57 - 不屈の華④
この国を出ていこうと思った
だけど、クラフト区からリーベ区へ抜ける関所で足止めをくらった。
監視役の情報兵が頑なに出国を許さなかった。
厄介者が外へ出ていくのに何を止める必要があるのだろうか、理由はわからなかったけど私は完全に自由の身になる選択肢を失っているらしい。
知っている宿屋に泊まろうと思ったが、低級から上級にいたるまですべての宿泊施設で私、もとい魔法剣技部隊員は顔なじみだ。
魔法剣技部隊で中核を担ってきた私を知らない者は少ない。
いまは私を知る人間と過ごすことは絶対に嫌だ。
露天で麻袋いっぱいの保存食と酒を買い、湾岸倉庫そばの石橋の下で過ごす、笑えるね、立派な浮浪者一丁上がりだ。
眼の前にはヘドロまみれの湖、糞みたい、というより糞の臭いでやべぇ感じだったけど三日で慣れた。
継ぎ接ぎのバカでかい獣の毛皮にくるまって、朝から酒を飲む、酒の許容量を超えればそのまま眠って、起きたらまた酒を飲む。
酒は偉大だ、悲しみも罪悪感も孤独も全てを遠くへ追いやってくれる。
とにかく素面に戻ることが怖かった。次に発作的に意識が飛んだ時、腰に下げているこれで今度こそ自分をあの世送りにするだろう。
なら、剣を捨てればいいじゃないか、生きたいんだろう?
麻痺した頭で自問してもその答えは得られない、私は生きたいのか、それとも。
「いい場所じゃない、懐かしいわ。
でも酒がちょっと上等すぎるわね、家畜飼料で作った密造酒なら完璧なのに」
抱えていた蒸留酒の瓶を真横からぶんどられた。
隣に座ったバカでかい身体、野太い声。
今の私の馬鹿頭でも誰だか一瞬でわかった。
「オカマ…」
「チャオ、ひっどい臭いねぇアンタ、腐乱死体かと思っちゃった」
「なんで…、ここに…?」
「今のあんたに説明しても頭が追いつかないでしょ。
大丈夫よ、あんたを見張ってる番犬なら小銭掴ませて追い払っといたわ。
まったく、大義のない兵隊ってのは万国共通で金に弱いわね。
まぁ、橋の下で飲んだくれてる馬鹿の見張りにうんざりなのもわかるけど」
「なんで…、それを…」
「あたしを誰だと思ってるのよ。
ドレスデンの生き残りで情報部が見張ってる人間なんて市中でケツ丸出しにしてワルツを踊るアホを探すより簡単よ。
ほら、水。あんた脱水で死ぬわよ」
「ふえー…」
ベンに差し出されたガラス瓶に入った水を私がガブ飲みする間、やつは私からぶんどった蒸留酒を喉を鳴らしながら飲み干して、一本いくらするか想像できないほど値の張りそうな葉巻に火を付けた。
「油でベタベタの髪、かっさかさの唇、生気のない眼に酷い隈。
ちょっと見ない間にずいぶんブスになったわね。
あんた、それでも女?」
「うぜぇな…、わざわざなじりに来たのかよ」
「そんなわけないでしょ、こっちは王都に戻ってすぐにあんたの知らせを聞いて探してたんだから。
傭兵ギルド一家、あたしが帰ったと知った途端に怒鳴り込んで来たわよ。
みんなあんたのこと探してね」
「……会いたくねぇ」
「知ってるわよ。
ま、とりあえず時間はあるからあたしの話にその馬の耳を貸しなさいな」
耳を貸せと言ったわりに、ベンはなかなか喋り出さずに葉巻をふかし続けた。
暗がりでおぼろげに見える顔に変化はない、極めてリラックスしたような表情で水面も見ている。
「あんた、ドレスデンで見つかったとき、どういう状態だったか知ってる?」
「知るわけねぇだろ…、目が覚めたときには病院のベッドの上だったよ…」
「あんたね、浜辺でシルフちゃんに抱き抱えられた状態で見つかったらしいわよ」
「まぁ…、こんな身体で生き残れたんだから、シルフ隊長に助けられたとしか考えられないね」
「ずいぶん棘のある言い方じゃない」
「……死なせてくれた方がよかった」
「まぁ、今のあんたを見る限りそういう感じね。
別に説教をしにきた訳じゃないから、用件だけ伝えるわよ。
シルフちゃんがあんたに会いたがってる、あんたに会う気があるなら力を貸すけど?」
シルフ隊長が私に?
いいんだっけ、そんなことして、私が殺されるのは別にいいけど、あの子たちまで巻き込みたくない。
そんなことシルフ隊長だってわかってるはずだ、それなのに…。
「いまからいう話は絶対に他人に話すんじゃないわよ。
いま、シルフちゃん、アーニャ、元魔法剣技部隊の子どもたちはヒルディスヴィーニ…あー、ヘルトの女神信仰の総本山で身動きが取れない状態なの。
いまのこの国が帝国と大喧嘩する気満々なのはわかるわね?
シルフちゃん、それにアーニャ、あの二人、もうすぐ戦場に送られるわよ。それも帝都に」
「……は?」
ベンが言っていることの意味がわからなかった。
シルフ隊長、それにアーニャも戦場送りなんて、シルフ隊長、せっかく生き残ることができたのに。
ここ最近、私の中からすっかり消えてしまった激情が心の中で揺らいできた。
「で、会うの?
今生の別れになるかもしれないわよ」
「……会う」
「そう、じゃあついてらっしゃい。
あたしの私邸の一つに匿ってあげる。
まだしばらく時間が掛かるから、その間に身体を綺麗にすることね」
立ち上がったベンの後を追うと私も立ち上がったが、途端にめまいがしてへたり込んだ。
酒の飲み過ぎ、睡眠不足、理由はいくらでも思いつくけど、兵役中に積み上げてきた修練で鍛えた身体がこんなに短期間で鈍ってしまったことに正直ショックが大きかった。
「はん、やっぱり小娘ね。ほら、しっかりなさいな」
ベンの太い腕が私の脇の下に伸びて、彼の厚い胸板に抱き抱えられた。
こいつに男を感じることはなかったけど、私の中の羞恥心が途端に湧き上がって思わずたじろいだ。
「やめてよ…、あたし汚いでしょ…」
「ぶほほほ!なーに今更気にしてんのよ。
あたしはそんな高貴な出じゃないわ、こういう場所で生活してた時分だってあんのよ」
そのまま抱えられて、地味な馬車にベンと共に乗り込んだ。
情報兵は私が消えたことで相当焦るだろうな。
何もなければいいけど。
馬車にぶら下がった魔法石の行灯が照らす真っ暗な市街をボーっと眺めていると、葉巻の匂いと一緒にベンが話しかけてきた。
「ちょっとした噂で聞いたんだけど、魔法剣技部隊の創設隊は死霊術が使えるんだって?」
「なによ、それ……、シルフ隊長に心得があるみたいで、その影響で少し敏感なだけ…。
この国では死霊術に関する魔法はご法度なんだから、誰にも言わないでよね」
「へぇ…、シルフちゃんがね。
あんた、ドレスデンで同胞を殺ったんでしょ? 見える?」
「あんたね、いくらなんでも聞いていいことと悪いことくらい考えてよ。
てか、見えるってなにが?」
「そう、見えないの。 ならいいわ」
何かを考え込むようにベンが押し黙った。
なんだよ、そんな話の切り方されたら気になるじゃんか。
「ねぇ、見えるって何のこと?」
「知らないなら、知らない方がいいこともあるんじゃない?」
「そんなこと言われても、気になるって」
「……死霊術を生業にしている魔法使いはね、人を殺すなって禁忌があるのよ」
「な、なにそれ…、怪談話……?」
「殺した人間の魂に呪い殺されるって言われてるの。
そうして死んだ連中はね、決まって自分が殺した人間が見えていたそうよ」
私の全身の毛穴が逆だって、悪寒が走った。
それ以降、ベンは一言も喋らなかったし、私も喋ることができなかった。




