54 - 不屈の華①
アレッサ・ベーデカーの一人称視点で書いています。
───アレッサ・ベーデカー
生きて地獄を見るのは二度とごめんだと考えていた。
幼少の頃に手の中で消える命と消えたあとの亡骸に囲まれて、弱っていく自分の心拍を感じ、呼吸するたびに肺を満たす死臭に耐えて手を合わせて女神に祈りを捧げていた。
意識を取り戻したとき、自分が天国にいるのだと思った。
あれほど望んだ乾きを潤す清潔な水、温かい食事、柔らかな寝具、優しい大人の目。
しかし、自分が本当に取り戻したかったものを失ってしまったのだと気づいた時、やはり私はまだ地獄に縛られているとわかった。
私はアレッサ。私はこの地獄から抜け出すために、ただ強い人間であるためにもがき続ける生き方を選んだんだ。
周囲の私への印象はとにかく馬鹿みたいに明るい、破天荒、喧嘩っ早い、酒癖が悪い、うん、まぁ、否定のしようがない。
常に目まぐるしく何かを考え、がむしゃらに行動して、誰かと本気でぶつかっている間、私は自分の中の闇を見ないで済んだから。
誰かを巻き込み楽しませ、ときに暴力を使って集団の中の主導権を得ると、それが"強い自分"であると実感できたから。
このヘルトという大国で大人になった私は”強い人間”を求める渇望に従い、魔闘士として軍人の道へと進んだ。
女神様から授けられた魔法という力と、魔闘士という実力こそが正義という待遇が強さを追い求める私には都合がよかった。
苛烈な訓練であればあるほど、私はそれを糧にして突き進むことができたんだ。
しかし、気づいた。組織には必ず権力というものがあり、身体的な強さとは別種の力を追い求め独占しようとする人間が常に私の前に立ちはだかる。
私はこの力が死ぬほど嫌いだった。
しかしそれを露骨に出すほどに自分が追い詰められていくとわかっていながら、私は反抗せずにはいられなかった。
大人の世界で、大人の集団の中で孤立することの辛さを私はまだ知らなかったのだ。
鬱屈した毎日に嫌気が差していたある日、指揮系統が違う士官から呼び出しを受けた。
エドゼル・ハバー中尉、面識はあったが話したことはなかった。
彼の出頭命令に憤慨していたトラウゴット大尉の妨害を受けたせいで、あやうく出頭命令時刻に遅れそうになりながらも、私は初めて彼らと出会った。
カール・グレーデン、ヨハン・アルトマン、エアンスト・ナウマン。
全員、王立魔法大学王国軍魔闘士士官学部卒業のエリートたちだった。
私は自分だけが落ちこぼれていると勝手に思ってしまって、全く新しい新設部隊の中で主導権を握りたくていつものように高飛車に振る舞っていた。
だけど、彼らと過ごし始めて、すぐにそんな態度は不要だと気づいた。
シルフ隊長はもちろん、カールもヨハンも、私がこれまで見てきたエリートとは違った。
それぞれが高い目標を持っていたけど、地位や権力に対する欲求は皆無のように見えた。
偉ぶることもせずに私と対等に接してくれる彼らとすぐに打ち解けることができた。
ああ、一人だけ毛色の違う男がいてね。
エアンスト、最初に会ったときに彼だけはトラウゴットやケレンのような権力欲のようなものがほのかに匂った。
でも、シルフ隊長に挑んだあと、プライドをへし折られて泣いている彼からすぐにその気配は消えていた。
なんだか、親に叱られて落ち込んでいる子供を見たようようで母性をくすぐられるような感覚だったのをすごく覚えている。
部隊として訓練が始まってからも彼だけは軍隊然とした対応を崩さなかったけど、それは権力を振りかざす命令ではなく、純粋に部隊員のことを、私を想っての行動だとわかっていた。
当然、状況によってはぶつかることもあったけど、シルフ隊長に不足しているリーダーシップを補ってくれる彼は本当に私の心の支えとなった。
そして、ある凍える星空の下で、私は過去に見た地獄の一端を彼に話した。
彼は黙って聞いてくれた。相槌を打ってくれるわけでもない、ただただ静かに。
そして、私をそんな状況に置きざりにした人間への激しい怒りが彼の瞳の中に揺れていた。
思えばこのときだったのかもしれない。
私は彼に恋をしていた。
その感情が行動になって、焚き火の側に座る彼を抱きしめた。
強さを追い求めていた私は、人生で初めて自分の弱さを見せられる人間と出会うことができた。
私の灰色の心に一輪の美しい華が咲いた気がした。
私は、彼らと共に一歩ずつ自分の居場所を作っていった。
誰かを助けて感謝されて、仲間ができて、幼いときに失ってしまった家族を再び手に入れることができた。
何も自分を繕う必要のない、大切な人たちが私の周りにいてくれる。
そして、エアンストと初めて結ばれた日、これほど自分がこの世に生まれたことに感謝した日はなかった。
彼の体温が、彼の吐息が、彼の全てが愛おしかった。
私の中に一輪の咲いた華は、いつの間にか辺り一面を覆い尽くす華畑になっていた。
ああ……、女神様……
---
「同志ベーデカー…、聞こえておりますか?」
「ドクター、話ができると聞いていたのだが?」
「昨日までは話ができていたのですが、ときどきこうして自分の中に籠もるように意識が判然としないときがありまして。
まぁ、珍しいことではありません。前線から帰った負傷兵にはよくあることです」
「面倒だな…。しかし本人に伝えねばならぬしな…。
おい、隣はどうなってる?」
「ああ、どうやら行ったみたいだ。
馬車まで案内したら中尉殿もこっちに戻ってくる。
それまで待つか」
「ああくそ…、早いとこ一服付けたい…。
エドゼルの野郎に牛耳られてから馬車馬の如しだ、これをさっさと終わらせて娼婦街で高い女でも買いてぇ…」
「バーカ、あそこも化け物騒ぎでめちゃくちゃだ。
当分商売なんてできねぇよ」
「しかし、この女、ひでぇザマだ。
いっそ死んじまった方がよかったんじゃないか?」
「馬鹿野郎、聞こえてたらどうすんだ」
全身の皮膚が疼く、右手は無くなったはずなのに、指の感覚がある。
ああ、せっかく幸せな気分に浸っていたのに、痛みが私を現実に戻していく。
私の意識がまだ飛んでいると思っている連中が好き勝手に言ってくれる。
「……娼館街区に行くなら四番街の奥がいいんじゃない?
オカマの手下が仕切ってる高級店だから。
あんたらの給金で行けるか知らないけど」
突然顔を上げて声を発した私に、黒服の軍服を着た連中は酷くうろたえ始めた。
そんなに私が怖いのか? 私はいまどんな姿なんだろうか。
この部屋にはあいにく鏡がない。まぁ、正直自分の姿を直視できる自信もいまはない。
「ど、同志ベーデカー!
お気づきになりましたか! よ、よくぞご無事にご生還なられ……」
「あたしの姿が無事に見えるっての?お前の目は節穴かよ…。
何よ、同志ベーデカーって。 あたしの階級は軍曹だっての」
「そ、そのことでお話に上がりまして…。
同志ベーデカー、貴方様はこの書類の日付を持ちまして軍務を解かれました…」
「…あっそ、役立たずは御払箱ってことね」
ベッドサイドのテーブルに置かれた書類に視線を向ける。
名誉除隊の証明書、突撃鉄十字勲章、傷痍軍人…? ああ…だめだ、文章を読むのはまだ体が着いていかない。
左目を動かすと潰れた右目の筋肉もつられて動く、死ぬほど痛い。
痛みで乱れた呼吸を整えるためにまごついていたところで部屋のドアがノックされ、一人の男が新たに入ってきた。
三人の兵士が敬礼をしているところを見ると、なるほど、こいつが一番偉いらしい。
「中尉殿、シルフ上級曹長は?」
「いまさっき閣下の元へ向かった。
用件はもう話したのか? どういう状況だ?」
「申し訳ございません。
同志ベーデカーのご体調が優れなかったもので、まだ…」
男はつかつかとベッドに座る私に近づいてくる。
軍服は他の連中と一緒だ。階級章も腕章もないが、襟首のボタンを見るに情報部の兵士だ。
無表情で私を見下ろしやがって、腹が立つな。
「同志ベーデカー、この度はご無事でなによりです。
この書類を見るに、すでに聞き及んでいるかと思いますが、あなたの軍籍はすでにない。
しかし、ドレスデン奪還作戦で生き残った人間はあなたとシルフ上級曹長のみ。
貴方様をただの一般人として送り出せない事情がございます」
「まどろっこしいわね、さっさと用件を言ってよ。
早く痛み止めをもらって、眠りたいんだよ、あたしは」
「貴方様はハバ-閣下の命令解除があるまで我々の監視下におかれます。
ドレスデンに関する一切を口外しないこと。魔法剣技部隊の関係者との繋がりを一切断つこと。
このことに同意いただきます」
「……断るっていったら?」
「……その身体での生活は些か苦労も多いでしょう。先立つ物も必要だ。
今後の生活の心配が無いようにせよと申し使っております。
それに、シルフ上級曹長、ペトロヴナ伍長にはこうお伝えしております」
「…なに?」
「命令に従えない場合、貴方様、並びに魔法剣技部隊の予備役生の命の保証はしない」
「こんのッゲス野郎!!」
私は激痛を振り切ってテーブルの上の勲章を左手に取ると兵士の顔面へ向けて投げつけた。
勢いでベッドから転げ落ちそうになる私を傍らにいた医師が受け止めてくれた。
私が投げつけた勲章はあっさりと兵士に受け止められ、改めてテーブルの木製の台座に置かれる。
「こちらは見舞金です。退院したら銀行にお持ちください。
一刻も早いご回復をお祈り申し上げます」
「あの子達に何か…、はぁ…はぁ…、してみろッ。
全身なます切りにして…、ああッ!!ちきしょう!!」
私の罵声を甘んじて受けていた兵士は何かを言いたげな素振りを一瞬見せたが、私の剣幕に引き下がり、踵を返して部屋から出ていった。
尋常ではない怒りが湧き上がるのに、身体が言うことを聞かないもどかしさが更に怒りを呼ぶ。
憂さ晴らしにやつが置いていった小切手を破ろうとしたが、そこに書かれた金額は私のこれまでの給金から勘案して数年は生活に困らないほどの数字だった。
失った右手、潰れた右目、これからの現実を考えた場合にこの金がどれほど私にとって必要なものなのか。
こんなもので冷静さを取り戻してしまう自分と、こんな状況でも未来を考えるほど生きることに執着している自分が悔しくて堪らない。
「ベーデカーさん、少し、眠りましょう。
ご夕食のときに起こすようにしますからね」
悔し涙を流しながらベッドに横たえた私の上腕に医師の持つ注射針が刺さる。
途端に全身の疼痛がなくなっていく。
ああ…眠い、お願い女神様、せめてみんなと、あの人との楽しい夢をみさせて。




