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ヨルムンガンド・サガ  作者: 椎名猛
第一章 因果から伸びる手
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47 - ブラザーフッド⑱

シルフとアーニャは屋台料理を巡りながら、アーニャが食べたがったものを手当たり次第に買って、歩きながら食べた。

脂身の多い分厚い一枚肉のステーキと野菜を挟んだサンドイッチ、揚げたじゃがいもと巨大なソーセージに香辛料の香り高いソースが掛かったヴルスト、バウムクーヘンに溶けた砂糖をまぶしたアーモンド菓子。

王都守備隊とは違う制服を着た女性の陸軍軍人が珍しいのか、それとも軍人らしからぬ愛嬌のいいアーニャの笑顔に鼻の下が伸びたのか、店の男性主人はあれこれと彼女にサービスしてくれた。

屋台街の一角に空いているベンチがあったので、二人はそこで腰を落ち着けて食事をすることにした。



「なにこれうっまー!」


「ほら、そんなに急いで食べるとソースがこぼれますよ」


「むぐっ……、ちょっと子供扱いしないでよ!」


「そうですね、あなたはもう立派な女性フラウでした。

 学舎に入りたてだった頃を思い出してつい」



ソースをつけたアーニャの口元を紙ナフキンで拭ったシルフに抗議を唱えた彼女だが、機嫌を悪くしたわけでもなく顔を赤らめながら食事の続きをした。



「私が頼りになるのは、アーニャ、あなたただ一人になってしまいました」


「……あたしだって、同じだよ」


「そう遠くない未来、私とあなたは帝国との戦争に巻き込まれるのは確実でしょう」


「ハバー大佐がだいぶヤバい状態なのはわかるけどさ、アレッサ姉さんとか、学舎のみんなとかに危害を加えるとはまだ思えないんだ」


「もはや彼はカーリア様とルイーサ様の幸福が帝国を征服した先にしかないと考え、狂気に支配されてしまっています。

 ああなってしまっては、もはや手段は選ばないでしょう。

 私はリーベ区と王城を行き来して、王室が軍部の闘争に巻き込まれないように見守る必要があります。

 もちろん、学舎の皆の今後の進路も考えています」


「でも、あそこを出たら5年間の兵役義務があるじゃん」


「彼らは優秀ですが、今の喫緊の状況で即戦力にするには無理があります。

 ハバー大佐と交渉を続けて彼らの兵役義務を免除してもらうよう努めます。

 ヨハンとカールとその直弟子たちに全ての候補生へ付呪と魔法薬学の知識を継承させて来たのが、この状況になってとても有利になります。

 戦闘と魔法科学の知識があれば就職先には困らないでしょう」


「あたしは戦闘特化なんだけどね!ヒヒ!」


「あなたの才能を存分に伸ばした結果ですがね」


「ふぅ……、食った食ったぁ!

 シルフ、あいつら追いついてきたけど、どうする?」



食後のキャンディバーを咥えながら群衆の先に二人をまっすぐに見つめて近づく私服を着た兵士がいた。

シルフは黙って立ち上がり歩き出し、飴を頬張りながらアーニャも彼の後を追う。



「このまま学舎に向かいましょう。 明日は大忙しですよ」


「リーベ区って美味い飯屋ある?」


「育ち盛りには持って来いのお店ばかりです」


「うっひゃー、楽しみ!」



---



二十名程度の元魔法剣技部隊の候補生はシルフとの再会を喜んだ後、リーベ区にあるケルン大聖堂への住居の移転に伴い一斉に荷物を整理し始めた。

給金こそ出ていたものの、学舎での規則により私物があまりなかったためか、荷物の大半は剣や銃火器、書物などで、それらは借りてきた馬車に詰め込み、あとは各自荷物を持ってクラフト区からリーベ区への跳ね橋を渡った。


クラフト区からリーベ区へ入ると街の雰囲気はガラリと変わる。

王都の玄関口から橋まで伸びる道以外はあまり舗装が行き届いておらず、独立した建物はまばらでズラッと同じ造りの長屋が目立つ。

湖の中心部に造られたクラフト区やムート区と違い、リーベ区は広大な湖の岸辺を造成したヘルトで最も広大な地域だが、下水道のインフラ設備が不十分でクラフト区と比べると衛生面でどうしても劣っていた。

富裕層、中間層の住居はなく、鉱夫や大量生産品や軍需品の生産工場の労働者などの低所得階級の人間が多くを占める場所だ。


とはいえ、元魔法剣技部隊の候補生にとって、ヘルトで過ごす以前の人生はこの場所よりも遥かに劣悪な環境で生きてきた者ばかりのため、別段気にしている様子はなかった。

シルフたち一行は湾岸沿いの比較的広い通りを馬車を追って歩く、行き交う市民は多いがアーニャとシルフ、ついでに荷馬車の馭者ぎょしゃが陸軍の制服を着ていたためか、自発的に道を空けるばかりか恭しく頭を下げる者すらいた。

そんな市民にいちいち頭を下げているシルフを後目しりめに、アーニャは口の中の飴玉を転がしながら目的地のケルン大聖堂を見つめていた。

リーベ区の北端、この広大な湖に注ぐ河川の河口のそばにそびえ立つ巨大な教会だ。



「デカい教会だなぁ、なんか木の窓とかあるし。

古い建物と新しい建物がごっちゃって感じ」


「建国当初からあるそうなので、1000年を超えるかもしれませんね」


「ほえー」



関所を抜けてから二時間弱歩いた末に、ようやく一行は教会にたどり着いた。

とはいえ、通常の教会のように手入れのされた庭や噴水が見える広場はなく、堅牢な石造りの壁がそびえ、鉄と樫の木で出来た大門で市街とは隔絶されていた。

一行の到着を待っていたように内側に開いた大門の先に、黒い祭服をまとった白髪の初老の司祭が笑顔を浮かべ、その後ろにずらりと両手を組んだ修道女が彼らを出迎えた。



---



黒い祭服の司祭は両手を広げながら、つかつかと前に歩み出てきた。

シルフも笑顔を浮かべながら前に歩みだす。



「いやぁ、ようこそおいでくださいました!

 わたくし、ここケルン大聖堂で女神フレイヤ様にお仕えするパウル・ドルーデと申します。

 魔法剣技部隊長、シルフ様、よくぞご無事で凱旋なされました。お会いできて光栄の至りでございます」


「パウル司祭様、こちらこそお会いできて光栄でございます」



歩み出たシルフが差し出した右手に、にこやかな表情でパウルが応じた


瞬間だった。

パウルの右手の袖口から両刃のブレードが飛び出し、シルフの喉元めがけて突き入れられた。

シルフは後方へ状態を反らしてそれを交わすと、ブレードを突き出した右手をひねり上げ、前かがみに崩れたパウルの首を両足で絡め取り、風の魔法を使ってうつ伏せの状態で地面に叩きつけた。

軍服の肩口の短剣をすばやく抜き取るとパウルの後頭部に向かって突き下ろす。


刈り上げられた彼の後頭部の毛一本分の隙間で寸止めされたシルフの短剣と、その横から首筋に向けて伸びるアーニャのミスリル剣の風を切る音が響く。

気づけば、後方に待機させていた元魔法剣技部隊候補生の大半が荷馬車に詰まれた銃を手に取り、銃を取れなかった者は一斉に破壊魔法の詠唱を始めた。

後ろに控えていた修道女たちが、シルフたち魔法剣技部隊が使いこなしていた魔法で激発する短銃を両手で構えていたからだ。

ついでにシルフ達の監視役、兼、荷馬車の馭者をしていた情報兵も候補生の一人に銃を突きつけられ、修道女たちとの肉の盾にされ、大量の脂汗を流しながら両手を上げて震えていた。



「いやいや、御見逸れしました。

 どうやら、わたくし如き、敵うようなお人ではなかったようです。

 皆さん!もういいですよ! 武器をしまってください!」



うつ伏せのまま苦しげに大声を上げたパウルの命令で修道女たちは得物をしまった。

アーニャは武装解除した修道女をしばし睨みつけた末に剣を鞘にしまう。

アーニャの合図で詠唱された魔法や銃を構えた候補生たちも武器を引っ込め、最後にシルフが短剣をパウルの後頭部から離し、鞘に収め、ようやくその場の張り詰めた剣呑な雰囲気は解けた。

シルフから差し伸べられた手を取り、起き上がったパウルは衣服の砂埃をはらうと、今度こそにこやかに彼と握手を交わした。

一転して握手を交わした二人とは対象的に、アーニャは穏やかではない表情で威嚇として魔力を滾らせパウルを睨みつける。



「なぁ、オッサン……、次に同じことやったらシルフがなんと言おうと殺すぞ?」


「おおッ、これは可憐なるフロイライン(お嬢様)、女神フレイヤ様に誓って二度と無礼ははたらきません」



アーニャは飄々と言ってのける男と背後に控える武装した僧侶たちへ幾度も交互に視線を向けながら、収めた剣の鍔に掛けいて右手の親指を外した。

しかし、突然に喧嘩を売ってきた相手への嫌悪は拭えず、口の中で欠片になっていた飴を唾液ごと吐き捨てた。



「ケッ!」


「アーニャ、何かお考えあってのことです。物騒なことは口にするものではありませんよ」


「先に物騒かましたのはこいつらだろーが!」



まだ文句を言い足りないアーニャの背後からアラベラとイルゼの二人が忍び寄ると彼女の口の中に目一杯飴玉を詰め込んだ。

不意に口に広がる強烈な甘味に怒りも忘れたのか、しかめっ面のままアーニャはボリボリと飴を噛み砕きながら、とりあえず口を閉じた。



「いやはや、よく訓練されていて見事な連携、そしてとてもユニークな人間関係、興味深いですな、シルフ様」


「いえ…、彼らを育てた優秀な部下はドレスデンで散りました。

 私が彼らにしてやれることが何なのか、いま必死に考えているところなのです」


「なるほどぉ…、シルフ様、その辺も含めてお話したいのですが……。

 ひとまず荷物をおろしましょう。邪魔者にはお引取り願わねばなりません」



パウルにひと睨みされた馭者はビクッと身体を跳ね上げた。

さっさとこの場を去りたいのはこっちだと言わんばかりに露骨に渋い顔だ。

修道女も手伝い、荷馬車の荷物を次々におろして、ひとまず聖堂の入口に置くことにした。



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