に並ぶ、自前のカミソリを使って大して濃くもない髭を剃り顔を洗い、宿舎の掃除を分担でこなして終わりだ。
まさか、ラッパが鳴ったら全部ほっぽりだして集合ではないだろう、いつもの日課くらいは終わらせねば。
あれだけしこたま酒を飲んだのに身体が軽い、カールの薬は効果抜群だったらしい。
洗面道具を置いて宿舎を出たところで、シルフ隊長と鉢合わせた、どうやら俺が一番らしい。
「おはようございます、エアンストさん」
「おはようございます、シルフど…シルフ隊長」
「呼び方は好きにしてもらって構いませんよ」
シルフ隊長は上官より挨拶の遅れた俺を叱ることもせずに、笑顔を向けてくれた。
俺は直立の敬礼をしたが、なんだかしっくりいっていない様子だな。
まぁ、彼は元より軍人ではないのだから、その辺の作法には疎いのだろう。
それより俺が気になるのはその格好だ。
上腕当やわき当、もも当など急所を革で保護し、フードの裏や首周りに鎖帷子を打ち込んであるが、極めて軽装な装備、そして腰に下げている曲刀。
そうだな……、うん、まるっきり暗殺者だ……。
「エアンストさん、体調は大丈夫ですか?」
「昨日のことでしたら、大丈夫です。
なんというか……、ご迷惑をおかけしました」
「いいんですよ、そんなこと。
他の皆さんが来るまで待ちましょうか」
俺とシルフ隊長は宿舎の外壁に二人並んで中庭を眺める。
上官の怒鳴り声に責め立てられ走る連中の中に、俺たちをチラチラと見るやつらがいる。
こそこそ何やら喋りながら嘲笑っている……、ちっ、腹の立つ奴らだ。
しばらくすると残りの三人と合流した。
俺たち四人は、俺の号令でシルフ隊長の前に並び、敬礼する。
「あの……、皆さん楽にして頂けませんか……?」
「はっ、全体休め!」
俺の号令でザッという靴音を立て、腰の後ろで手を組む。
彼はまた困った顔で口を開いた。
「なんというか、もっと……こう、普通にして頂ければ……」
「我々軍人はこれが普通です、シルフ隊長」
俺の進言にもなんだか納得いっていない様子だ。
「そういう物ですかね、エアンストさん」
「シルフ隊長、部下に敬称を付けるのも不自然ですよ!
なんか他人行儀で距離を感じちゃうので、呼び捨てにしてほしいでーす!」
「そうですか? アレッサさ……、アレッサ?」
「そうそう、そんな感じで!」
「ふむ…、私は軍隊の規律に疎いので、そこらへんはエアンスト、あなたに任せます」
「はっ、了解致しました」
了解したはいいが、何をしようか……、とりあえず敬礼の仕方でもシルフ隊長に教えようかな。
ん? アレッサが前に出てシルフ隊長の全身をまじまじと見ているぞ。
「シルフ隊長……、その格好は?」
「ああ、昔の装備に着替えてみたんですよ、一応軍人ですし。
変でしょうかね……?」
「ん~、変っていうか~……」
「――完全に暗殺者ですよね!!」
シルフ隊長が悲しそうな表情で項垂れた。
俺はとりあえず、アレッサの頭に拳を叩き込んだのだった。
---
朝食を終えた俺たちは何をしているかと言うと、錆だらけの刀剣をひたすら磨いている。
短剣以外に得物を持っていない俺たちのために、シルフ隊長が歩兵部隊に掛け合って倉庫に眠っていた型落ち品の片刃剣を譲ってもらったらしい。
俺たちには金が無い。
現時点で与えられている運営費では装備一式揃えるのは難しい。
防具だけはそれぞれの体格に合わせて作らねばならないので、後日防具屋で一番安いものを見繕うことにし、一番金の掛かる武器はこうして古い物を自分たちで手直しする他ないだろう。
グリップ、鍔、鞘の状態は悪くないが、刀身は錆だらけで刃こぼれしている。
ひとまずバラして、重曹を溶かした熱湯に刀身を浸し、ヤスリで錆を落とす。
全体の地金が見えてきたら更に磨き上げ、ペダル式の回転砥石で刃を修正していく。
修正が終わったらシルフ隊長がグリップと鍔を嵌め直して、一振り出来上がったら鞘に収めて各自に渡していった。
「おいおい、魔闘士の親切部隊とやらは鍛冶職人になりたいらしいぞ!」
俺たちの横を一団が立ち止まって、見下した視線を向ける。
第一師団所属のケレン曹長だ。
大学時代からの顔見知りだが、魔導系貴族の出身で金のない俺にさんざん突っ掛かってきていたな。
軍人のくせに締まりのない身体だ、脂ぎった顔に鼻の下に生えたちょび髭に妙な貫禄が出ている。
取り巻きに囲まれたやつはどうやら俺に用があるらしい、俺を執拗に凝視している。
俺は回転砥石を踏む足を止めて、やつと視線を合わせる。
「何か用か?」
「いや? 魔闘士の落ちこぼれ連中がどんなやつなのか拝みに来ただけさ」
「なぁ?」とやつは取り巻きに視線を向けると、取り巻き連中から嘲笑が湧き上がる。
シルフ隊長以外の俺たち四人の視線が険しいものになる。
中でも直情的なアレッサはすぐさま抗議の声を上げた。
「ちょっと! あんたたちいきなりやって来てその言い草はなに!?」
思いがけない彼女の言葉に虚を突かれたような表情になったケレンだが、すぐに舐めるような視線で彼女の下から上を見て、歯を見せて嘲笑う。
「元第一師団所属のアレッサ・ベーデカー上等兵だね?
君のことはグラッツェル中尉から聞いているよ、とても優秀だって話じゃないか。
どうだい? こんな掃き溜めにいないで僕の下に就かないか? 悪いようにはしないよ」
「はっ、お生憎様、あたしお腹に贅肉があって髭を生やしてる男は受け付けないの。
他を当たってもらえるかしら?」
「なんだと貴様!?」
アレッサの言葉に顔を赤くしたケレンがズカズカと彼女に詰め寄ろうとするが、その間にスッとシルフ隊長が割り込んだ。
邪魔が入ったことに更に立腹したやつは腰を落としてシルフ隊長の顔を睨みつける。
「なんだ貴様……、そこをどけ!」
「部下の無礼をお許し下さい。
わたくし、魔法剣技隊を任されているシルフと申します。
ベーデカーにはよく言い聞かせますので、どうか気を収めては頂けないでしょうか?」
至極丁寧に対応するシルフ隊長だが、組み直したばかりの刀剣の刃を指先で弄びながら物を言わぬ圧力を掛けているのが背後にいる俺たちにも伝わってくる。
彼から発せられる剣呑な空気にたじろぐケレンだが、引っ込みがつかないのか、とんだ暴挙にでやがった。
ペッ
やつはシルフ隊長の顔面めがけて唾を吐きやがった。
ケレンはしてやったりと満足げな表情で取り巻きと去ろうとするが、俺はこの行為に我慢ならず、やつに組みかかろうとシルフ隊長の横を抜けようとしたが、彼に腕を掴まれてしまった。
「やめなさい、エアンスト」
「シルフ隊長! しかし! これではあんまりです!」
「いいから下がりなさい。
アレッサ、あなたもです」
俺が後ろを振り向くと、犬歯をむき出しにして怒りに肩を震わせるアレッサがヨハンとカールに抑え込まれていた。
彼女の剣幕に、逆に冷静になった俺は腰に下げていた手ぬぐいをシルフ隊長に渡す。
彼は笑顔で受け取って手ぬぐいでやつの汚い唾を拭い、アレッサに歩み寄った。
「アレッサ」
「シルフ隊長……、何で!?
こんなふざけたマネをされて! なんで笑ってられるんですか!?」
「私たちは吹けば飛ぶほどの弱小部隊、何か問題を起こせば解散もありえます。
私はいいのです。また王城に帰って執事のマネごとに戻るだけ。
でも、軍に残るあなた達と魔法剣技隊を結成したハバー中尉はそうはいきません」
シルフ隊長は持っている刀剣を鞘に収めるとアレッサの手を取って刀剣を握り込ませた。
「あなたの剣です、しばらくの付き合いになるので大切にね。
怒りは力を生みますが、冷静さを失わせます、それは戦いに置いて死を意味するのです。
心の炎は絶やさずに、でも頭は冷静に……。
私からの最初の教えです」
シルフ隊長に宥められた彼女は怒りが悔し涙に変わったのか、手で顔を覆って静かに涙を流した。
彼は彼女を抱きしめ、赤い髪を撫でる。
俺たちはシルフ隊長という人がどういう人間なのか、この時、少しだけ解った気がした。
――――
波乱の初日を堺に俺たちの訓練は始まった。
シルフ隊長いわく、彼の風魔法を使った体術の真髄は機動力にあるらしい。
騎馬隊を凌ぐほどの突撃力、剣術と破壊魔法を組み合わせたあらゆる状況にも対応できる攻撃手段。
これを体得するには体幹を鍛え上げることが絶対条件ということとなり、俺たちは朝から晩までとにかく走った。
初日の事件を鑑みて、魔闘士の練兵場を使うのは避け、リーベ区の関所を抜けて都市の外へ、そこからヘルトの広大な穀倉地帯の広がる平原を駆け抜ける。
最初は性差のあるアレッサに配慮する必要があるかと思ったが、俺のとんだ勘違いだ。
俺たちより従軍経験の長い彼女の方が、よほど訓練に適応するのが早かった。
さらに舌を巻いたのがシルフ隊長だ。
あの小さな体にどれだけのスタミナを蓄えているのか、彼の体力に底があるのかと疑うほどだ。
彼は常に俺たちの先頭を走り続けた。
普通は訓練についていけないと上官からの罵声を浴びせられるが、シルフ隊長はそういった指導は決してしなかった。
常に俺たち四人の様子に配慮しながら絶妙なタイミングで休憩を入れてくる。
筋肉痛に悲鳴を上げる俺たちの身体を労り、マッサージで苦痛を和らげてもくれた。
最初こそシルフ隊長に頼り切りだった俺達も、次第に互いの体調に気を配る余裕が生まれて、連帯感というものが培われてきた。
誰かがキツくなれば、誰かがそばに寄り添い、互いに励まし合う。
だがシルフ隊長曰く、そういった素養は訓練では身につきにくいらしい。
人は自分が辛くなると他人に気を配る余裕が生まれないのだそうだ。
「ハバー中尉があなた達を結成隊に任命した理由が分かった気がします」彼はある日そんなことを言っていた。
訓練以外の日常、とりわけ朝と夜には魔闘士の宿舎に戻らなければならないが、ここでの生活は最悪だった。
ケレンが何か根回しをしたのか、俺はルームメイトからハブられていた、他のメンバーも同じだった。
挨拶を無視され、時には私物を盗まれた。
俺、ヨハン、カールは同じ宿舎なので、食事は三人で摂ることができたが、アレッサはどうしているだろう。
彼女に問いただしたが、悲しい顔で「大丈夫」と言われたが、大丈夫なわけがない。
シルフ隊長に掛け合って、一日の食事は外で摂ることにした。
普段あまり立ち寄ることがないリーベ区は安い飯屋がひしめいている、肉体労働者向けの超高カロリーの食事も、激しい訓練に挑んでいる俺達には最高の栄養源だ。
こうして一ヶ月も過ぎた頃には、俺達の身体は見違えるようになった。
アレッサは「足が太くなっちゃたぁ~」と嘆いていたが、それほどに俺たちの下半身は強くなった。
次の訓練はより実践的なものとなった。
俺たちの訓練場は平原地帯から樹が鬱蒼と生い茂る森の中へ、そこでは多種多様な薬草が生えている。
ここではカールが主導となって様々な薬草の知識を得ていった。
擦過傷に刷り込む初歩的な軟膏の作り方、鎮痛作用のある薬の調合、骨折への対処、予防疫学などの医学的なこと、どれも生存のために必要な知識だ。
生存自活ということで狩猟の方法、肉の調理法、飲水の確保、金策にもなる皮の加工法など、二週間も山にこもって何が何でも生き残る方法をシルフ隊長は教えてくれた。
”イッカクウサギ”という好戦的な魔物がおり、何匹かヨハンが弓で仕留めた、あいつはかなり弓のセンスがいい。
遊撃戦を想定したこの訓練では睡眠も制限された、睡眠不足と不十分な食事、そして疲労で情緒不安定になってきたメンバーを俺は必死で励ましていた。
メンバーの精神面のケアであまりシルフ隊長が口を出さなかったのは俺が気をしっかり保っていたのが理由と後で教えられた。
真夏の中、心身ともにボロボロとなって街へ戻ったときにはみんなして泣いてしまったな。
帰還して最初に食った麦粥の味は多分一生忘れない。
そしていよいよ剣術の訓練へ。
シルフ隊長が歩兵部隊に掛け合って、練兵場を間借りできた。
最初のうちは幾通りもの剣の型を反復練習する、それ以外は組手がメインとなった。
武装解除の方法、受け身のとり方、特に相手の力を利用して無力化させるというシルフ隊長独自の体術は興味深く、自分よりも体格の大きい相手を簡単に組み伏せることができる。
基礎体力の向上、剣術の型の練習、組みて、───この一連の訓練をひたすら二ヶ月間繰り返して、季節は秋に差し掛かった。
この頃には魔法を体術に応用する訓練も同時に行うようになった。
風魔法の属性を付呪した魔法石を補助用に鎧に縫込み、身体を風に乗せる練習を繰り返す。
魔法石はヨハンの得意分野だ、魔法石の制御方法は彼が主導して行った。
しかし、正直、この訓練が一番きつい。
巻き起こる疾風の中でバランスを取るのは至難の技だ、何度も何度も転び、体中生傷が絶えない。
それでも繰り返した受け身の練習と鍛えた体幹の成果か、徐々にコツを掴んでいった。
中でも頭一つ抜き出ていたのはアレッサだった。
アレッサは座った姿勢から風魔法で身体を浮かせる練習をしていた。
そんな時にこんなやり取りがあった。
「アレッサ」
シルフ隊長がアレッサの脇と両膝に手を入れ、いわゆるお姫様抱っこをした。
「いやん……、シルフ隊長だいたーん!」
「馬鹿なこと言ってないで意識を集中させなさい。
椅子に座っているイメージで。 私が補助しますので風を纏いなさい」
「え、うーん……、こうですか?」
俺たちはアレッサとシルフ隊長のやり取りを眺めていた。
彼らの周りに疾風が起き、服や髪が靡く。
「そうです、風の気流はあなたの足元から背中へ、上へ上へ上るようにするのです。
私の補助を少しずつ弱めます、自分の魔力で補いなさい」
「はいッ……」
風はどんどん強くなる、そして、シルフ隊長の両腕がアレッサから離れた。
不思議な光景だった。
重力に逆らって人が宙に浮く、赤髪を揺らしながら風に身を任せる彼女は、ある意味、妖精のような神秘性を帯びていた。
「すごい! すごいよ! みんな!
あたし、宙に浮いてる! 気持ちい~!!」
嬉しさのあまり気を抜いた彼女は頭から地面に落ちた。
「はびゃ!」という間の抜けた声を背に俺たちは各自訓練を続けた。
――――
俺たちの風魔法を使った体術は徐々に形となっていった。
森林での訓練では、風に身を乗せ、生い茂る樹木を掻き分け、枝から枝へと飛び移る。
どんなに高い木の上から飛び降りても風のクッションを作って無事に着地できる。
その頃には練兵場にてシルフ隊長との模擬戦も繰り返し行っていた。
コレが一般兵の連中に評判だ。
四人がかりでシルフ隊長を囲い込み、とうに素人の域を出た俺たちの剣技を、彼は簡単に捌いていく。
それも人間離れした体術で俺たちを圧倒していく、俺たちも負けじと身に付けた体術で応戦する、これがかなりの迫力がある、見物人が後を絶たない。
最初はノーガードで捌かれていたが、最近は彼も防御や崩しに木剣を使うようになってきた。
もちろん、そのときには例外なく俺たちは地面に叩き伏せられるのだが……。
こうした変化に俺たちは自分の成長を実感できたのだった。
そんな折、呼び出しを受けた俺たちはシルフ隊長の執務室に集合していた。
彼は事務仕事を片付けながら、のほほんと寛いでいる俺たちにこう言ってきた。
「そろそろ皆さんには実戦経験を積んで頂こうと思います」
俺たちは驚きと、実践という言葉に若干の恐怖があった。
俺は真剣な顔でシルフ隊長に問う
「実践というと……、どこかの紛争に参加するのですか?」
「まぁ、簡単に言うとそうなんですが、傭兵ギルドのギルドマスターと少し話をしていましてね」
傭兵ギルド……、民間の軍事組織だな。
自分を冒険者だと言って危険に身を突っ込んでいく命知らず共が集まる場所だ。
ああ、俺はなんとなく察しがついた。
「ひとまず、これから傭兵ギルドの酒場へ出向きます。
軍服ではなく普段着で構いませんよ、準備が整ったらここに戻ってきて下さい」
そう言って彼は手元の事務作業に向き直った。
まだ話の見えていない三人は首を傾げていたが、準備のために部屋を後にした。