49 - ブラザーフッド⑳
───ドレスデン要塞襲撃事件、ヘルト軍部、帝国の関与疑い徹底追及、帝国は否定も証拠続々
───帝国による王族暗殺未遂、王政府が公式に発表も帝国は否定
───ヴォルニー連邦議会、ヘルトと帝国の調停に悪戦苦闘、親帝国派との対立が浮き彫りに
───ヴォルニーで帝国、連合国各シンパによる暴動が発生、沈静化も政情不安拭えず
───ヘルト連合国艦隊、新たにクラフト級洋上攻撃艦3隻進水、式典に各国代表集まる。海洋軍備の増強はほぼ完了か
───南部からの労働者の流入激増。西方鉄道計画の大幅な前倒しの波紋、官民対応に追われる
───食品貿易に軍部介入、小麦の輸出に制限、国内備蓄を優先か
アーニャ・ペトロヴナは脂身の多い一枚肉のステーキと野菜がサンドされた堅パンを頬張りながら教会の正面にある埠頭に腰掛け、今朝早くに買ってきた新聞に目を通していた。
東から上る朝日がヘルトの広大な湖を照らし、対岸に見えるクラフト区の市場が人で溢れている様がよく見える。
ケルン大聖堂に住居を移してから今日まで、アーニャの朝の日課はここで食事を摂りながら新聞を確認することだった。
側にはアラベラとイルゼ、二人も予定が合えばアーニャに随伴してここで朝食をとっていた。
傍らで沸かしたお湯で淹れた紅茶から激しく湯気が立つ、季節は厳しい冬へと移り変わっていた。
「ペトロヴナ伍長、はい、紅茶です」
「ん……、ありがと、アラベラ。
あ、砂糖は…」
「お菓子が作れるくらいに入れてありますよ」
「最高」
口の中の水分を掻っ攫う堅パンを甘ったるい紅茶で流し込む。
塩辛く脂身の多い塩漬け肉のステーキと萎れた野菜、硬いパン、顎が疲れるほど噛み潰したこれらを一気に流し込むと全身から一日を乗り切るための活力が漲るようで、この感覚がアーニャは好きだった。
イルゼはアーニャが脇においた新聞に目を通し、一面の記事を見る。
「本当に……、きな臭くなってきましたね、ペトロヴナ伍長」
「ま、既定路線っしょ。戦争を始めるための段階を踏んでるだけ。
…ってシルフが言ってたし」
「そんなこといって……、ペトロヴナ伍長もシルフ隊長もいつ招集が掛かるかわからないじゃないですか……。
わたし嫌です……、そんなの……」
「イルゼは心配性だなぁー、朝っぱらからそんな顔しないでよ。
えっと、今日はなにやるんだっけ、昨日はシルフと一緒にいたから聞いてなかったんだ」
悲しげにアーニャを見つめるイルゼの頭を撫でると紅茶を飲みながらアラベラに問いかける。
「南方からの労働者の方々を乗せた船がまた来ますので、午前は宿舎の受け入れ準備ですね。
午後はクラフト区でヒルディスヴィーニの幹部会にパウル様が出席されるのでその警護です」
「はぁ!?あのオッサンのお守りとかダッル……。
つか、警護なんてなくてもまぁまぁ強えーだろ、あいつ」
「またそういうこと言って、もう!
ケルン大聖堂以外の信徒すべてが武装集団ではないですから、ちゃんと警護の意味はありますよ!
それよりも、シルフ隊長はどこに行っているんですか?」
「んー? 今日は王城に帰る日、何してるのかはわからないけど、お姫様とお茶でも飲んでんじゃないかな」
「なるほど。あれ、ペトロヴナ伍長は王女様にお会いしたことあるんですよね?」
「うん、一応ね」
「どんな人ですか?」
「んー……、可愛くて、すっごくいい子!」
立ち上がり修道服の腰に下げたミスリル剣の位置を直しながら、アーニャはアラベラに満面の笑みで答えてみせた。
アーニャが抱くシルフへの感情を知っているアラベラは王女に対して朗らかに笑う彼女をやや不思議に思いながらも自分のサンドイッチと紅茶の朝食に手を伸ばした。
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ソフィアの私室にて、握り込んだシルフの手をソフィアが両手で包み込み互いに目をつむり、静かに向かい合って椅子に座っていた。
シルフの表情は非常に穏やかで、ソフィアの両手から流れ込む不可思議な力に言い表せない心地よさと高揚感を感じながら身を委ねていた。
偶然にも同じタイミングで両目を開いた二人は手を離さずに言葉を交わす。
「どうかな、シルフ」
「確かに、私も経験のない魔法でございます。
お母様の魔法によく似ていますが、精神に非常によく働きかけるように感じます」
「うん、病院でシルフを起こしたときに自覚できたの。
自分でもどういう力なのか分からなくて、何度も文字に起こそうとしたけどうまくいかなくて」
「おそらく、ヘルトに存在するどの魔法体系にもないものかと思いますが、ひとつだけ心当たりがございます」
「え? どんな?」
「ヘルト建国の母、初代女王にして最初の”勇敢なる者の守護者”、アンザ・プリスタイン様。
フレイヤ様の加護を受けた彼女が使役した”狂戦士の魔法”がふと頭をよぎりました。
今の私の状態が鑑みるに書籍にある彼女の魔法の作用に非常によく似ていると思います。
死者を蘇らせると言わしめるほどの重症を癒やし、恐怖を取り除き、多幸感に高揚させ、戦いへの欲求を駆り立てるという…」
「やめて!」
淡々と喋るシルフの言葉を遮り、椅子から立ち上がった彼女がシルフの顔を包むように抱きつく。
ひどく動揺して震える彼女の背中をさすり、シルフも抱き返した。
「そんなものいらない!
ごめん、シルフ…、もう二度と使わない…」
「姫様が思い悩むようなことではございません。
私も配慮が足らず、申し訳ございません」
「……ねぇシルフ、軍人なんてもうやめよう……。
お城でずっと一緒に暮らそう。 お母様にもお父様にもお願いするから……。
せっかくあなたが戻ってきたのに、また戦いにいくなんて嫌……」
ソフィアの魔法によってやや高揚している精神を落ち着けるように泣きじゃくるソフィアを抱きしめながら、シルフは静かに語りだした。
「姫様、ご自身が助かりたいがために国も民も捨てて逃げることはできないでしょう。
元より貴方様はそのようなことは考えることすらしないお人です。
私も逃げることが考えられないほど、大切なものがたくさんできてしまいました」
「それって、私も入ってるのかな……?」
シルフの鼻先で向かい合うソフィアの上目遣いにシルフがはっきりと返答する。
「あなたを守るためなら神をも敵にしても構いません」
子供だましではない真剣な眼差しでシルフはソフィアを見つめ、そうつぶやいた。
瞬時に止まった涙の代わりに急激にこみ上げてきた気恥ずかしさで頬が熱くなるのを隠すようにソフィアは再びシルフに抱きついた。
「そ、そんなこと言われると……、ちょっと困る……」
「おや、ああ、また貴方様の新しい表情を見れました。
これだけで私は生きている価値を見いだせるというものですね」
「やだな、からかわないでよシルフ……。
うん、やっぱり、この魔法については研究を続けてみる、逃げちゃだめな気がしてきたから。
使いこなせるようになったら、もしかしたらたくさんの人を救えるかもしれないし」
「そうですね、薬師の処方する魔法薬のように、個の使う魔法もまた加減が効くものです。
いまの姫様には強大な力であってもきっと世のために役立てるときがくるでしょう」
「そうだね……、あ、そろそろお母様のところに行こう。
一緒にお茶をするって約束だったから。
シルフ、今日はお城に泊まっていくんでしょう?」
「ええ、夜はお父様と久々にお酒を飲み交わす約束もありますからね」
「そっか、お父様、最近すごく気落ちしている気がするの。
シルフが元気づけてくれると助かるな」
「この時世にあっては当然でしょう。
お任せください」
椅子を立つソフィアの手を引き立ち上がらせ、シルフは母親である女王の部屋へと足を進めた。




