53 - ブラザーフッド㉔
何杯かの酒を飲み交わした後、ベンはドレスデンの事件後の自身の動きについて話を始めた。
ドレスデンの真実と国軍がぶち上げた帝国併合の野望を知らされ、運命づけられてしまった戦いを勝利に導くための奉仕を約束させられたこと。
それと引き換えにヘルト商工会の実質的トップに君臨していること。
現在、ヘルトと帝国はヴォルニー共和国を板挟みにして睨み合っていること。
ヘルト側が押し付けているのはヴォルニーのヘルトへの全面的な服従と駐留軍の配備、それと引き換えに多くの経済的・軍事的支援とヘルト勝利のあかつきにはヴォルニーだけではない分割した帝国領の自治権すらも約束する、といったことだった。
「西方鉄道計画はもともと10年、20年をかけて西側諸国を鉄道網で結んでいく計画だったんだけど、今はヴォルニーへ一直線に線路を伸びすために急ピッチで工事が進んでいるの」
「だからあんなに労働者が一気に押し寄せてきたのか…、でもなんでヴォルニーなの?」
「……ヴォルニーがどちらに下るのか決断するまでの猶予期間でしょうね」
「シルフちゃん、正解。
ヴォルニーがどちらに着くにせよ、鉄道がヴォルニーの国境線まで到達すればそこで時間切れ。
この戦争の幕開けはヴォルニー陥落線で始まるかもしれないし、ヴォルニーを併合した後に帝国への宣戦布告で始まるかもしれない。
どちらに転ぶにしても戦争は避けられない、なのにあんた達はそれを何も知らされていなかった」
「え……? どういうこと?」
「考えてもみなさいな。 これから戦争をおっ始めようって国同士が自由に往来できるわけがないでしょ。
あんたたちはかなり早い段階で帝都へ送られる。海上貿易路が封鎖される前にね。
不自然だったのよ。身元を偽装した男女二人を無意味に遠回りさせて交易船に乗せる計画がいつの間にか仕組まれてる。
誰に仕組まれたのか分からないようにしてね」
「帝都に送られるって、私たち……、何をするの、シルフ?」
「それは私にもわかりません。
我々にすら秘匿していたということは何らかの秘密作戦なのでしょう」
「あんたたちはとっくにそれが分かって腹を決めてると思ってたわよ。
結局、パウルのところに預けられたのは軍内部でちょろちょろされるのが目障りだったっていう単純な理由じゃないかしらね。
国軍は端からヒルディスヴィーニも商工会も信用していなかった」
ベンの言葉を理解しきれないアーニャの視線が部屋の中を右往左往するが、シルフの右腕が彼女の肩に添えられたことで動揺しながらもやや落ち着きを取り戻した。
シルフはケルン大聖堂から持ち出してきた麻のバッグから二冊の分厚い紙の束、そしてマナ結晶と鉛を混合した銃弾を数発テーブルに転がしベンの前に突き出した。
「これは……、何かしら、シルフちゃん」
「冊子はカールが残したものです。
彼から預かった遺言は、これをベン様に届けてほしい、でした。
こちらの弾丸はヨハンが自作したものです。 彼から特別言伝はありませんでしたが、ベン様の役に立てばと思いまして。
付呪師としての彼の技術を、何か残してあげたいという私の勝手な我儘です」
シルフにそう言われたベンはカールが残した紙の束をめくり上げた。
内容は彼の手記と彼が研究していた錬金薬の合成術式の資料に分かれており、手記については研究の終盤から書き始めたらしく、内容は初めからベンに宛てて書かれていた。
真剣な眼差しで手記を読んでいたベンが、落としていた視線をシルフに向ける。
「シルフちゃんは、この内容を知っているのかしら」
「ベン様個人宛てですので、見ておりません」
「彼の名誉にかかわることだから、その子の前で話すのはどうかと思ってるんだけど」
「構いません。 アーニャにとっては師と言える者のひとりです」
「だそうだけど、あんたはいいの?」
「うん、何が書かれていてもカール兄さんを軽蔑したりしないよ」
アーニャの返答をもって彼の手記の内容をベンは話し始めた。
元より魔法と医療に長けた薬師であるカールは人の命を救う錬金薬の開発に憧れと情熱を注いでいたこと。
軍務で遠征するたびに錬金薬の素材を入手し、時には法に触れる素材も採集していたこと。
実験を重ねるうちに偶然、哺乳動物の代謝機能を極端に低下させる薬ができあがったこと。
また、多数の毒性の魔法薬の効能を打ち消すこともわかったこと。
その結果に舞い上がった彼は、アンブロシア依存症への効果を確かめるために、禁忌の錬金薬であるアンブロシアの製造に手を出しこと。
しかし、代替材料で作った粗悪品しか作れず、幾度も作り直しているうちにアンブロシアの毒性に曝露され、自身の健康状態に異常が出始めたこと。
結局、アンブロシアへの有効性を示せないまま、粗悪なアンブロシアの摂取を定期的に行わなくてはならず、自身の体調不良を周囲に隠すことが難しくなり、このことが部隊の名誉を汚す前に、すべての研究材料を処分した上で自決するつもりであったこと。
しかし、彼が唯一成功した錬金薬だけは後世の役に立つことを信じて、製法をベンに託したことが書かれていた。
「”結局のところ、錬金薬というのはカードゲームの役のようにときに有用なものを引き当てるだけのことで、
それを自分の実力だと過信してしまったことがすべての過ちだったと思う”
”帝国領内のアンブロシア汚染は深刻であり、きっと自分の薬が東西を二分する大国の和平の末に人々を救う偉大な成果となるのだ、と己の妄想に酔ってしまっていた”
”しかし、結果はご覧の有様で、今は徐々に削れていく自分の命を感じながら、改めてこの錬金薬の完成された効能、完璧な再現性、そして残忍さに畏怖の念を感じざるを得ない”
”ヨハンとフリーデは所帯を持った、エアンストとアレッサも共に人生を歩んでいくのだろう”
”俺は一人で消える。ベンの旦那、そしてこれを旦那に託してくれたシルフ隊長には心から謝罪したい”
”隊のみんながどれだけ怒っても、このことは秘密にしておいてほしい。俺は最後まで子どもたちの憧れだった”カール兄さん”のまま死んでいきたいと思うから”
”───カール・グレーデン”」
読み終えたカールの手記をテーブルに置くと、ベンは葉巻を取り出し火をつけた。
部屋にはアーニャの嗚咽しか聞こえない。彼女が落ち着くのを待つようにベンとシルフは互いに顔を合わせもせずにうつむきながらしばし黙っていたが、ベンの方から話を再開しだした。
「シルフちゃん、カールちゃんのことはどこまで知っていたの?」
「恥ずかしながら、彼の状態を察したのはドレスデンへ向かう間際のことで、気づいてあげることができませんでした。
彼は私生活をあまり話なかったので。
ただ、彼が作戦直前に渡してくれた薬が、どう考えても生きて帰れるはずがなかったアレッサを救ってくれました」
「……あんた達との再会を急いだのはもうひとつ理由があってね。
……アレッサだけど、あの子、いまあたしのところで保護してるのよ」
その言葉に弾かれたようにしてアーニャがベンを見上げる。
涙でぐしゃぐしゃになった彼女の顔をみてベンは軽く微笑むと、ハンカチを取りだしそっと拭ってやった。
「アレッサ姉さん! どこで!?
いまどうしてるの!?無事なの!?」
「特に怪我をしてるわけでもないけど、もしあの子に会いたいなら早くした方がいいわよ」
「なんで!?どういうこと!?」
「死にたがってるやつの目だから」
ブラザーフッド -完-




