51 - ブラザーフッド㉒
アーニャは誰の姿もないケルン大聖堂の食堂に一人座りながら物思いに耽っていた。
ここ数ヶ月、シルフと一緒に自力で調査しても、いくらパウルに詰問しようとも所在をつかめなかったベン・アイゼンハワーがまさかヒルディスヴィーニの会合に突然姿を表したからだ。
本当は誰にも知られぬように密会できることが最善だった。
エドゼル・ハバーからはベンとの接触はここケルン大聖堂にいる後輩たちの命と、すでに軍を去ってしまったが、彼女にとって姉とも第二の母とも言えるアレッサの命を脅しに使われていたからだ。
あの場でベンに怒りをぶつけることはできなんだが、時間が経過するほどに腹が立った。
夜回りの修道女に掛け合って夜間の巡回を変わってもらい、王城に行ったシルフの帰りをいまは待っているところだ。
シルフから言いつけがない限り、アーニャは他の後輩たちと同様、ヒルディスヴィーニの武装修道女として教会の任務に当たらなければならない。
ベンからの接触の申し出を早くシルフに知らせなくては、と今はこうして教会の出入り口を見つめている。
「おやおやアーニャ! こんな夜更けに乙女一人、フレイヤ様の前で何を祈っておられるのかな!?」
意図的にだろう、完全に気配を消したパウルの大声に脊椎反射のように剣を抜きかけたが、背後でにこやかにワインと燻製肉を掲げた姿を見て腰から手を外す。
上半身にじわりと吹き出した汗が冬の冷気で冷えてぶるっと身体が跳ねた。
「あんたね…、こういう悪ふざけやめないといつか本当にうっかり殺すかもよ……」
「いやいや、あなたの意思の強さを知っているからこそ、そんなことはしないと確信してこんなお遊びができるのですよ」
「あたしで遊ぶなっつの!」
「まぁまぁ、こんな真夜中に気を張っていればお腹もすくでしょう。
いかがです? いい肉と最高のワインを手に入れましてね」
太巻きにされて縛られた肉の紐をナイフで解き、ぶつ切りにする。
赤身肉と脂分が絶妙にからみあった柔らかな肉にアーニャの腹が鳴るが、ぐっと我慢した。
「せっかくだけど、今はシルフを待ってる。
飯はおろか酒なんて絶対に飲めないよ」
「ほほう、仕事中は酒を飲まないようにしたのですね、感心感心」
「あんたは目を離せば食ってるか飲んでる印象しかないね。
それでよくこの国の宗教の特攻隊長なんてやってられんな」
「ふふ、私はあなたやシルフ様のように強くはないのですよ。
酒に酔わなければ剣を持つのにも恐怖する人間、究極の小心者、だからこそフレイヤ様に身を捧げるのです。
自分が犯した罪を拭ってくれる何かがなければ、私は立っていることすらままならないのです」
「……あたしはシルフがそんな感じなのかも」
咀嚼した肉をワインで流し込みながら、ステンドガラスから差し込む月明かりが照らした少女の憂いを帯びた表情をパウルが興味深げに見る。
「いや、若いとはよいことです。
自分の気持ちにまっすぐに、情熱の炎を燃やして突き進むことをおすすめしますよ」
「おっさんも若い頃はそうだったの?」
「私の愛する方はいつだって女神フレイヤ様なのです。
命短し恋せよ乙女、紅き唇褪せぬ間に、熱き血潮の冷えぬ間に、明日の月日はないものを…なんてね」
「なにそれ、ヤな詩」
「人生とはそういう物です。混沌の世にこそ忘れなきように。
おっと、ちょっと飲みすぎましたな、厠厠ぁ~」
「いちいち口に出さねーで黙っていけ!」
「うーん、怒っているあなたの顔もずいぶんと色っぽくなりましたなぁ!むっふっふ」
そう言って暗闇に消えていくパウルの背中を見送ったアーニャは、再び食堂の入り口に目を向けた。
ふと、表門が閉まり見知った者の気配がする。
ゆっくりと食堂内に入って来たシルフはアーニャの視線を受けて不思議そうな表情で見つめてきた。
シルフのそんな表情は気にも止めず、アーニャはシルフの眼前へと歩き、わずかに身体を密着させる。
「おや、アーニャ。
もうお休みになっているかと思っていたのですが、何かありましたか?
教会の奉仕活動で疲れているでしょう?」
「ううん、平気。
今日、ヒルディスヴィーニの会合の警護でクラフト区まで行ってたんだけど、聞いてびっくりするよ。オカマが現れたんだ。
それでこのメモをいろいろあったドサクサに持たされて、早くシルフに知らせないとと思って」
シルフは指にともした炎でアーニャから渡されたメモも見て、考え込んだ。
アーニャもシルフと同様の問題が解決できておらず、小首を傾げながら考える。
ベン・アイゼンハワーが示した場所はクラフト区の居住地区、現在彼らがいるリーベ区から関所で挟んだ長い橋を渡らねば辿り着けない場所だ。
終課の鐘が鳴ろうが、船舶の行き来が止まろうが、この場所の警備が解かれることはありえないからだ。
「この時間にクラフト区への橋を渡るのはやっぱ無理だよね」
「橋は元より湾岸警備の衛兵も情報部の監視兵も欺いて渡る自信はありませんね」
「今夜は兵隊共の配置確認をして、面倒だけど幻惑魔法とかで目眩まししていくのはどうかな。
てか、シルフ結構飲んだでしょ? 息が酒臭いもん」
「バレましたか。 酔っている自覚はないんですがね」
「酔っぱらいはみんなそう言うんだよね」
「アーニャも言うようになりましたねぇ」
「えっへへ」
「笑い方は変わらず子供のままですね」
「うるさいな!」
アーニャは軽く握った拳の腹でシルフの胸を軽く叩いた。
彼女は彼の胸に当てた手を離さないまま、無表情に考えをめぐらしているシルフを見つめた
「アーニャ、やはりベン様に会いに行こうと思います。
一緒に来てくれますか?」
「いいともさ。 でもどうやって行こう?」
「あなたの言う通り、できる限り幻惑魔法でやりきって、難しいようであればしばらく眠ってもらうしかありませんね」
「いいねー、腕がなるなぁ」
「アーニャ、相手は敵ではありませんよ」
「わかってるよ、でもわくわくするじゃん、こういうの」
妙に浮足立っているアーニャを苦笑いして見たシルフだが、一人の男が二人の前に気配を見せた。
パウルは腰布の位置を直しながらヨタヨタと二人の前に歩み出る。
「おっさん、ちゃんと出すもん出したか?」
「おかげさまで。
あなた方をあの方の元に届ける役目、この私が引き受けますよ
ご案内しますので、どうぞこちらに」
「なんだよ、そのつもりなら初めから言えよ」
「ありがとうございます、パウル様。
少し準備して参りますので、お待ちいただけますか?」
「ああ、手ぶらというわけにはいきませんね。
私はここでアーニャと飲んでいますよ」
「飲まねーって言ってんだろ。それにあんたセクハラするじゃん。
またボコるぞ」
「んー、手厳しいですなぁ」




