56 - 不屈の華③
あれ、真っ暗…。
柔らかいベッドの感触で、自分が気を失っていたのだと気づいた。
生きて帰ってから記憶が飛びまくりだなぁ、本当。
口の中がイガイガする…、相当吐いたな、これは。
服も着せ替えられてる、かわいい服だな、リリーのだねこれ。
ここは宿屋の一室だ、枕元のベッドサイドテーブルに水が置かれている。
ありがたい、口の中が気持ち悪いし、喉が痛いしでちょうどいい。
寒いな、窓から見えるはずの灯台の明かりも消えてるから本当に深夜だ。
部屋の片隅に荷物がまとめられてる、服がないのはゲロまみれだったから洗濯でもしてくれたのかな。
あれ? 護身用の短剣がなくなってる。盗まれた?
いや、リリーやウィルデさんがそんなことするわけないよなぁ。そもそも財布が無事だし。
……あー、やっぱ、そういう風に見られちゃったのかな。
でも、あの短剣もそれなりに思い出があるっちゃあるし、返してもらわないとな、ちゃんと誤解も解かないと。
そろっと部屋を出て、ささっと気配を消して階段の踊り場にでる。
吹き抜けの下階にはすでに人はおらず、ルキさん、ウィルデさん、リリーの三人だけがいた。
さっさと階段を降りて話しかければいいのに、ちょっと何を言われるのか怖くて柱の影に隠れて聞き耳を立ててしまった。
「お父さん、おつかれさま。
お茶入れたけど、お酒の方がよかった?」
「いんや、朝も早いからな、茶でいいぜ、ありがとなリリー。
俺も年を食った、こんな程度でへばっちまうなんてなぁ…。
坊主どもも一人前になってきたことだし、いっそ引退しちまうかな、なぁお前?」
「馬鹿言ってんじゃないよ、お国がこれから大変だってときに」
「お父さん、兄さんたちは出張所?」
「ああ、ここが手狭になってなぁ、波止場の近くに事務所開いて置いてきたわ。
これで、船を降りてここの道案内をさせる田舎もんの相手をする衛兵からの苦情もマシになるだろうよ」
「衛兵っていやぁさ、今日も陸軍の連中が来たよ。
義勇兵を集めるのにここで募集させろって抜かしてさ、商工会を通せって追い返したさ。
今日のは一段と生意気なガキだったね、教育がなってない」
「そりゃあアレだ、陸軍に編成された騎士崩れの連中だな。
世間知らずであっちこっちで揉め事起こしてやがる。
アルガーが生きてればこうはならなかったろうよ」
「ベンの野郎もいなくなっちまって、本当に困ったねぇ……」
「それよっかよ、アレッサには話したのか?
魔法剣技部隊が解体されたことをよ」
「ここへ来てすぐに駄目になっちまったからね。
何があったかわからないけど、チンピラを張り倒そうとしたところで半狂乱になっちゃってさ。
腕っぷしのいい子だし、ここで用心棒として働いてもらうだけでもよかったんだけどね」
「いいじゃねぇかよ、テーブルや窓を拭いてもらうだけでもよ。
シルフの旦那たちに恩を返せる、それでいいじゃねぇか」
「……思うんだけどねぇ、あの子、もう一度入院させた方がいいんじゃないかね。
精神科病院の方にさ」
「な、なに言ってるのお母さん!?」
「……いったいどうした? お前らしくないぞ?」
「ルキ、あんたは見てないからだけどね。
あの子がね、叫びながらこいつで喉首を掻っ切ろうとしたのさ」
「な、なんだぁそりゃあ!?」
「その場にいる全員で無理やり押さえつけたのさ。
本当に心臓が止まるかと思ったよ」
ウィルデさんがテーブルの上に私の短剣を置いた。
は?喉首?
意味がわからなくて左手で首を触った。
包帯が何重にも巻かれていた。
え、私、これ自分でやったの?
「銀行に寄ったときも子供みたいに泣きじゃくったけど、これは決定的だよ。
いくらでも面倒見てやると思ったけど、あたしらで助けるには力不足だ」
「心配しないで、ウィルデさん、絶対に迷惑は掛けないよ」
階段を下りながら私は至って明るく声を掛けたんだけど、三人ともものすごい形相で身体を跳ね上げてこちらを見てきた。
なんだよ、その顔は。私が怖いのかよ。
「荷物まとめてくれてありがとう。リリー。ごめんね、この服もらっていく。
ウィルデさん、その剣、返して」
「アレッサ、それはできないよ。
明日、あたしとリリーと一緒に病院に行こう」
「嫌だよ、あんなところに入ったら一生出てこれない。
みんなに迷惑は掛けないから、自分で何とかするから」
「アレッサさん!落ち着いて!
迷惑なんてちっとも思ってないから、一緒に元気になる方法探そうよ!」
「そうだ、落ち着いてくれ、アレッサ。
俺らはお前の味方だ、そんな眼で見ないでくれ」
ルキさん、何言ってるんだろう。
私は至って普通なはずなんだけど。
「あ、ごめんなさい。お世話になったのに宿代払い忘れるところだった。
ちょっとまってね。あたし、いま懐が温かいんだ」
私は革袋から銀貨を取り出して、ウィルデさんの前に差し出した。
途端に、思い切り左頬をぶん殴られた。
すっごい一撃、掃除のために積み上げられた椅子にぶっ込まれて、まさかウィルデさんに殴られるなんて思ってなかったからすっげぇ痛い。
「馬鹿にすんじゃないよ!! このわからず屋が!!
誰が金なんて欲しいつってんだい!!
あんたは失ったものに取り殺されそうになってんだ!!
そいつを癒やすには時間しかないのにッ!!
その前にお前が死んじまったらどうすんだよぉ!!」
馬乗りになったウィルデさんが床で伸びてる私の襟首を掴み上げて更にもう一撃くらわせてきた。
口の中にじわっと鉄の味が広がる。
「あんたが亡くしたものがどれだけ大切なのか、あたしたちは分かってる!
だから、もう一度、いちから作り直すんだよ!居場所をさぁ!!
死んじまった人間はもう過去なんだ!あんたは生きてる限り、まだやり直せる!!
だから……、あたしらが助けてやるから……」
怒気に歪んだ彼女の両頬からだくだくと流れる涙が顎を伝って私の顔にこぼれてくる。
心がざわつく、やめろ、喋るな。
「なにが、わかるの?
ウィルデさんは、持ってるじゃないですか、たくさん」
「なに!?」
やめろ、言うな、私。それを言ったら本当にもう何もかも失くすぞ。
何度も頭の中でそう考えてるのに、口が勝手に動く。
「いっぱい、持ってるじゃないですか。
自分の居場所も大切な人も全部持っている人に、あたしの何がわかるんですか。
あたしには、あの人しかいなかったんだ。
あの人がいない世界なんて、どこに行ったって地獄なんだ。
あたしは!これから先!ずーっと地獄の底で独りぼっちなんだよぉ!!」
私の眼を見つめていたウィルデさんの顔にぞわっと鳥肌が立ったのがわかった。
胸ぐらを掴む手から力が抜けていく。
ふらふらとテーブルの上の短剣を取ると、腰に下げた。
床に跪いたウィルデさんが顔を覆って泣いている。
私が泣かせたんだ。あの優しい人を。
せっかく、手を差し伸べてくれた人に私はなんてことを言ってしまったんだろう。
ルキさんの顔も、リリーの顔も見れない。
俯いたまま、私はギルドの出入り口へトボトボ歩いて行く。
なんてクズなんだ、私は。 こんなことして、なんで声をかけてもらえるなんて期待しているんだ。
出入り口のドアを開けた先から吹き荒ぶ冷風と暗闇が、私に微笑みかけているような気がした。




