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ヨルムンガンド・サガ  作者: 椎名猛
第一章 因果から伸びる手
46/59

46 - ブラザーフッド⑰

「……これはいったいどういうことなのかな?」



感情の乗らない無機質な声色で、エドゼルは門を警備していた情報兵に視線を向ける。

エドゼルの静かな詰問に狼狽えた二人の兵士は、恐々と答える。



「わ、我々はお止めしたのですが、こちらの騎士の方が戸に耳を近づけてしまいまして……」


「騎士? 騎士なんてものはもうこの国にはいないんだけどなぁ……。

 ねぇ君、片方の耳は聞こえるだろう? 所属は?」



首を動かさずに視線だけを下に向けるエドゼルに引くことなく、右耳を抑え痛みを噛み殺しながら兵士は声を張り上げた。



「私は第三騎士団第四歩兵部隊所属の───」


「待った待った、騎士団なんてものはもう存在しないんだって。

 君、陸軍歩兵隊でしょ? 階級は伍長か…、ここに立ち入っていいと思ってるのかい?」


「黙れ国賊こくぞくが!! エドゼル・ハバー……、貴様がヘルトに仇なす存在であることは分かっているぞ!!

 貴様が何を企んでいるのか必ず暴いて見せる!!」


「その行動が盗み聞きとは恐れ入るね、僕たちは君みたいな木っ端兵士が知ってはいけない重大な話をしていたんだ。

 本当に……、君のような無能を見ていると、あんなもの解散させて正解だったと思えるよ……」


「エドゼル・ハバー……、貴様ら国賊共が我ら誇り高き騎士団を離散させたおかげで……、我が父上は今朝方…自害した!!

 自らの血で綴ったこの遺書を残してだッ!! これは貴様が読んで報いる責任がある!! この場で読めぇ!!」



投げつけられた書簡を拾い上げたエドゼルは、赤黒い文字の書かれたそれを広げることもなく魔法の火で焼き消した。

眼の前で父親の遺書を燃やされた兵士は怒りに満ちた顔に涙を流しながらエドゼルに掴みかかる。


しかし、エドゼルの襟を掴んだ彼の腕はシルフよって捻り上げられ、そのまま床にねじ伏せられた。

エドゼルは襟元を手で払い、襟筋を立て直すと面倒そうに床に伏せった兵士に語りかける。



「士官庁舎への無断侵入、機密情報の盗聴、上官への抗命と暴行……。

 君の素性は後で調べるとして、これは国家への反逆ということで死刑かな。

 君のご実家がどの程度のものか知らないが、爵位取り潰しは免れまい」


「な…何をッ!? 私はただ…」


「ただ…なんなんだい?

 父上殿が自害したことをネタに僕の情に訴えれば自分たちの地位が持ち直すとでも思ったのかい?

 アルガー・ルーカスはたった数十の部下だけでドレスデン奪還作戦に挑み多くの国民を自分の命と引き換えに救ってみせた。

 なのに貴様の父親はただ自分が死ねば現状が上向くと思い、その息子の貴様は父親の死で我々が動くと思い上がっている。

 貴様の命など、この変革の世にあっては、今燃やした紙切れ一枚の価値もないんだよ。

 騎士団なんてものはこれから永久に続くヘルトの歴史の一節に残れば上等じゃないか。

 はぁ…、もういい……、シルフ君」



エドゼルのため息交じりの呼び声に、シルフは後ろに控えていたアーニャに歩み寄ると、彼女の鎧のホルスターにささった銃に手を掛けた。

そのまま引き抜こうとするシルフの手に、アーニャの手が添えられる。

泣きそうな顔でふるふると首を横に振る彼女を見て、シルフは目を閉じたまま、彼も静かに首を横に振って応えた。

これから起こることを諦め、受け入れることにしたアーニャは、大人しくシルフに銃を渡す。


銃を持ったシルフは涙を流す元騎士の陸軍兵士の額に銃口を突きつける。



「ハバー閣下、どうか…、彼に恩赦を……」



それまで近くで傍観しているだけだった情報兵の一人が震える声でエドゼルに進言した。

エドゼルは顎に手を添え、しばし考えるとパンと両手を鳴らした。



「そうだね、元はと言えば君たちがちゃんと仕事をしなかったことが原因だ。

 なぁ、君。君の父上殿はどのように自害なされたのかな?」


「……心臓に短剣を突き立て、座したまま逝った」


「そうか、では君も同じようにしたまえ。

 君が父上殿と同じように自害すれば君の家と地位は保証する。

 君の覚悟を持って汚辱を拭いたまえ」



エドゼルの言葉に、張り詰めきった表情で固まっていた兵士は、覚悟が決まったのか装備を脱ぎ、上半身裸になると腰に刺さった短剣を抜き、鳩尾からやや左にそれた位置に剣先を突きつける。

シルフは銃口を上に向けて横に退き、その場にいる全員に彼の自害が見えるように立った。

アーニャはそれから先の現実に耐えられなくなったのか、フードを被って耳を塞いだ。

幾度も幾度も荒い呼吸を繰り返した彼は、ついに剣先に力を込めて己の胸に突き刺した。


彼の苦痛に歪むうめき声が廊下に響く、胸からおびただしい血が流れるが、絶命には至らなかった。



「心臓に届かずに肺を掠ったか……、君たちの騎士道精神とやらもその程度と言うわけだ。

 おい、医務官と治癒士を呼んでこい。まだ助かるだろう」



情報兵の二人が医者を呼びに駆け出していった。

ヒューヒューと不規則な呼吸をしながら、俯いて短剣を握る兵士にシルフが姿勢を屈めて語りかける。



「苦しいでしょうが、刃は抜かずにこのまま安静にしてください。

 意識を失わないように、ゆっくり呼吸をしてください」


「俺は……、こんなところで死にたくはなかった……、死が怖いわけじゃない……。

 俺たち騎士団は戦いの中で命を散らすのが……、理想であると父が言っていた……。

 その父が……、なぜ自ら命を絶たねばならなかったのかッ…、俺は、俺はそれが悔しくて堪らないッ……。

 俺たちは…役立たずなのか? 何百年と国に尽くしてきた俺たちは……、世の中の流れに流されてただ藻屑に消えるのか……?

 なぁ、教えてくれ……、見知らぬ人よ……、俺は“よろこびの家”に……、行けると思うか? 父はそこで俺のことを待ってくれていると思うか?」


「……思いますとも」


「ならば、俺を……、送ってほしい……」



シルフは短剣を握る彼の手に自身の手を添えると、一気に刃先を沈めこんだ。

ブシュという音と共に胸部から血が吹き出すと、彼の瞳から光が消え、顎が落ちた。

顔から全身に血を浴びたシルフは、彼の身体が横に倒れないようにそっと離れ、エドゼルトに向かい合った。



「彼は誇り高く生き、誇り高く死にました。

 どうか恩赦を、ハバー大佐殿」


「……まあいい。

 君は本当に変わらないんだな」


「私は元よりこういう人間です。

 …ハバー大佐、できる限りカーリア様の元に帰って差し上げてください」


「……なぜここで僕の娘の名がでてくるんだい?」


「他意はございません。王都が混乱に陥る前、カーリア様はあなたのことを気にかけておられた。

 しばらく会えていないが、元気でいるか、と聞かれまして。

 ただ、それだけです」


「……この庁舎には風呂があるから身体を洗っていきたまえ。

 アーニャ君の装備は目立つから陸軍の制服に着替えなさい。君の分も用意しよう。

 彼の遺体も片付けなければならないし、もう少し僕の部屋でゆっくりしていくといい。

 まだ色々と話したい…、それから…ああ、酒なんか飲むんじゃなかったな…くそっ」



シルフの言葉に狼狽えだしたエドゼルは口早に喋りだすと、髪を掻きむしりながら部屋に戻っていった。

座したまま死んだ兵士の死体を呆然と見つめていたアーニャは、肩に置かれたシルフの手で我に返る。

彼は使われることのなかった銃をアーニャの鎧に戻すと、優しく微笑んだ。



「アーニャ、あなたが思い詰めることではありませんよ」


「うん、別に人が死ぬとこを見たのが初めてってわけじゃないんだ……。

 こんなに悲しそうに死ぬ人を間近でみちゃったから、なんか……」


「何をしてる!? 早く入って戸を閉めろ!!」



初めて聞くエドゼルの怒鳴り声にも臆することなく、アーニャはドアノブに手を掛けた。



「向こうでお父ちゃんといっぱい話せたらいいね」



そうつぶやくと、彼女はドアを閉めた。



---



シルフとアーニャはムート区の関所を抜けてクラフト区へと続く跳ね橋を歩いていた。時間は昼どきを少し過ぎたあたりだった。

エドゼルとの話は長時間に及び、アーニャはやや辟易とした顔で着慣れない陸軍の制服をわざと着崩していた。


エドゼルから告げられたのは、魔法剣技部隊はドレスデン奪還作戦で全滅したため解散されたということ。

とはいえ、シルフとアーニャ、兵役についていない予備役生たちは今後はエドゼルの部隊の監視下に置かれることが決まっていた。

シルフを除いた面々はヘルトの最も外側にあるリーベ区にある教会へ今後は住まいを移し、そこにいる監視役の司祭の側におかれ、ムート区へはもちろんクラフト区への無断での立ち入りは禁じられ、また、常にエドゼルの指揮する陸軍情報部の監視が付く。

更には、これまで魔法剣技部隊として貢献をしてきた商工会の人間との接触を禁止じられたこと、特にベン・アイゼンハワーとの接触は絶対禁止事項となった。

エドゼルの話は猛烈にアーニャを苛つかせたが、アレッサの身の安全をちらつかせられている以上は従う他ないと必死に耐えた。



「ねぇ、シルフ、下の子たちにさぁ、なんていえばいいの?」


「そこは私が請け負いますよ、物事が落ち着くまでは私もケルン大聖堂に滞在しようと思います」


「ほんと!? あ、でも…、ソフィア様とか、一緒にいなくていいの?」


「私が無事であることは知っておいでですから、それに今の軍部のいざこざに姫様やヴェリーヌ女王陛下を巻き込みたくありません。

 もし報告するとすればアダルハード国王陛下ですが、今はハバー大佐の指示に大人しく従っていましょう。

 ひとまず、今日は学舎の皆さんに事情を話して荷物をまとめ、明日は引っ越し作業、その後はケルン大聖堂の司祭様と相談というところでしょうか」


「シルフ、ケルン大聖堂のことってしってるの?」


「あれだけ大きな教会ですから、建物ぐらいは知っていますが、司祭様がどんなお人かまでは流石に知りません」


「そっかぁ……、おぉ?」



ゴロゴロとアーニャの腹の虫が鳴った。

そういえば、今日は朝からシルフに迎えに行って、そのままエドゼルとの面会だったため、何も口にしていなかった。

育ち盛りの上に日頃の鍛錬で常人より代謝の高いアーニャにとっては、少々我慢が難しいほどの空腹だった。



「アーニャ、デートにいきましょうか」


「へ?」


「生きて戻ってきたら、甘いものを求めて食べ歩きましょう、って約束したじゃないですか」


「ええ!? あ、うん……、言ったけど……デートだったっけ?」


「どうでしたっけね? 私もお腹が空きましたから、ほら、行きましょう」


「うわっ! シルフッ! そんな走ったら傷口開いちゃうよ!」


「平気ですよ! さぁ!」



シルフとアーニャは手をつないで走ると関所にいる兵士を意に介さずに走り抜けた。

関所の兵士は度肝を抜かれたが、制服が陸軍将校のものだったため、まぁいいかと見逃したが、その後を大慌てで走ってきた私服の男二人は見事に止められ、厳重なチェックを受ける羽目になっていた。


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