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ヨルムンガンド・サガ  作者: 椎名猛
第一章 因果から伸びる手
55/59

55 - 不屈の華②

びっくりするだろうけど、私の病室は高給士官の個室だ。

だいぶ昔にシルフ隊長が一日入院をしたときと同じ病室。

魔法機械のおかげで部屋の温度が常に一定で厚着する必要もないから季節感が薄れていた。

ドレスデンに出征したときは真夏だったけど、窓から見える王都の街路樹の葉が赤や黄色に色づきはじめている。

私が入院している間にひとつ季節が通り過ぎていた。


包帯の交換の際に女性治癒士に頼み込んで鏡をもらった。

何度も止められたけど、現実はなるべく早く受け入れた方が後々楽だろうから。



「思ったよりひでぇなぁ…」


「……赤みは炎症が治まれば取れると思うから、一緒に頑張ろうね」



治癒士の気遣いはありがたいけど、真っ赤に焼け爛れた顔の右半分は事前の覚悟を上回るほど衝撃が大きかった。

鎧のフードを被っていたお陰なのか頭皮は割りと無事だ、それでももみあげから耳の後ろ辺りまではごっそり持っていかれているけど、ハゲ頭を晒さずに済みそう。

不幸中の幸い? 幸いかな、そうでもないかも。

なんで生きているんだ、私は。



---



退院だ。

びっくりしたことに、私の身元引受人がいるらしい。

私の交友関係なんて魔法剣技部隊以外に無いに等しいと思っていたけど、名前を聞いてもっとびっくりした。

ウィルデさん、リリー、傭兵ギルドのギルドマスター親子だ。

困った、どういう態度で二人に会えばいいだろうか。

今の私におどけて笑う余裕は正直ない。

治癒士に介助され身支度を整えながらあれこれと考えていると、ドアがノックされた。

開けられたドアからリリーが入ってきた。

スラっと伸びる長い脚、私の背丈を超えた身長、長くて艶のあるブラウンの髪を黄色のリボンで留めて、本当に綺麗になったなぁ、この子。

つい数ヶ月前に会ったばかりなのに、今の私には彼女が酷く眩しく見えて、笑おうとしたのに表情が動かない。

嫌だ、泣きなくない、泣くものか。


ふわりと、羊毛のセーターの感触が上半身を覆う。

あ、私があげたライラックの香水、使ってくれているんだ。

まるで自分に抱きしめられている感覚だけど、ものすごく温かい、優しい抱擁。

私の爛れた顔の右半分がリリーの涙で濡れていく。



「よかった……、アレッサさんッ

 生きていてくれて……、本当によかった、よかったッ」


「ごめんね、リリー。心配掛けちゃったね」



私の生還を心の底から喜んで涙を流してくれる彼女に、素直に嬉しさがこみ上げる。

でも、なぜだろうか。嬉しいのに。虚しい。


ウィルデさんが入ってきた。

私の中のウィルデさんは女傑という言葉そのものだったのに、今は泣き腫らした目で私に近づき、リリーと一緒に温かいコートを着させてくれた。

頭には手作りと思われるニット帽を被せてくれた。この部屋だと暑いけど、外にでればちょうどいいだろうし、この顔も少しは隠せる。

ウィルデさんは私の顔を何度も撫でながら、涙声で語りかけてきた。



「アレッサ、どこか身を置くあてはあるかい?」


「うーん…、考えもしてなかったです。

 とりあえず、銀行に寄ろうかなってくらいで」


「そう、あたしらが一緒についてってあげるから。

 …その腕だと書類仕事は大変だろう?」


「ああ-そっか…、ごめんなさい。

 なんか全然無計画でなんとかなると思ってて」


「あんたが嫌じゃなけりゃあさ、いつまでもうちにいなよ。

 今のあんたを見てると危なっかしくてしょうがないさね」


「助かります。あ、でもルキさんとかいいんです?」


「あいつが反対するわけないじゃないのさ。

 そんな薄情な男と所帯を持った覚えはないよ。ね、リリー?」


「お母さんの言う通りだよ、アレッサさん。

 お父さんはちょっとこのところ忙しすぎてここには来れなかったけど、ちゃんとアレッサさんのことは分かってるから」



ああ、優しいなぁ、ふたりとも。

情報部の兵士どもに見張れるよりも二人がいてくれた方が断然良い。

私はやっと、笑みを浮かべることができた。



---



銀行へ行く道すがら、たくさんの行き交う人々の視線を感じた。

私は軍服姿でもないし、もらった勲章も身に着けていない、なのに恭しく頭を下げてくれる人までいる。

リリーとウィルデさんが言うには、ドレスデン要塞での事件はリヒャード帝国の魔闘士たちによる軍事作戦であって、私たちはその作戦を挫いて要塞都市を救った英雄だから今の時期に満身創痍の者がいるとすぐ軍人だとわかるそうな。

あーなるほどね、私やシルフ隊長の口を封じる理由がわかっちゃった。多分、アーニャも知ってるだろうな。

さらに私が呑気に病院で寝ていた間にヘルトはこのでっち上げた軍事作戦を利用して帝国への敵愾心てきがいしんを煽り散らかしているようで政府のお抱え宣伝係の聞屋どもが布告の場で声高に市民に対して帝国を貶す言葉を叫んでいる。


違う、私たちはそんなことのために戦ったんじゃない、みんな…、そんなことのために死んでいったはずじゃないのに。


私は奥歯を思い切り噛み締めて、両手を握り込んだ。あ、右手はないんだった、マジでちょいちょい忘れるな、早く感覚消えてほしい。

全身がこわばっていたせいか、リリーが私の心情が乱されていることに気づいたみたいで、爪が食い込むほど握りしめていた左手を優しくさすってくれる。

ありがとう、とても嬉しいよ。それは嘘じゃない、でも、こんなにも優しくされているのに私の心は満たされない。

本当のこと、みんなのことを話したいのに、黙っていてごめんね。


銀行では何をすればいいのかよくわからなかったから、情報部からもらった書類を丸投げした。

いろいろ書類を書かされたんだけど、左手だとうまく書けなくてリリーが綺麗な字で代筆してくれた。

私が答えに詰まるところはウィルデさんが代弁してくれて、本当にスムーズに手続きが終わった。一人だったらこんなにうまく行かなかっただろうな。

傷痍軍人恩給とかってやつでお金をくれるそうな、毎月決まった日に窓口にくればいいらしい。

情報部からもらった小切手を換金して、そこから当面の生活費をいくらか手元に残して全部自分の口座に移した。

それとね、本当に驚いたんだ。

受取人が私の保険金と積立金をね、軍の正式な遺書に従って銀行が預かってくれてたんだ、名義はエアンスト・ナウマン。

それを聞かされた時に、私、頭が真っ白になって身体が動かなくなっちゃって、また記憶が飛んじゃった。

気づいたらウィルデさんに抱きついてわんわん泣いていて、担当していた銀行員がすげー困った表情でおどおどしてた。

あー、なんか結構なお金持ちになっちゃったぞ、私。



---



銀行をあとにして傭兵ギルドの酒場に入るとすごいことになっていた。

全ての大テーブルが埋まっているのはもちろん、酒樽を即席のテーブルにして立ち飲みしてる連中までいる。

依頼書が掲示板に収まり切らずに四方八方の壁にまで貼られていて相変わらずガラの悪そうな連中がこぞって割のいい仕事でも探しているのかギチギチになって眺めている。



「すっご……」


「もうずーっとこんな感じなんだよ。

 忙しすぎてどれだけ人を雇っても足りなくて…」


「忙しいって次元じゃないでしょリリー。

何があったんです?」


「西方鉄道計画って国家事業が急に始まってね。

 とにかくヒト・モノ・カネがなだれ込んできて用心棒なんかは元より海運作業、土木作業やら、あたしらの管轄じゃない家業も無理やり押し付けられちまってさ。

 金払いも良いもんだから食いっぱぐれてるロクでなし共もこぞって大集合、うちは職業斡旋所じゃないってのにねぇ…」



鉄道? ああ、前に軍港にいったときに湾岸に敷かれてたっけ、確か。

大砲の路線の上にでっかい鉄の塊みたいな籠車を蒸気で走らせるんだっけ、気難しい技官連中が邪魔くさいって海軍のおっちゃんが言ってなぁ。

あれ、出来上がったんだ。


『なんだ!?てめぇこの野郎!?

 そいつに目付けてたのは俺だ馬鹿野郎!!』


『ああ!? なんだこら!?

 頭カチ割られてぇのかオイ!?』


おおっと、最近の傭兵ギルドでは珍しい光景だなぁ、揉め事はかなり減ったはずなんだけど。

まぁ、顔ぶれを見るに余所者が多いみたいだし、こういうこともあるか。

私の耳元で舌打ちが聞こえた。ウィルデさんじゃない、リリーなんだよなぁ…。



「お母さん、兄さんたちが居ない。お父さんと外回りだと思う。

 事務の子が大変そうだから見てあげて」


「そうね、くれぐれも気をつけるんだよ」


「大丈夫、いつものことでしょ」


「あんたじゃなくて相手の心配してんのさ」



リリーは”待っていて”という意味を込めた笑顔を私にくれた。

足音も気配も消して揉み合うアホに近づく、また腕を上げたね、もはや動きがカタギじゃねぇ…。

なんだろう、この子を保護した時は本当にか弱い女の子だったはずなんだけど、本当に逞しくなっちゃって。

荒くれ連中と長く付き合ったせいもあるんだろうけど、この体捌きはウィルデさんだよなぁ、やっぱ。

あ、でも、例え血の繋がりはなくたってずっと一緒に入れば親子が似てくるってちょっと素敵かも。


アホ二人はリリーに腕を捻られてあっさりやられたけど、片方がやけに反抗的だなぁ。

あ?なんだ後ろのヤツ、おい、酒瓶!後ろから殴る気か!?


私はリリーの背後で酒瓶を振り上げた男との距離を一瞬で詰める。

動ける、ずっと寝たきりだったけど、さすがにそう簡単には鈍らないもんだね。

半殺しにしてもいいけど、せっかくここも稼ぎどきだ、恩を返すためにも床とキスするだけで済ませてやる。


私は、酒瓶を持った男の腕を掴んだ。

掴んだ相手の手首の感触で、あの光景が蘇る。

真っ暗な水平線、石畳の感触、焼ける肉と腐敗した血の臭い。


───アレッサ…愛しているよ

───だから……、君は生きてほしい


急に、胃の奥から何かがこみ上げてきた。

目がチカチカする。

あの、臭いが、肌を焼くあの痛みが、あなたの顔、あなた目、あなたの言葉。

嫌だ!私を置いていかないで!もう私を独りにしないで!私も連れて行って!



「いやああああああ!!置いていかないでぇぇぇ!!」



喉が焼け付くような叫び声を上げたのだけ、覚えているのはそれだけ。

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